漏日 Stimulator
街路樹が夕焼けに染められる頃、藍は人通りの少ない街の闇の方へと歩みを進めた。心地よさとよくなさをごちゃ混ぜにした音楽が漏れてくる。ラジオを大音量で垂れ流しているのだ。不況の中、貴重なラジオを皆で共有する。世界に腐るほどある貧困者の巣の中で、ここは滅法治安が良いらしい。これも恐らく街にほんの少し自由が残っているからだろう。支配されつくした人間は、支配以外の全てを忘れてしまうから。
ホームレスと言っても、様々な種類がある。子供から老人、男から女、カラフルな服、半死体。真新しい服に身を包みこれからの生活に真っ青になる若者がいると思えば、明日辺り来るだろう死に目を輝かせている老婆もいる。
藍はそんな堕落者たちの隙間を通り、誰も周りにいないよう廃ビルの奥に座り込んだ。漂う音楽が重厚で滑らかなジャズへと移行する。その旋律にうっとりと目を閉じた所で、神矢圭に付けられた腹部の傷が痛みを告げた。リラックスする隙もない。ゆっくりと皮膚がめくられるようなその痛みに顔をしかめながら、両手を地について這うように移動する。
「お、どうした新入りちゃん?」
必死に肩を叩くと、元気の良い声を上げて日に焼けた肌の少女が振り向いた。
「ご・・・めん、痛みどめ・・・分けて」
「おうおう、大丈夫か?」
少女は自分の荷物を纏めたキャリーバッグの中を粗雑に漁り、小さな小箱を取り出した。救急箱だ。
「こっちも余裕あるわけじゃないけど・・・そうも言ってられんな! その様子だと注射の方だな、待ってろ!」
テキパキとした動きで、少女は藍の押さえる脇腹に針を差し込んだ。液体が体内に押し込まれていく。
長めの黒い髪から覗く、まっすぐ真剣な眼差しとその素早い手際が、森の中で死んでいった少女に重なり、少し頭の中が重くなる。
「完了っと、おや? どした?」
「・・・いや何も」
「? ま、いいか。それにしても、その傷、どこで・・・あ、訊かれたくなかったか?」
曖昧に頷くと、少女は取り乱して必死に謝った。
「ウソ。別に、銃で撃たれただけだしね」
「銃・・・銃かあ。痛いんだろーなー。私、まだ撃たれたこと無いからさあ。なんか、憧れたり!」
いや、もう気が狂いそうになるよ。と、答えることはせず、藍はとりあえず少女に感謝を告げた。互いに名前を知らないハズだが、それでもここまでの待遇をしてくれる。便利と言い切るのも躊躇われるほどにお人好しなスラムだ。
「お、気にしなさんな! 無理しすぎないように気を付けな!」
少女はいそいそと救急箱を赤い鞄の奥へと詰めていき、その途中で再び藍の方に視線を向けた。
「そういやオマエ、どこから来たんだっけ?一週間くらい前からここに居るよな?」
「あ、えーと。家出・・・?」
ほおっ、と相槌を打ち少女はさらに尋ねてくる。腹の痛みに耐えながらだったが、どうやら嘘は通じたようだ。やはり自分の能力には少し自信を持っても良さそうだ。
「嫌になったのか? 人間関係が。家族が。借金が。愛人の束縛・・・」
「違う違う。てか、なにその選択肢?」
「よく小説とかで見るじゃん。出て行かせて頂きます的な!」
「違うからね・・・?」
きゃははっ、と無邪気に笑う少女の次の言葉に、藍の息が詰まった。
「んで? 幸せだった?」
考えたこともなかった。明日の事ばかり目に入って、昨日の事など微塵も見ていなかった。頭に雷が落とされたような衝撃が走った。
少し考えた後、答える。
「・・・うん」
「ならなんで家出だ?」
「追い出された、から・・・」
少女の目がまっすぐ青い瞳に突き刺さるような気がした。それは鋭く光り、でもとても温かかった。心の中で、懐かしいような感情が蠢きだす。
「ま、ここにいろよ。皆、オマエの仲間だし。んで、いつか帰れる日が来たら、笑って帰れ。」
なんとなくその眼が直視できず、藍は視線を逸らせた。心臓が熱を持って呻いていた。
その夜、適当な食事から帰って来た藍を、昼間の少女が迎えて来た。
「お、帰って来たか!」
「ん、どうかした?」
「オマエ、神矢財閥の何なんだ!?」
突然の言葉に、返事が出ない。ただ危機感と嫌な汗だけが虚空からあふれ出る。
「どう言う・・・?」
「はやく! こっち来いよ! 今ラジオで神矢の四人目とやらがオマエの事を言ってる!」
長くは続かない平穏に、ようやく亀裂が入った。




