その1
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東京 新宿歌舞伎町 午前零時頃。
終電が近づく時間ではあるが街は、まだまだ賑わっていた。
酔っぱらったサラリーマンのグループやまだ未成年風な若者のグループもいる。違法キャッチらしき男達や、見るからに水商売風の女達も大勢いて、道行く男達に声をかけていた。
朝倉美幸は、終電に乗り遅れまいと、学生鞄を抱え早足で新宿駅に向かっていた。都内の高校に通う美幸は、どちらかと言うと真面目なほうであり、こんな時間までカラオケボックスで遊んでいる娘ではない。今日は、友人の茜が失恋した憂さ晴らしにどうしても付き合ってと頼まれ、断れずにこんな時間になってしまったのだ。当の茜は他の友人3人とまだ、カラオケボックスにいる。明日は土曜日で学校が休みという理由で始発まで歌って帰ると言い、美幸も引き止められたが、なんだかんだ理由をつけて、店を出たのだ。実際、美幸の父親は警察官であり帰宅時間には厳しかった。外泊など論外である。母親からも携帯にメールが何通も届いていた。
(こんな遅い時間になるなんて始めて。急がなくっちゃ!)
長い黒髪が乱れるのも構わずに小走りで駅に向かう美幸。
その正面から、5人組の男達が歩いて来る。その男達を見た、”美幸以外”の通行人達は目を逸らしながら、よける様に道を開けた。
その5人の男達は、どう見ても”その筋の男達”だった。その中にひときわ目立つ巨漢の男が居た。この界隈では有名な男だった。
暴力団、神竜会の若頭、蟹田武蔵 という男だ。
身長は2mを越えるであろう、体重も150kgはありそうだ。この男の存在で最近は、神竜会以外の暴力団をこの街で見る事はなくなっていた。蟹田一人の働きで他の暴力団はこの歌舞伎町から撤退したと言っても言い過ぎではないだろう。最もこれは、警察が多数の暴力団に手を焼いて困ったあげく、神竜会に他の暴力団を壊滅させ、その行動を黙認した結果でもあった。これが、10年前から東京都が行った”浄化作戦”の正体であり、警察上層部は、神竜会を掌握すれば、歌舞伎町の安全は守られると考えたのである。しかし、実際は神竜会との癒着の発覚を恐れている警察も含め、この街を神竜会が裏で支配する結果になってしまった。この浄化作戦の結果、歌舞伎町の危険度は逆に増したと言っていい。
一番後方を歩く蟹田の前をかったるそうに歩いているのが蘇我という男だ。蘇我は、蟹田の筋肉の塊の様な身体でなく、脂肪の塊の様なデブだ。相撲取り崩れが暴力団になったと思えばいい。先頭を大股開きで歩き、一番態度がでかいのが、下の名前でみんなから繁雄と呼ばれている男だ。繁雄は5人の中では一番若く、身体もそれ程大きくない。見るからにチンピラ風な男だ。ハゲを隠す為か、あえて剃っているのか、テカテカに頭が光っていた。そして、繁雄の後ろを歩く、谷田と岡部と言う二人の男も、それなりに”がたい”が大きかったが蟹田と蘇我の存在で、並の体格に見えてしまっていた。
危険な香りがプンプンしているこの男達には、誰も近づきたくはないだろう。一生関わりたくない存在の者達だ。通行人達は、その男達に自分の存在を知られない様に遠回りして歩いていた。
しかし、とにかく急いで帰りたかった美幸は、前から歩いて来るその5人組に気づくのが遅れたのか、そのまますれ違って、通り過ぎようとした。
その時・・・
「あっ、すみません」
美幸の肩がほんの僅か、先頭を歩く繁雄の肩に当たった。美幸は直ぐに謝った。
「痛っあぁぁ〜」
美幸に肩を当てられた繁雄が大声を出した。
その声にびっくりした美幸は、その場から動けなくなってしまった。
繁雄は、目の前から歩いて来る美幸を見て、自分からすれ違う時に態と身体を寄せたのだ。
「大丈夫か、繁雄。肩の骨、折れてないか?」
谷田が、大声を出した繁雄にニヤニヤしながら言った。
「ちょっと痛いですが、大丈夫です。谷田の兄貴」
繁雄は、態とらしく左肩を押さえて言った。間近で見る美幸を繁雄は”思ったよりカワイイ”と思った。スタイルも良く、多少幼さが残るアイドル的なその顔が好みだった。
(なんとか、この娘とヤリテエえな)繁雄は、思った。
「あの、ゴメンなさい。でも、そんなに強く当たってないと思います」
美幸は、震える声で言った。
「お嬢ちゃん、たぶん大丈夫だと思うけど、近くに24時間営業の病院があるから一応、着いて来てくれないかな」
繁雄に声を掛けた谷田が美幸の肩に手を乗せて”やさしい”声で言った。
「でも私、急いでいて・・帰ってから父に訳を話しますから・・・」
「急いでいて、うちの繁雄にぶつかったのはお嬢ちゃんなんだから、来てくれなかったら困るよ」
美幸の話を遮る様に谷田がそう言いながら繁雄を見た。繁雄は、相変らず肩を押さえている。
周りの通行人達は、見ない振りをして早足で通り過ぎて行く。
「おい、俺は先に行くぜ。組長が待ってんだ。こんな小娘、適当に切り上げろよ」
一番後方に居た蟹田が、興味なさそうに携帯を弄りながら言った。
そのまま歩き出す蟹田の後ろを蘇我も巨体を揺らしながら着いて歩く。
「あの、俺も後から行きますから」
谷田の横に居た岡部が立ち止まって、前を歩く蟹田と蘇我に言った。岡部は、谷田と同じく繁雄の”好い事”に便乗した。
谷田と岡部、繁雄の3人は、深々とお辞儀をして蟹田と蘇我を見送った。
「あの、誰か助けてください。誰か、けいさ・・・」
谷田、岡部、繁雄の3人の男に囲まれた、美幸がやっとの思いで発した小さな声を繁雄の声が遮った。
「何も心配する事は無いよ。病院で見てもらって何事もなければ、直ぐに帰してあげるからさ。あっ、でも診察代は払って貰わないと困るな。俺、保険書もってないから高く付いちゃうんだよね。現金がなければ、身体でもいいよ」
繁雄は、美幸の細い腕を掴んだ。
「繁雄、おまえは”怪我人”なんだから一番最後だ。わかったな!」谷田が言った。
「谷田の兄貴、この娘は俺が・・・」
繁雄は、不満そうな顔をして何か言いかけたが止めた。
(ちぇっ、蟹田さんが居ないと偉ぶりやがって)
繁雄はそう思ったが一番下っ端な立場ではしょうがなかった。
「じゃぁ、行くか。ホテ・・いや、病院はこっちだぜ」
岡部は、ニタニタ笑いながら美幸を見た。
うっうっうっ・・・
美幸は泣いていた。もう恐怖で声は出ず、その場で座り込んでいた。
繁雄は掴んでいる腕に力を入れ、美幸を起こそうとした。
その時、一人の男が近づいて来た。
「あんた達、なに女の子を泣かしてんだ」
その男は、谷田や岡部と遜色がない位の体格のいい男だった。周りの見て見ぬ振りをしている通行人も、その”見た目”で何かを期待した。
その男は村上という名前で、大学で空手を教えていた。相手の3人は、”その筋の人間”と見た感じで分かってはいたが、村上は、腕には自信があった。全日本空手道選手権大会で優勝した経験もあり、相手が3人ならば、直ぐにやっつける事が出来ると思った。村上は、多少酒にも酔っていて、酒の勢いもあっただろう。
「おっさんは、引っ込んでろよ!」
繁雄が美幸の腕を強引に引っぱりながら言った。その時、美幸の抱えていた学生鞄は繁雄に取り上げられ、放り投げられた。村上がその落ちた学生鞄を拾ったその時、岡部がいきなり村上の下腹部を蹴り上げた。
「うぐっ!」
村上は強烈な傷みでその場に踞った。
「なんだよ、弱っちいなぁ!」
岡部が村上を見下ろしながら言った。
「ぐぅおぉぉぉ!」
常人ならば悶絶しているであろう傷みに耐え、村上は顔を上げ、立ち上がった。そのまま、前屈立ちで空手の構えをとると、ありったけの力を前方に集中させ岡部に前蹴りを放った。岡部はそれを下がって躱すのではなく、なんなく手で振り払った。それと同時に蹴りを躱され、バランスを崩した村上の顔面に強烈なパンチを打ち込んだ。
鼻血で顔面を真赤に染め、自分の折れた歯を口に含んだまま、村上は尻餅をついた。
「おい!まだ、やるのかよ」
放心状態の村上の顔に靴の裏を押し付けながら岡部が言った。
村上は一歩、二歩と尻餅をついたままの状態で後ろに下がるとゆっくり立ち上がった。そして、素早く背を向けるとそのまま逃げ出した。もう、頭の中は真っ白であったろう。空手の試合なんかでは味わった事の無い本当の恐怖を感じたのだ。
「正義の味方、破れたり!アッハッハッッハ」
岡部は、村上が逃げて行った方に唾を吐きながら言った。
「もう、帰してください。お願いです」
自分を助けに来てくれた人の悲惨な姿を見て、美幸は精一杯の声を出した。
見て見ぬ振りの通行人達も正義の味方が少女を助けるという、テレビドラマの様な展開を僅かに期待したが、今は誰もが警察はまだかと思っていた。しかし、警察に通報する事さえ、自分に被害が及ぶのではないかと皆が思ってしまっていた。
繁雄が、美幸を引き起こし連れて行こうとしたその時、
「これ、その娘の鞄だよね」
一人の若者が、美幸の持っていた鞄を持って近づいて来た。村上が岡部に蹴りを食らった時に道路側に落ちたのだろう。
「このタコの人形カワイイね」
若者は、 飄々とした感じで美幸の鞄についている、タコのぬいぐるみが着いたキーホルダーを見て言った。
その、キーホルダーは、今日、カラオケボックスに行く前に茜達と立ち寄ったゲームセンタで、茜がクレーンゲームで取ってくれた物だった。本当は、イルカのキーホルダーを狙ったのだがタコのキーホルダーが取れてしまい、茜が「かわいくないから、いらない!」と言って捨てようとしたので(かわいそうだから・・・)と貰ったものだった。
「なんだ、このクソガキ!」
繁雄が美幸の腕を掴みながら、その若者を睨んだ。思いっきり凄んだ顔だったが、若者は微動だにせず、美幸の鞄を持って繁雄の前に立った。谷田と岡部は、(なんだ、こいつ)という感じで、若者を見ていた。それはそうだろう。若者は、先ほど逃げ出した村上と比べても、明らかに見劣りがする体格でしかも、高校生位の年齢に見えた。
その若者の名は、 魅星護人と言う。身長は、180cm程度だろうか、どちらかと言うとスリムな体型だが痩せている感じではない。寧ろ、贅肉の無い引き締まった筋肉質の身体と言った印象だ。少し長めの黒髪が中性的な印象も与えるが整った精悍な顔立ちをしている。怯える様子等まったくなく、涼し気な眼で、繁雄と美幸の方を見ていた。
「タコの人形をかわいがる女の子をほっとく訳にはいかないな」
護人はそう言いながら美幸の腕を掴んでいる繁雄の右手をスゥーと掴んだ。
繁雄と岡部、谷田は、護人があまりに自然に近づいてくるので、村上の時と違って先制攻撃を仕掛けるタイミングを失った。いや、先制攻撃など必要のない”クソガキ”だとこの時は思っていた。
美幸は泣いている顔を上げ護人のほうを見た。助けて欲しい気持ちとまた、怪我人が出てしまうという気持ちが入り乱れていた。
「逃げて・・・」
美幸が小さな声で呟いた時、
「いってぇなぁ!!このガキ!」
護人に腕を掴まれた繁雄が大声を出した。
予想外の激痛に繁雄は、掴んでいた美幸の腕を放した。それと同時に護人は、美幸を引き寄せ肩を抱いた。
「タコ好きなのかい?」
護人は鞄を美幸に渡しながら言った。
「訳わかんねぇ事、言ってんじゃねぇよ!」
岡部は、一瞬ボクシングのファイティングポーズを構えると右アッパーを護人の顎に叩き込もうとした。
護人は、僅かに顔を動かし見事にそれをかわすと同時に、美幸の肩を抱きながら、体勢を崩した岡部の腹部に強烈な蹴りを放った。
「ぐぅうわぁ!!」
岡部が屈み込む。その上から、護人は見事な踵落としを岡部の首筋に打ち込んだ。岡部が屈み込んだ分だけ、振り上げた脚との距離が出来、その威力が増した。
「ぐっへぇ」
岡部は、そのまま前のめりに倒れ込み、首筋を押さえながら激痛に道路をのたうちまわった。
護人が岡部に踵落としを決めた瞬間、谷田も護人の後方から襲いかかってきた。体重の乗った強烈な右ストレートだ。谷田はボクサー崩れで、このパンチは谷田にとって必殺の右ストレートだった。
谷田のパンチが護人の右側頭部にヒットすると思われた時、護人の右手がそのパンチを包む様に食い止めていた。なんという反射神経であろうか。護人は、美幸の肩抱き、守りながら岡部を倒し、谷田の拳を自分の右の掌で食い止めていた。
谷田は、右手に力を入れて逃れようとするが、護人に掴まれた腕は、びくとも動かなかった。
護人は谷田の右拳を掴んだまま手首を返し力を入れた。
「いてぇっ、てぇっ、てぇっ、てぇっ!」
悲鳴を上げた谷田は、右手首を決められどうする事も出来なかった。
護人は、美幸に(ちょっと、下がって)と目で合図を送ると、谷田の背後にすっと回り込んで、腕で谷田の喉を締め上げた。美幸は、護人の背に隠れている。
「うぐぇ!」
白目を剥いた谷田はあっという間にその場に崩れ落ちた。
岡部と谷田が瞬殺で倒されるのを見て繁雄は動けなくなっていた。相手がガキでも、強い奴には全く歯向かわない、それが繁雄と言うチンピラだ。
「おい、おまえ!」
護人が、繁雄に向かって言った。
「このタコの人形を可愛がる娘にあやまれよ」
護人は、繁雄に近づくと、つるつるの頭を軽く叩いた。護人の方が繁雄よりだいぶ背が高いので完全に馬鹿にされている感じだ。護人に頭を”ペチペチ”と叩かれながら繁雄は、護人の顔を見上げた。見下ろされていた繁雄にしか分からなかったが護人は、笑っていた。その”やらしい”笑顔は、なにか人間離れした恐怖を繁雄に与えた。
「すみません、ごめんなさい。勘弁して下さい」
繁雄は、護人とその背中に隠れている美幸にその場で土下座を着いて謝った。
美幸は、護人の背中から顔出して繁雄を見ていた。震えが止まらず、まだ、瞳が潤んでいる。
「どうする?こいつも更に痛い目に合わせるか?」
「いえ、もういいです」
美幸はそう言いながら、護人にぺこりとお辞儀をした。
「それより、私を助けようとして怪我をした人も居たんです。その人にも謝って欲しいです」
美幸は村上の事を気にしている様であった。
「それは、俺は知らないが、おい、おまえ!この娘の言う奴に今度会ったら、ちゃんと謝れよ!そこの二人にも言っとけ」
護人は、繁雄と気を失っている谷田と未だに苦痛に藻掻いている岡部に目をやった。護人は、村上の事は見ていなかったらしい。
「はい!わかりました」
繁雄は土下座を続けながらそう答えるしかなかった。
「本当にありがとうございました。あの・・・」
美幸が護人に何か言おうとした時、今までジャケットの袖に隠れて気づかなかったが護人の右手首にある、見慣れない装置が「グィン、グィン、グィン・・・」と電子音を発した。ちょっと大きめのブレスレット型のそれが、部分的に僅かに発光して、音を発していたのだ。
「ほう、見つけたみたいだな!」
護人は右手首に着けているその装置を見ながらそう言うと、土下座する繁雄の頭を踏みつけた。
「あっ!」
美幸はちょっとびっくりして、声を出した。(そこまでしなくても)とちょっと思ってしまったようだ。
「君はもう帰んな!」
護人は、少し乱暴な感じで美幸に言った。
美幸はなんだか、護人が怖くなって「はい!」と言ってしまい、駅に向かって走り出した。後で名前や連絡先を聞けなかった事を美幸は後悔した。
(でも、あの人の腕に着けている物から電子音がしてから、何かあの人の雰囲気が変わったみたい)走りながら美幸は思った。
「おまえのその頭は、タコに似てるから他の二人に比べて、手加減してやったんだぜ。ありがたいとおもいな」
護人は、繁雄の頭を踏みつけながらそう言うと、そのまま繁雄の頭を踏み台にしてジャンプした。誰かが冷静に見ていたら驚く様な、とんでもない距離を跳躍した護人はそのまま、人混みの中へ消えて行った。
「ぐへっ!」
繁雄は、頭に衝撃を受け、鼻を思いっきり道路で擦った。鼻の頭の皮膚が裂け、そこからにじみ出る、糞まずい血の味を口の中いっぱいに感じながら繁雄は、携帯を取り出し、電話を掛けた相手は、”蟹田武蔵”であった。
暫くして、警察官数人が現場に着いた時には、繁雄も谷田も岡部もその場には居なかった。数カ所に血の流れた後があったが警察官は、始めからそれが目的だったかの様に素早く洗い流し、すぐに引き上げた。
その様子を現場から少し離れた場所から見ていた一人の黒いスーツ姿の男が居た。
その男の名は、大山雷飛と言う。
「ふぅ、なにが目立つ事無くだよ・・・世話が焼ける」
大山は、ボソっとそう言うと携帯を取り出し、誰かに電話を掛けた。
「此処での騒ぎは無かった事にしてくれ。現場にも徹底させるんだ」
そう言って電話を切ると護人の消えた方角に歩いて行った。そして大山もまた人混みの中へ消えて行った。
警察官も居なくなり、何事も無かったかの様な、その現場に居た通行人らしき誰かが言った。
「さっき、喧嘩あったよね?」
「そうだっけ?」
「そうなの?」
「あれ、暴力団みたいな奴等が誰かに倒されてなかったっけ?」
「よく見てなかった」
「まぁ、いいや。もう帰ろうぜ」
少し時間が経つと、もう誰も此処で何かがあった事など話題にしなかった。