水滴 Optimistic admiration
藍は五年前から『Dogmacula』の一員として、生きている。
『Dogmacula』はストリートチルドレン達が命を保つために集まる、主に集団犯罪を目的とした組織である。
約20年前に十数名で発足。その後穏やかに団員は増加、活動内容も多様化し、今では国家が危惧する程の集団と化している。
構成員は全員が未成年であり、そのほとんどが戸籍を持たない。
そして、構成員はーー例え当人が罪を犯しておらずとも、国が殺処分する対象となる。
元々、居るはずのない人間、生きている粗大ゴミなのだから、そこらに転がっているだけで処分されるのは当然とも言える。
構成員に未成年が多い理由は2つ挙げられる。
一つは構成員のほとんどが前述のように殺処分される、犯行中に殺害されるなどの理由で成人する前に死ぬからである。
強盗中に現れた警察官に射殺されて、数人の小班全滅など、割とよくある話だ。
もう一つの理由は、成人してしまえば、奴隷として大企業に勤めることができるからである。
この国において、大企業達は国家を斡旋するほどの権力を握っている。
そして、この国の大企業は例外無くある一族によって経営されており、企業に勤めることはそのまま一族に従属することとなる。
優れた能力を持つ、いわゆるエリート社員を除く大多数の社員は入社時に戸籍を奪われ、新しく作られた戸籍を与えられる。なので、戸籍を持たない者でも紛れ込むことができ、国家よりも強い権力を持つ企業の保護下で生きることができるのだ。
大抵仕事は他者の殺害やサンドバック、当たり屋や売春婦などになるが、警察に追われる心配がなく粗末だが自分の定住所も手に入る。
『Dogmacula』の、凍死と隣合わせで国内を浮浪したり、常に神経を張り巡らせて銃を隠し持つ生活よりはいくらかマシだ。
もちろん、そう大差はないのだが。
藍は薄暗いシャワールームの中で、静かに目を閉じていた。長い間捨て置かれ、外装はボロボロになっている廃墟だが、元々が医療施設だったためか内部設備は上等であり、再び電気や水道を通すとそれらは誤作動を起こすことなく働いてくれる。
『Dogmacula』の手に入れた、汚れた金を受け取ってくれる業者達がいるおかげで、藍達は冷たい暗闇の中で震えることなく生活出来ている。
街路の隅で凍えながら生きてきたストリートチルドレン経験者達にとって、温かいシャワーを浴びることは、それだけで過酷な日々を生き抜く希望となる。
体を温める湯は、どんな言葉より深く心に染み渡る。
勿論、コスト面の問題から毎日・全員が使えるわけでは無く、希望者の中で日頃稼ぐ額が多い者が優先されるのが定例となっている。
藍は人並み程度の活躍しかしていないが、その生い立ちや能力が特殊であり、ある種有名人だということから、使う権利を譲られた。
毎日希望するもののなかなか使用権を得られない、まだ幼い子供達もいる。彼らがすさまじい目で凝視している中で服を脱ぐことに、罪悪感、その他の感情がすさまじかったが。
藍はシャワーを使うことが少ない。『Dogmacula』がこの廃墟病院を本拠地としてから二年半ほど経つが、今回で三回目の使用である。
けして温かいお湯が恋しくないわけではない。が、極度に落ち着いた性格のせいか、あまり率先して利用しようとは思わなかった。
そんな藍がシャワーを使うのは、今回も例外でなく、心の中で不安と苛立ちが混ざったような重い靄が渦巻く時だ。
藍は俯いたまま、青い瞳を開いた。照明がかなり抑えられた室内では、白いはずの個室の壁さえ薄暗い青に見える。荒んだ青、繊細な青に。
華奢な少女の身体に降りかかり、滑り落ちていく水滴の感触は、藍の脳裏にとある記憶を呼び覚ました。
藍は五年前、スカウトされる形で『Dogmacula』に加入した。
当時の『Dogmacula』の拠点近くにあった街で、ストリートチルドレンとして街人から金品を騙し取って生活していることを、『Dogmacula』の幹部の間で評価されたらしい。
丁度秋の終わりの寒さに辟易し、冬の生活に悩んでいた頃であり、唐突に現れた少年の雰囲気が、と言うか間抜けさが何となく気に入ったので、藍はとりあえず入団して、イヤになったら抜け出そうと決めた。結果として、五年間経った今も未だに働き続けているとは想像できなかったが。
その日の事である。
当時の『Dogmacula』拠点は、今の廃墟ほどではないが大きい、郊外のスーパーマーケット跡だった。蛙モチーフのマークのデザインが独特に古臭かったので、恐らく大企業に負けて倒産した、地元の企業のスーパーだったのだろう。
その屋内の広さに、少女が呆然としていると、スカウトしに少女を訪れた、どこか能天気な少年が駆け寄ってきた。大きな窓から差し込む光が、その全身を照らす。
「おまたせ。とりあえず報告に行ってきた。君の準備ができたら改めてもう一度来いってさ」
少年は呆れるほど無邪気な笑顔で、無表情の少女に話してくる。
ああ、男は餓鬼だって何処かで聞いたけど、本当なのかも。と、心の中で呟いた。
「・・・・・・行けるから、早く済ませよう」
「ん?もう準備済み?じゃあ行こっか。えーと、俺は君を何て呼べばいいの?」
無表情を返すと、少年は困ったように言った。
「あ、名前ないか。そりゃそうだな。名前何がいい?」
「名前なんて、要らない。貴方が私を名前で呼ぶ必要も、ない」
少年は凄く驚き、そして藍に柔らかい口調で言った。
「えっと、君が俺と出来るだけ話したくないって言うなら、俺も無理に話そうとはしないさ。だけど、さ。ここには溢れるほど人がいて、しかも厄介なことに四六時中一緒になる。名前持ってないと、なんて言うか・・・その・・・生きて行けないぞ、多分。」
「・・・そういうものなの?」
「そうだよ、わかった?」
藍は無言で目線を逸らした。それを了解と取ったらしく、少年は顔を明るくさせて言った。
「で、名前は何が良い?」
「・・・・・・別に、何でも」
「ええ、俺が決める?責任重大だなぁ」
少年はうー、うー、としばらく唸り、考えた後突然閃いたように言った。
「よし!君は今日から藍だ!その綺麗な目の色!俺は刃汚だ!よろしくな!」