逃げる決意、その準備
手紙の文字は,滲むように震えていた。けれど、書いた本人に迷いはなかったのだろう。
その筆跡は、冷たく、乾いた憎しみだけが、紙から伝わってくるようだった。
ー-『姉さま皇太子さまと婚約ですって?ふざけないで。あなたが死ねば全てまるくおさまるのよ。』
震える指で、私は手紙を握りしめた。間違いなく、あの子レティシアだった。
何気ない顔で「お姉さま大好き」とほほ笑む彼女が、こんな文面を私に送ってくるなんて。怖気よりも、妙に納得してしまう自分がいた。
思い出すのは、これまでの小さな違和感。私の持ち物がなくなった日。足を滑らせて階段から落ちた日。なぜか使用人が入れ替わった事。
あれらは偶然じゃなかった。
「これは、ただのいじめじゃない!」
殺される。
未来視で見た、あの最悪の未来が、現実のものになろうとしている。
あの時と違うのは、今の私には逃げる選択肢ができたこと。
「逃げなきゃ。生きなきゃ。まだ、死にたくない。」
決意はあっけなく生まれた。
泣いてなんていられない。守ってくれる親も家もない私が自分の未来を守るには、もう自分で立ち上がるしかなかった。
まず、必要なのは準備。
私は部屋の隅のクローゼットを開け、古い衣装箱の裏から、かつて母が残した『魔道具セット』を取り出した。
母は、魔法に詳しかった。私は、その素質を少しだけ受け継いでいる。
「変身魔法…外見を変える、記憶に残りにくくする…あった、これ!」
魔導薬の瓶を一本取り出し、小さく震える指でふたを開けた。
中身を薄く光る緑黄色の液体。これを肌に塗れば、一時的に髪や目の色を変えることができる。
鏡の前にたち、そっと薬をほほに塗る。
するすると色が広がり、私の金髪がくすんだ栗色に変わっていく。
明るい青の瞳も、少し落ち着いた灰色へと沈んだ。
「…ふふ、これで、別人…だよね。」
笑ったつもりが、唇はひきつっていた。寂しさがないわけではない。むしろ胸がぎゅうっとしていた。
でも、生きてこそ。
そして、もし本当に未来が変えられるのなら…きっと新しい出会いや幸せだって、待っているはず。
「鉱山…宝石…そう、あそこなら…」
あの時、偶然見つけた『未来のビジョン』に映った、鉱山の美しい宝石。
あれを使えば、資金の確保もできるし、逃亡先の足掛かりになる。
問題は、どうやってそこへ行くのか?
町へ出て、商隊にまぎれる?
でも、私の顔を知っている物がいるかもしれない。
だったら…変装のまま、旅人として雇われる?
「…いや、それより安全なのはー-」
私はクローゼットの奥から、古びた旅人のローブと帽子を取り出した。
これなら、貴族の娘と思われない。
ただの使用人崩れ、行き場をなくした浮浪者のように見える。
「ふふっ…これなら、だれも私ってわからないよね」
自嘲を含んだ笑みとともに、ローブを羽織った私は、ひとつ深く息を吐いた。
変わるのは、外見だけじゃない。
私は今、この瞬間から“ただのお嬢様”をやめる。
生きるために、強くなる。
「さよなら、」
これで、婚約も。
何も言わなかったことに、少し胸は痛む。
アル、うぶで優しくて面白い皇太子殿下だったな。
私は、夜明け部屋から抜け出した。
まだだれも目を覚まさない静寂の中、ひとり、足音を殺して歩き出した。
わからない
この先、何が待っているのかなんてわからないけど、未来を変える為に行動あるのみ。
ー-この先、自由を手に入れていきていけるのか?
それとも、誰かに見つかってしまうのー-?




