#7 ネリア・シャンダルク
「バンクロイド中尉には、ジャグと正式なコンビを組んで貰う」
そのエグゼールのひと言で、オフィスの中に沈黙が流れた。
「「は?」」
意味がわからないと非難を孕んだベルベットの声に、困惑したニコルの声が重なる。アマンダはわずかに首を振った。
「何を考えているんですか! 今のやり取りを見ていなかったんですか。最大のストレス要因とコンビを組ませるなんて、まともな考えとは思えません!」
鼻の頭まで赤くしたベルベットが涙に声を震わせる。「ストレス要因」と指差されたニコルの方も、そこは頷かざるを得なかった。まったくもって、彼女の言う通りだと思った。
そもそも、小型犬のように吠えかかってくる女技術者と、AIの面倒を見る役目など真っ平御免だった。
「不服かね?」
「僭越ながら、小官はその任務への適正に欠けると思われます」
両手を腰の後ろに組んだニコルが、エグゼールに向かって高らかに宣言する。わざとらしい軍人口調がふざけていて気に入らないのか、ベルベットがニコルを睨んだ。
一体どうすればお気に召すのか、天井を見上げたニコルは途方に暮れた。
「では聞こう。ジャグと戦って、君はどのように思った」
「機体の反応速度と射撃精度は大きな脅威です」
これまで多くの味方が墜とされているのだから、それはいまさら論じるような事ではない。
さらに「ですが」とニコルは続ける。
「人工知能の動きには独特の癖があり、そこに我々人間のつけ込む隙があります。俺を含むアッセンブルのパイロットが対UAV戦で戦果を上げているのは、それを見抜くセンスと対処する技量を兼ね備えているからだ、というのが俺の持論です」
エグゼールは頷いた。ニコルの考え方は、彼のそれに等しかった。
「その通りだ。では、君はそれをジャグに教えろ」
この戦争に無人機対無人機の局面を作り出したいならば、現状のジャグを量産すれば事足りる。
しかしそれでは、数において優る敵に勝つことができない。敵より多くの戦力を揃えて勝つのが戦略の本道。しかしそれが叶わない以上は、少数の戦力によって多数の敵を駆逐する者が必要だ。
それがアッセンブル・スペシャルオーダー。
この航空特殊部隊は、エースパイロットの集中運用によって敵に打撃を与えるのみならず、敵UAVを超える自律戦闘用AIを育成、量産する事を目的にしている。
「君たちは我が軍の誇るエースだ。その君たちが束になっても敵わない人工知能を作り出し、以てこの戦争を勝利に導く」
それが航空戦術ロボット計画。
「鳶が鷹を生むという言葉があるが、鷹である君たちからは何が生まれるのか。それを私に見せて欲しい」
「自分を殺せる機械を育てろと? そんなのまともじゃない」
「こちらがやらねば、敵がそれをするだろう」
こうしている間にも、人工知能は学習を重ねて進歩を続けている。今は生き残っている君も、いつかはその照準に捉われる時が来る。
そうなる前に、それ以上の対抗策を自分たちで作り上げる。
「それが、我々に残された唯一の活路だ」
「……」
エグゼールの言うことは現実感が希薄で、戦争という現実的な事象に夢物語を持ち込んでいるように感じる。しかし、理屈は通っているとニコルは思った。
撃墜されたアイクの顔が、続いて黒犬のエンブレムが脳裏に浮かぶ。ニコルが腹を決めるのに、そう長い時間は掛からなかった。
深く大きなため息をつくと、ガリガリと頭を掻いた。肩の力が抜けると、急にシャワーと冷えたコーラが恋しくなった。
「了解です、大佐。やれるだけの事はやりますよ」
「ベルベット、ジャグ。君らもそれで構わないな?」
「コンゴトモ、ヨロシク、お願いします。バンクロイド中尉」
まだ熱暴走が収まらないのか、普段の流暢さを失ったジャグが答えると、その機械らしさにニコルが苦笑を洩らす。
ようやく泣き止んだベルベットは、不承不承という感じでそれを承知した。
話はついた。早く部屋に戻ってシャワーを浴びたい。ニコルが退出しようとしたその時、オフィスのドアがノックされた。
※
エグゼールの返事を受けて入室したコールネーム“ラビー”は、顔面に不満の二文字を貼り付けていた。
「申告します。ネリア・シャンダルク中尉、本日付けをもって仮設一九空軍基地、アッセンブル・スペシャルオーダーの所属となります!」
細身の、だがパイロットらしく筋肉質の体をフライトスーツに包んだ女性パイロット。肩から怒気を揺らめかせた彼女は、ズカズカとニコルの横に並んで敬礼をした。
日焼けした肌とシャープな美貌。ネリアのエメラルド色の瞳は烈しく光っている。
「ようこそスペシャルオーダーへ、シャンダルク中尉」
「どうぞ、お手柔らかにお願いします」
エグゼールに挨拶を済ませた女パイロットは、横に立つニコルに棘のある視線を向けた。
「それで、やっぱりあんたなのね。ニコル・バンクロイド」
「なんだ、さっきの連絡機はネリアだったのか。久し振りだな」
「ネリアだったのか、じゃないわよ。敵機に追われて死ぬ思いをしたと思ったら模擬戦のレフェリーをやらされて、一秒でも早く申告を済ませて休みたいと思ったら、オフィスの中では女の子が泣いてて、とても入れる雰囲気じゃない」
「そいつは気の毒に」
「全部あんたのせいでしょ!」
ネリアの肘で突かれたニコルの体がくの字に折れた。
「それに、さっきの空戦。相変わらず無茶な飛び方して。あんな調子じゃすぐに死ぬわよ」
「そう言われ続けてはや数年、ご覧の通り元気にやってるよ」
今度はニコルの肘がネリアを突いた。
「しかしネリアのコールサインが“ラビー”ねぇ」
「文句でも?」
「すぐに噛みつくわ引っ掻くわ、ウサギってより山猫の方が似合ってる」
「何ですって!?」
掴み掛かろうとするネリアに、ニコルが降参と両手を挙げる。その様子を面白そうに眺めるエグゼールと冷ややかに見つめるアマンダ。まだニコルに言いたいことがあるのに、口を挟めないベルベット。
その時、基地内に警報が鳴り響いた。
《警戒エリア内に複数の敵UAVが侵入。迎撃体制を取れ》
「ほら敵が来た。仕事の時間だ!」
シャワーもコーラも、ニコルは諦めた。
しかし、ベルベットに吠えられた後はネリアに噛みつかれ、その間にもアマンダの視線を浴び続けた横顔には低温火傷を負っている。そんなニコルにとって、この警報は天の助けに等しかった。
「バンクロイド中尉。迎撃任務にあたります!」
ニコルが言うと、エグゼールが鷹揚に頷いた。続けて黒い筒に「行けるか?」と声を投げると「了解」と答えが返る。ジャグは調子を取り戻したようだった。
「バンクロイド中尉!」
「何よ、逃げる気⁉」
「ボクの話はまだ……!」
戦略的撤退。アマンダとネリアの、そしてベルベット怒声を背中に聞いて、ニコルはその場を逃げ出した。