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Dogmacula  作者: 芦静一
Part 3
25/26

藍色 Nocturne for Cheater

 鼓動の高鳴りに酔った頭が痛み出す。目の前にそびえる扉が実物より遙かに大きく見え、押しつぶされそうになる。そんなに幅の広くない廊下には藍以外の人影もなく静かだ。その静寂に、冷や汗が滲み出る。

 (そもそも、どんな顔であいつに会えばいいんだ?)

 緊張はしている。それこそ、今にも演技の仮面を脱ぎ捨て叫び出しそうなくらい。ところが、心が重くなるような、不安は感じられないのだ。

 そもそも、藍がここにいる目的は復讐でもなんでもない。ただ、ラジオから流れる声越しに神矢由に呼ばれた気がしたからだ。

 『Dogmacula』を滅ぼした少年が憎くないか。そう聞かれれば、少なくともノーとは言えない。ただ、それだけが理由で、二年間も自分を封じ込めて潜んでいた訳ではなかった。

 ただ、見てみたかった。

 全てを失って途方に暮れた藍は、自分の人生をかき乱した少年が自分を見てどんな表情をするのか、最期に見てみたいと思った。そして、その気まぐれとも言える好奇心に、残された全てを賭けたのだ。

 馬鹿馬鹿しい。我ながらどうかしていると思う。そして、そんな自分に少し笑みがこぼれる。いかにも私らしいロクでもない、最高の人生じゃないか。誰かを騙しきって驚く顔が見たいなんて。

 いつしか緊張が消えていた。死の待つ部屋への戸も、元の大きさに戻っている。眩しく照りつける照明を見上げながら、いつも五月蠅(うるさ)くつきまとってきた少女の事を思い出した。今頃自分の部屋でくつろいでいるだろうか。今更別れを告げなかった事を悔やむ。だが、これで良いのだ。自分との日々を、良い思い出にするわけにはいかない。例え憎まれてでも、蒼麻という存在を忘れてもらわなければならないのだから。優秀な彼女の人生まで壊してしまう訳には行かない。

 ふぅ、と息を吐き、そしてまた目の前の扉を睨んだ。

 (さて、最期の舞台を始めるか。何の意味もない、終末のシナリオを)


 扉に手をかけて力を込めると、開いたその隙間から何とも言えない圧迫感が溢れてきた。そのまま、一息に扉を開け放った。

 どことなく薄暗いような無駄に広い室内の、入り口から遠いところで、その男が椅子に座っていた。それ以外には殆ど物が見あたらない。壁際に幾つかの家具が並べられている位だった。

 自分の座る椅子なども当然なかったので、少年の前まで移動し、そこで立っていることにした。

 「よく来てくれた。処理班の死神、蒼麻」

 その顔、その表情には、見慣れた少年の面影が確かにあった。少なくとも外見は、あまり昔のそれと変わっていない。身長が伸びたにも関わらず、どこか頼りない脳天気そうな雰囲気は直っていなかった。その姿をつい勢いで睨んでいると、神矢由が不意に口を開いた。

 「そんな怖い顔しないでくれ、死神と言ったのが気に障ったのなら謝るから」

 どうやら、中身もそんなに変わってはいないらしい。

 「お宅の方が年上ってのはわかってるが、立場ってものもある。だからここは対等な関係で行こう。な?」

 (どんだけ下手(したて)だよ・・・こっちはお前の従者だぞ)

 内心呆れているのを顔に出さず、あくまで冷たい目で神矢由の次の言葉を窺う。

 「ええと、今日お前を此処に呼んだのは、あることを頼みたいからだ。俺が二年前この家に帰ってきてから、ずっと野宿民の駆除を続けてるのは、お前ももう知ってると思う」

 藍は小さく頷く。折角の安全圏から抜け出して、毎日のようにホームレスの駆除に赴いていることは、既に奴隷の中でも常識と化していた。今日宮殿内にいることに微かに驚きを覚えたくらいだ。

 「今、お前だけに伝えよう。それはフェイクだ」

 突然の言葉に、とりあえず息を飲む。

 「俺はずっと『Dogmacula』の中で、スパイとして働いてきた。数日なんて期間じゃなく、それこそ団員達と家族同然になるまで」

 藍は自分の頭の中で、不穏な言葉達が渦巻いているのを感じた。静かに、力の入った拳を開く。

 「だから、父上も兄貴達も俺を疑っていた。心変わりして自分達を襲うんじゃないか?ってな。なんせあちら様は金を持て余した神様。俺はそれになりすました溝鼠。いくら目の前で仲間を撃ち殺すところを見たって、被害妄想を止めるには不安が残るらしい」

 藍は布の奥に隠した口を閉ざしたまま、静かに考える。この言葉が罠である可能性について。

 相手は何年もの間、藍を含めた『Dogmacula』を騙しきった男である。流石に自分の正体がバレたとは考えにくいが、この対面式が蒼麻という男に対しての正体を暴く罠である可能性がある。

 「だから、俺は完全にあなた方の忠実な駒ですよ、と信じてもらうために、この二年間罪もない子供や浮浪者を狩り続けた」

 自分が秘密を暴露することで、相手に辺りには誰もおらず相手は自分を信用していると思いこませ、相手から真実を引きずり出した瞬間に種明かし、止めを刺す。藍がかつて何度か使った手であるので、神矢由は藍がこの手法を見破る可能性があると知っている。

 考えられるのは三つ。

 神矢由は本当に純粋に蒼麻という男に真実を伝えている。

 神矢由は蒼麻という男の化けの皮を剥がすため、演技をしている。

 そして、神矢由・・・・・・刃汚は、蒼麻が藍だと解っていて、その上で何かを伝えようとしている。

 「だが、全て仮面だ。俺は別に彼らの存在が害だなんて思っていないし、駆除したいとも思っていない」

 次の言葉に耳を澄まし、そして絶句した。

 「全ては一人の女の子の為だ」


 「彼女は『Dogmacula』唯一の生き残りで、二番目の兄貴を殺した張本人。そして、俺が救いたいと思った初めての人だ」

 間違いない。

 こいつは私が藍だと気づいている。

 藍は嫌な汗を感じると同時に、どこか安堵した。神矢由なら、刃汚なら自分の存在に気づいてくれると、どこかで期待していたのかもしれない。

 そんな表情を認め、刃汚は藍に告げた。

 「藍・・・なんだな?」

 藍は顔を覆っていた布をゆっくりと剥いだ。鈍い青の瞳が空に浮かび、冷たい空気が頬を突く。そして、何百日ぶりに声を発した。

 「手の込んだことしやがって・・・お気楽野郎のくせに」

 「へへっ、良かった。ある意味今日の会は賭けだったからな。間違ってたら蒼麻に恥ずかしい色恋話を聴かせるところだった」

 ふっと、少年の身体から緊張が抜けるのが見える。

 「刃汚・・・・ここには本当にアンタしかいない訳?」

 「え?ああ、そうだけど・・・・」

 「そう。なら・・・」


 藍は隠し持っていた拳銃を少年に突きつけた。

 「色々と訊かせて貰う。その後は私が決める」

 解れた身体がまた硬直する。顔に正直な驚愕が貼り付いている。

 「どうして・・・」

 「当たり前。味方を皆殺しにされて、お前の為だって言われて、それで無かったことにできるわけない」

 刃汚はその言葉を聞いて少しうなだれた。

 実際、藍の中でもどうしてこうなっているのかは、正しく把握出来ていない。

 頭の中では確かに今言ったような刃汚に対する憎しみがあった。だが、その一方でこんな事、する意味もないのに、何をしているんだ。こんな銃直ぐに降ろしてしまえ。そんな、どこか甘い気持ちがあった。

 そして、そんな風に識別することさえ出来ない程混沌とした赤紫の感情が、頭の中で竜巻のように暴れていた。

 「・・・覚悟してた。最初から、全部、お前に話そうと、そう思ってここで生きてきた」

 冷たい空気が身体の汗を凍り付かせていく。

 「何が訊きたい、藍」

 「お前は・・・」

 問われて言葉に詰まった。口の中が乾いていく。訊かなければいけないことは嫌になるほどあって、だからこそそれを上手く言葉に直すことが出来ない。溢れそうな感情を押さえつけるだけで、気が狂いそうだ。

 「結局、お前は・・・誰だ」

 「神矢由だ。正真正銘、お前の嫌う神矢家の一員」

 「本当、なんだな?」

 「ああ、そして『Dogmacula』の刃汚でもある」

 短い沈黙が流れ、そして、再び藍は訊く。

 「なぜ、私達を・・・お前自ら壊しに来たんだ?」

 神矢由は少し考え、そして藍の眼を見据えた。

 「俺が行きたくて行ったんじゃない。勝手に左遷されたのさ」

 「跡取り候補の、お前が?」

 「別に珍しくもない。兄貴達だって遠征してホームレスの駆除に向かうんだ、ましてや俺は、真の跡取り候補ではないし・・・」

 「どういう事?」

 少年ははっと顔をひきつらせ、そして左右に首を振った。

 「今は言えないし、お前には何の得もない情報だ。こんな事を聞きたい訳じゃないんだろう」

 俯き、そしてその答えに一応の納得をつける。

 「つまりお前は、神矢家の紛い物だった。だから捨て駒にされた。こういう訳?」

 今度は頷いた。真偽はまだアヤフヤだが、現状を考えると最早そんなことはどうでも良かった。

 「なら、二年前『Dogmacula』を潰す事だって、お前の策略通りだってことか」

 策略、という言葉に少し眉が動くのが見えた。

 「避けようとは思った。努力もした。だけど、俺があそこに送り込まれた時点で、もう全てが手遅れだった」

 「でも、あの日、せめて皆にそのことを知らせていれば、こんな事にはならなかったはず・・・」

 その声を聞いて、神矢由は静かに黙り込んでしまった。今更後悔を始めたのか、藍から目を反らし、足下を見つめている。

 そんな、情けない鼠のような姿に、藍の中の感情が反応し、活性し始めた。

 「アンタ、結局自分の為じゃない。言い訳ばかりしてるけど、みんなを殺したのは紛れもなくお前自身だと、わかってるんだろ?」

 言葉を噛み殺しながらこちらを何か言いたげに見てくるその顔に、藍の中で何かが破れた。

 「ねえ、最初からわかってたんでしょ? 『Dogmacula』はいつか自分が皆殺しにするって。なら何で、なんで私をスカウトした?私を死へと導いた?」

 言葉は止まらない。抑圧された自我は、歪んだまま少年に突き立てられる。

 「それだけじゃない。聞いた。酒屋から私を外に出したのがアンタだって。あの時、なんで私を助けてくれなかったの?後は自分で何とかしろなんて、出来るわけないじゃない!」


 「わかってるよ!」

 不意に少年が怒鳴った。それは藍を威圧する(たぐい)のものではなく、押し詰まった感情が爆発した、虚しい叫びだった。

 「俺がどんなに馬鹿で、間抜けで、そのくせお節介な幸福野郎かなんて、俺が一番良くわかってる! お前等と一緒にいて、いつも思ってた! なんで俺は恵まれてるのに、誰一人救うことは出来ないんだって! いっそ恵まれない人生を歩みたかったと思ったさ!」

 「知らない! 結果皆死んだ! 私を残して! こんなことなら私を、あの時殺してくれれば良かったのに!」

 「五月蠅(うるさ)い!」

 声を荒げる少年の姿が、いつしか溢れる涙でぼやけていた。自分の無様な呼吸が意識を揺らす。互いに本能のざわつきを吐き出すだけで精一杯だった。それがわかっていて、虚しくて泣いた。

 「・・・てよ」

 少年の口から、呟くように言葉が漏れる。

 「撃てよ! 俺が悪いんだろ! 俺がお前の為にやってきたことが、お前を苦しめてたんだ! もういいさ! 命でも何でもくれてやる!」

 怒号の残響が聴覚を麻痺させる。理性も感情も本能も曖昧な、熱を持った心が全身を突き破りそうだった。

 カタカタと音を立て、震える手で再び照準を合わせる。

 警告、崩壊、激情、追憶、悲鳴。

 脳裏で様々なものが蠢く中、藍は瞳を閉じた。


 殺せるわけがない。

 自分を何度も裏切って、人生を狂わせた、それでもまだ、愛しい仲間だった。

 静かに、宙に浮いた藍の両手が下がっていく。銃口は無機なフローリングを指した。

 涙が落ちる目を開くと、刃汚が椅子の前に立っていた。

 どこか気の抜けた表情で藍を見つめ、そして何か言おうとしたところで


 不意に世界全体が不可思議に廻った。天井が遠くなり、視界から少年が消える。

 一瞬遅れて、耳を破る銃声が聞こえた。

 何が起こっているのか全く理解できないまま、目をひたすらに動かす。身体の感覚がない。ただ、鮮血の匂いが鼻を突く。

 「藍!」

 少しして、視界に何かが映った。男のようだ。手には拳銃を持っている。男が、扉の陰から、部屋の中に入ってくる。

 「やりましたよ、由さん! こいつ、なにか怪しいと思ってたらやっぱり・・・」

 その後の言葉は、刃汚の放った銃弾によってかき消された。一瞬で男の頭は空気となり、そして身体は抉れた首元から赤い液をまき散らして、回転しながら地面に倒れた。

 「藍!大丈夫か!」

 初めて、自分が撃たれたのだと悟った。奴隷の一人が自分を怪しみ、そして、神矢由に銃を突きつけているところを目撃した。隙だらけの自分を殺さない手はない。 

 視界に少年の顔が映る。胴体を支えられ、視界が再び動いた。自分の腹部から滴り落ちる血液が、フローリングを染めていくのがちらっと見えた。


 もう、自分は助からないだろう。

 そう自覚すると、一気に意識が遠のいた。手を伸ばしても届かないようなところに、光が待ち受けているのが見える気がした。もはや、手を伸ばす気力もないのに。

 「藍! 藍!」

 顔の横で刃汚の声が聞こえた。顔を傾けると、その顔が見えた。

 どこまでも純粋な目だった。どこまでも懸命な声だった。


 どうして、もっと早く気づかなかったのだろう。

 私は、刃汚を問いつめたかった訳じゃない。

 ただ会いたかっただけだったんだ。

 私の、大切な人に。


 少年の声も輪郭を失い、世界から色が消えていく中、藍はその左手を、感覚もないまま傍にいる少年の頬に当てた。喉から声を絞り出す。

 「あり・・・がと・・・」

 視界は闇に溶け、そして世界は消えた。

 少女の青い目が、再び開くことは無かった。

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