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Dogmacula  作者: 芦静一
Part 2
17/26

光芒 On The Marble

 ついに、藍は弥撒のーー弥撒だったであろう肉の塊までたどり着いた。

 藍がそれを少女だと認識したのは、聖の証言と、近くに置いてあった大きなクマの縫いぐるみからだ。食堂前に一陣の風が吹き、藍を冷たく撫でていった。もちろん腐敗臭と共になので、全く爽やかではなかった。

 藍は、すっかり固まったその遺体を見て、何とも不思議な気持ちに駆られた。『Dogmacula』での日々の中、もし弥撒が死んでしまったら、自分はどうなるのだろう。きっと二度と立ち上がることは出来ないのだろうな。そう藍は考えていた。だが、実際こうして死んだ後の彼女を見てもーー文字通り完膚なきまでにズタズタにされているからかもしれないが、大して情動を感じない。ただ蜂やバッタが死んでしまった位の感動しか残らないのだ。

 もう、いないんだな。改めてそう思うと胸の奥に締め付けられるような痛みを感じたが、それでも想像していたもの程ではなかった。きっと、自分の感覚はどうにかしてしまったのだろう。

 涙を堪えることもなく、藍は縫いぐるみに視線を移した。

 (どうしよう、本当にここで死んでしまおうか。その方が、随分と楽そうだし)

上着の裏に入れた拳銃が音を立てた。自分で自分を殺すために持ち出した、鉄の塊。それが少しだけ意識の中で色を増した。

 なんとなしに、縫いぐるみの毛が立った生地に触れると、その軽い弾みで縫いぐるみの目玉がこぼれ落ちた。一瞬、藍は不意打ちに悲鳴を上げそうになる。

 (!・・・・っと、びっくりした)

 地面に落ちた青いビー玉は、リノリウムの床の上を滑り、壁に当たって跳ね返った後停止した。

 (なんか、ネムに悪いことしちゃったなあ)

 片目を失った、まさに死ぬ前の聖のような縫いぐるみに心の中で謝罪しつつ、青のガラス玉を拾おうとしたその時とき、廃墟から遠くの方で地面を揺らすような雷音が鳴り響いた。

 藍は、一瞬呼吸することも忘れて、呆然と床に転がるビー玉を見つめた。今自分が見たものが信じられない。純粋な驚愕に思考も固まっていた。そうしている間に、もう一度、雷が落ちた。

 大きく開けた窓のある食堂から、雷の光の一部が扉のガラス越しに廊下に漏れ出す。その光は丁度ビー玉を照ら

す。透明なビー玉から生まれる薄青色の影が、

 確かに精密な鷹の紋章を描いていた。

 全身が急激に冷えていくのを感じた。頭の中でいろいろな言葉達が、目の前を理解しようと這いずり回る。あれは確かに、幼い日に見た神矢家の紋章だ。それがネムの目のガラス玉に刻まれている。となると、弥撒が・・・・いや、そうじゃなくて、あの縫いぐるみは確か。

 そうだ、刃汚がある日拾ってきた物だ。藍自身もその日その姿を見た記憶がある。

 刃汚は神矢一族と繋がっている。

 (いやいや、刃汚にはそんなこと・・・・)

 藍は、自分の頭の中に浮かぶ可能性に首を振った。刃汚が神矢家の縫いぐるみを持ってきた。これは揺るぎない事実だろう。しかし、あの間抜けな少年が、神矢の内通者など、出来ると思えない。休日に無理やり給仕係の後輩に手伝わされて、厨房でパプリカを切っているような奴なのだから。おそらくどこかのゴミ捨て場でたまたま拾ったか何かだろう。

 とにかく、と藍は濃い青のビー玉を拾い上げ、ズボンのポケットに入れた。あれは見間違いではなかったか、と自分を疑い始めた時、再び確かめるためだ。


 その時、遠くの方でガラスの割れる音がした。

 鋭く高い破砕音に筋肉が強ばる。一瞬で心臓が破裂しそうになる。不思議なもので、さっきまで死んでしまおうかと思っていたのに、不意に身の危険を感じてしまった身体は生きることを離せなくなったらしい。それに、藍は『Dogmacula』の生き残りとして、あのビー玉の意味を知らずに死ぬわけにはいかないと、そう感じてもいる。

 だが、何処から、誰が何をして、そしてどこに逃げれば良いのか。全くわからない。少し迷って、藍は食堂の扉を開け、中に飛び込んだ。少なくとも音はそちらの方からは聞こえなかったし、一階の裏口は全て塞がれているはずだ。

 正面玄関に向かうには、今来た道を戻る必要がある。このままでは音の原因と鉢合わせになりかねない。二階の窓から外に飛び降りることは、体の状態上出来そうにない。残った出口は、厨房内のダストシュートしかなさそうだ。

 一息つこうと藍が立ち止まった矢先、音もなく廊下で何かが舞い上がった。綿だ。どうやらネムは眼球を失った上、腸をまき散らされたらしい。

 (冗談じゃない・・・・)

 藍は素早くカウンターを飛び越える。興奮物質が脇腹の痛みを忘れさせていた。厨房の中で男の怒号を聞いた。

 「青い瞳の子よ! 今すぐ姿を現せ!」

 (何なんだよ、一体!)

 銃声がなかったところをみると、恐らく神矢一族の、それも跡継ぎ候補の三兄弟のいずれかだろうか。その内、明らかに三日前と声音が違う三男の神矢圭ではないだろう。最有力候補の長男がこんなところに出てくるとも思えない。それを言ってしまえばそもそも、こんな事に神矢兄弟が出てくるのさえ不可思議ではあるが、おそらくは次男の神矢英だろう。噂によると、異常なまでの神道信仰者であるらしい。正義とやらのためにここまで来る事も、考えられなくはない。

 藍はそこで、何か記憶の中に引っかかるものを感じたが、そんな事に気を取られている訳にもいかないので出口の事を考えることにした。膝を折ってカウンターに身を隠す。

 ダストシュートは厨房の一番奥だと、聖は言っていた。そこまで、なんとか気づかれずに行きたい。

 その瞬間、背後で金属製の調理用具が、音を立てて床に叩きつけられた。しゃがんだまま背後をむくと、空中に包丁立てなどを備えた網上のボードを釣っていた、S字の金具が歪んで弾き跳ばされている。堅い床に鋭い包丁の切っ先が突き刺さり、刃を光らせている。もしあの下に隠れていたら。冷や汗が首筋を滑った。

 (冷静なうえ、腕も並じゃない!?クソッ、ボンボンはそれらしく甘やかされてろよ!)

 「これ以上逃げ回るなら、安楽死は保証できないぞ。三秒以内に出てこい。さもなくば正義の名の下に、その心が改まるまで、苦しみながら死ぬことになるぞ!」

 部屋の中に入ってきたらしい男が、無駄によく通る声で言う。その男の気味が悪いほど整った声は、台詞は、藍の生存本能を激しく呼び起こした。

 (へえ・・・・・・間違っているんだ、私は・・・・)

 藍の脳内から、さっきまでの死へ向かう心の揺れは消え失せていた。

 (こんな奴の前で無様に死んでたまるか!絶対に生き延びる!)

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