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00:例えば僕が羊でも

その日は、寒々しい海辺に俺は立っていた。

陽は高く、蒼天は押し潰されそうなほどに青い。それでも、純粋な悲愴を湛えるその光景は――あれほど切望していたにも拘らず――俺にとって、恐怖以外の何物でもなかった。

波の轟音に鼓膜を震わせていると、ふいに、声が聞こえた。静寂に水滴が落ちるように、冷たく鋭利でよく響く声。

見てはいけないと知りながらも、視線は波打ち際を辿り、座り込んで泣く人間を捉える。

それは少女の形をしていた。それは朽ちてゆく植物と同じ色の髪を持っていた。

“――壊れる”

少女に似たものは、滂沱の涙を流しながら、俺を振り返った。

“貴方は、生きていてはいけなかった”

まるで傷付けられた兎のような瞳で、茨の言葉を口にする。

もう聞くのは何度目だろう。尋ねるのも何度目だろう。

無駄だと解っているのに、訊かざるを得ない。俺が俺を自覚し続ける限り。

“変えられないのか、それは”

幼稚な問いだった。“それ”を、どう呼んでいいのかすら、見当も付かなかった。

少女は答えずに、涙に濡れる瞳を海面へと落とした。

“貴方が生きてしまっているから、――世界が壊れる”

泣きたくなった。理由など知れている。俺が馬鹿だからだ。

少女は爪先から泡を出し、ゆっくりと大気に溶けてゆく。

“殺されし御子。――そこから動かずに、見届けよ”

その夢の中では、いつの日の空も、残酷な色をしていたのを、俺はずっと憶えていよう。




「――以上が神話の基礎です。本当はもっと難しいようですが、私が憶えていないのでここまでにしましょう。伶韻が風邪だと困りますね。次は現在の法の――………王子、聞いておられますか?」

「――……あ、寝てた」

舞台は白亜の壮美な城の中。

この城、名を厭きる程に持つ城で、その美しさからゼラフィランサス城(学名は“輝く”“美しい”の意)だの、主の人望の厚さからデルフィニウム城(あなたは幸福を振りまくの意)だの、はたまたその御尊顔の余りの美形っぷりから百合の城(言わずもがな)だの、国民の花好きを如実に表した名で好き勝手に呼ばれている。

しかし、これは主自身、“俺の城”としか呼ばないから仕方ないとも言える。

その城主、トァン・スヴァローグ王国又は瑛国第一王位継承者のルーク王子、二つ名を緋月といい、また国民からはサラフィエルと呼ばれ崇められる彼にも、やはり名は多い。

表舞台に出てきてから僅か三年足らず、今や国民全ての希望の星であり、莫大な財と信を持つ彼は、この夏、やっと十四歳に手が届かんとする頃だった。

「……王子。菓子はどうやら御不要なようですね」

「そう怒るなよ、羽陽。今の今まで気付かなかったお前も相当なアホだと思うが。しかし、俺はいつもその話を聞いて疑問に思うんだ。なぜ、領土も経済力も人口も大して変わらない国同士の間に、階級が必要なのか。甚だ無意味なことだろう?」

立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花と、万人がそう評価する彼の姿は、他に類を見ない程麗しい。

美貌の王子緋月は、少しばかり眉を顰めて、真摯な眼差しを己の育ての親に向けた。

この眼差しに騙される人間も多いのだと知っている靖州将軍羽陽も又、爽やかに微笑む。

「寝ながら話を聞けるとは素晴らしい特技をお持ちですね。それは神にでもお聞き下さい。私が意見を言うような類の問題ではありません」

「またそれだ。俺が何故と聞けば、お前は神にお聞き下さいという。そんなにあのキンキラキンな龍が好きなら、修道女にでもなればいいんだ」

「この体で修道衣が似合うとでも?」

「修道衣……はッ!あはははは!想像してみたら、案外いけるぞ!ちょっとばかし、常軌を逸した巨体のレディではあるがな」

ルークの快活な笑い声に、羽陽の背後に控えた当のシスターたちも淑やかに笑みを零した。

「王子ならば、王妃様のお着物も、よくお似合いで御座いましょう」

「ええ、私たちはシスターの皇子も大歓迎ですよ」

「しかし、この修道衣は王子にとって、少し地味で御座いましょうね。薔薇色にでも変えていただきましょうか」

「お待ち、エアリエル。ピンクの修道衣では羽陽がキツイ。どうだ、ここは一つ、余す所なくゴールドとアメジストで飾るというのは」

王子の愉しげに細められた瞳を見たシスターたちも又、顔を見合わせて含みのある笑みを浮かべた。

「それで背には銀龍の豪奢な刺繍で、信仰心をこれ以上ないほど表すのですね」

「それはいい案だ。放っておくと何処かに行ってしまう地方の暴走族を連想するな」

「まあ、ならば当然、御髪はモヒカンかリーゼントですよね。それ以外は許しません」

「それだけでは粗野に過ぎるわ。ミニ縦ロールを作るというのはどうでしょう」

「素敵だわ!勿論、手には鳳凰の羽で作った扇を持つのでしょうね」

「足元は網タイツがよろしいかと」

「リーゼントの上にウサギ耳をつけたら愛らしいでしょうね」

「モヒカンの場合は大変だわ。そうだわ、天使の羽も付けたらどうでしょう」

「まあ、なんて可愛らしいの!」

「決め台詞は、跪きなさい、愚民共!になさいませ」

「あら、家畜共にした方がよろしいのでは」

止まる所を知らないシスター達の他愛もない会話に、ルークはひたすら笑い転げ、午後の厳粛な授業は、どうやら終わりを告げた。

今日も進まなかった、と深々と溜息を吐く将軍の横で、ふいに、若年の王子は空を仰ぎ眩しそうに目を細めた。

「――ああ、羽陽」

雲一つない深く高き蒼天に、ただ一羽風を凪ぐ、純白の鳥を目で追う。

「白い鷹が飛んでいる。――いいことがあるぞ」

その姿が、あまりに幸福そうで。

背後では敬虔な筈のシスターたちの不毛な会話が続いているが、それも彼の笑みの一つならば、少しくらいは見逃してやろうと、羽陽は微笑んだ。

「ええ、佳き日にならんことを」

どうかこの幼く、未だ夜明けのままの少年の往き付く先が、光で満ちているように。

白皙の美しい翼は、瞬きをする間に、彼方の空に消えていった。

浅縹は、“あさはなだ”と読みます。

よく晴れた日の空の色だそうですが、これはそんな爽やかなお話ではありません。

とりあえず、登場人物は一様に痛いです。

読んでくださり、ありがとうございます。

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