#5 ドッグファイト
スチールのロッカーとソファセットとローテーブル。壁に掛かったカレンダーの中では水着姿の美女が波と戯れ、その隣には真新しいダーツ板がある。
《管制塔よりシエラオスカー07、08、戦闘哨戒を終了して帰投せよ。今日はこれでアガりだ》
《07、了解。ったく、弾も燃料もギリギリだ》
《08、りょーかい。ストでも打ちたい気分だ》
《08、兵士にストの権利はない》
《わかってんだよ……》
任務を終えたフランクとマーフィーの分隊が、スピーカーの中で管制塔とやり合っている。
格納庫に隣接するアッセンブルの待機室で、リナルドがやれやれと溜め息をついた。
「あのふたりが愚痴るのもわかる」
敵の攻撃を一九基地へ誘引。他の戦線への敵の圧力を緩和して、友軍の戦線再構築を助ける。そのエグゼールの戦略を成立させるには、アッセンブルの脅威を敵に認識させる必要がある。
そこで、ニコルを含むパイロットたちには、昼夜問わずの稼働が強いられていた。
基地への爆撃を阻止した日から三日と開けず、ほぼ連日の出撃が続いている。
二年間の苦戦を生き延びた古強者たちも、長時間の緊張状態と、身体に大きな負担が掛かる空戦の連続に疲弊の色が濃い。
「生存率が上がっても、こうも出撃が続けば同じ事だぞ」
ソファーにふんぞり返ったリナルドは、両腕を伸ばして体をほぐしながら「これじゃ、命が幾つあっても足りん」と苦笑した。
先のブリーフィングでは「腕利きと組めば生存率があがる」と不敵だったヘックス――元はリナルドと同じ教導隊の仮想敵機だった男は、ふんと鼻を鳴らした。
「機体の前に、こっちがスクラップになる」
精密機械の塊が空を飛ぶのだから、戦闘機という兵器はとにかく整備に時間が掛かる。本来ならば、そうそう連戦できるものではない。
それがこのアッセンブルでは、パイロット一名に対して三機の機体が充てがわれて、常に出撃可能な態勢が取られている。
初めはビデオゲームよろしく「残機三」などと笑ったヘックスも、自分の迂闊さを苦々しく噛み締めていた。
「参謀本部直轄だの特務だのと大層な事を言われているが、所詮は少々出来のいい捨て駒に過ぎない。しゃかりきになって敵機を落として生還しても、待っているのは次の激戦区だ」
そう言って顔をしかめるヘックスには、ジュニアスクールに上がったばかりの娘がいる。このようなつまらない戦争で死ぬわけにはいかなかった。
「大佐はこの基地に敵を呼び込むつもりらしいですけど、正気とは思えませんよ。それに付き合わされる僕らは、とんだ貧乏くじだ」
そう笑ったのは、隊で最年少のマット・カールスタイン中尉だった。
「あーあ、休暇が欲しいなぁ」
航空戦技アカデミーをトップの成績で卒業したエリートだ。もしこの戦争がなければ、空軍のアクロバットチームに抜擢される予定だったこの若者は、基本的に陽気で発言に裏表がない。
「バンクロイド、お前はどうだ?」
「俺には好都合だよ。借りを返したい相手もいるんでね」
壁際のスツールに座っていたニコルは、リナルドに話を振られると、読んでいたペーパーバックから顔を上げた。
「黒犬……か」
この部隊に配属される直前、ニコルが相棒を失った話は他の者も知っている。そして、神出鬼没の黒いナバレスの噂は、パイロットたちの中ではすでに噂になっていた。
「この部隊で敵を狩りまくれば、奴も出てくる」
「王国のパイロットは素人揃いで有名だが、アレはどうやら別格ってやつだ。気をつけろよ」
「ええ」
ヘックスの忠告に頷いたニコルは、再び紙面に視線を落とした。
「バンクロイド中尉って、ちょっと無口ですよね」
「一〇八戦術飛行隊のバンクロイドって言えば凄腕という評判だ。命令違反の常習者だそうだが、あの様子からは想像もできんな」
声を潜めるマットにリナルドが肩を竦める。
「皆さんもお疲れとは思いますが、体調管理にはお気を付けてください」
ローテーブルの上の黒い筒――ジャグの言葉に、その場の誰も答えを返さなかった。
ニュースを読む男性アナウンサーのような声は壁に吸い込まれ、室内にはエアコンのルーバーが動く音しか聴こえない。
ジャグは赤いランプを点滅させて応えを待つが、パイロットたちは一瞥もせずに黙殺した。
この連続出撃の中で、疲れを知らないジャグだけはほとんどの戦闘に参加している。代わる代わるに全てのパイロットと共に飛び、僚機をフォローするポジションに就き、なおかつ戦果を上げている。
しかし、リナルドを始めとするパイロットたちは、それが面白くない。
仲間を撃墜し、友軍を痛めつける人工知能を搭載した戦闘機。命令だから一緒に飛んではいるが、その人間離れした機動や精密な射撃を見るたびに、そんなものに頼ってたまるかという対抗心が湧き上がる。
仮に戦えば自分が勝つ。その自負心が、侮りの形をとって表れていた。
命令と報告が機能すれば事足りるのだから、機械を相手に雑談などする必要はない。ましてや機嫌を取るなどもってのほか。
誰が言うでも始めるでもなく、ジャグへの対応が冷淡になったのは、アッセンブルのパイロットたちにとっては自然の成り行きだった。
※
「当基地へ向けて飛行中の連絡機がエリアE9にて会敵。09及び00は至急救援に向え」
待機室のスピーカーが鳴る。無言で立ち上がったニコルが格納庫へのドアを開いた。
機体に電源ケーブルを接続する。ミサイルの安全タグを抜き、機銃弾を装填する。走り回る整備員の間を抜けて、ニコルはコクピットへのタラップを上がった。
しかし、バラクーダがエンジンを始動する頃には、ジャグのストームチェイサーはすでに動き始めている。
《そっちの方が足が早い。俺を待たずに友軍機を救援しろ》
一秒の遅れが仲間の死を招く。ニコルの指示に《ラジャー》と返したジャグが飛び立ち、約六〇秒の遅れでバラクーダが離陸した。
《方位〇四二。敵の進路に割り込んで友軍機を追わせるな》
再び復唱したジャグが加速する。それを追うニコル機はジリジリと距離を離される。
無関心と無理解が、両者の間を隔てている。
抜けるような青空の下、二機の描く飛行機雲は、どこまでも水平に走っていた。
※
《こちらラビー。敵機と遭遇して追跡を受けている。救援を求む》
《こちらシエラオスカー・コントロール。いま迎撃機を発進させた。ラビーは進路そのまま、合流せよ》
味方からの淡々とした返信にイラつきながら、ネリア・シャンダルク中尉は自分の不運を呪っていた。
敵の勢力圏を充分に迂回したはずが、予想外に進出していた敵の偵察機に発見された。
それに呼ばれて飛来したのは、ジェット装備の空戦型UAV“ドラゴンフライ”が三機。時速六〇〇キロ程度のターボプロップ機では、到底逃げ切れない。
《直進したら丸焼きになるわ、回避コースの指示を!》
《ジャグよりラビー、間もなく視界に入ります》
その声を聴いたネリアはレーダーを見たが、友軍機らしき機影は見えない。しかし背後では、三機の敵がこちらを射程に捉えつつある。
機械の視線が背中を這う感覚に背筋を粟立てながら、ネリアは脱出装置に手を掛けた。
《間に合わない、ロックされる!》
ロックオン警報が鳴るのと、レーダーの一二時方向に光点が現れたのはほぼ同時だった。
正面から来た何者かが、機体の形も視認できないスピードですれ違う。一瞬遅れた衝撃波に連絡機の機体が激しく揺さぶられ、ネリアは操縦桿にしがみついた。連絡機の後ろに割り込んだ、恐らくは友軍機がフレアを射出する。赤外線誘導を騙された三機のミサイルは、高熱を発する火球を追って進路を逸らした。
《なに、今のは!》
ネリアが慌てて振り返ると、撃墜された敵機が四散するのが見える。全てが一瞬の出来事だった。
《一機撃墜。引き続き脅威を排除します》
《バスターよりジャグ、護衛対象から離れるな》
《FOX2》
ニコルからの指示と同時にさらに一機を撃墜したジャグは、反転して逃げ出した最後の一機に追い縋って止めを刺す。
《空域クリア。安全は確保されました》
どうにか助かった。遅れてやってきたバラクーダが視界に入り、ネリアがほっと息をつく。
《助かったわ。ありが……ぅわぁ!》
《勝手な事をするな、何様のつもりだ》
感謝の言葉を押し殺した声で遮ったニコルが、ネリアの真横を超音速でかすめ飛ぶ。
衝撃波に激震する連絡機の操縦席で、強気で鳴らす女パイロットが悲鳴を上げた。
《俺は離れるなと指示したはずだ》
《あの場合は撃墜する方が安全でした》
ニコルの突進をジャグが躱す。一旦離れた二機の戦闘機は、大きく旋回して間合いを取った。
的確な判断と精密な射撃。本来、空戦AIとしてのジャグは、指示がなくても独自の判断で戦闘を行う事を求めて設計されている。それに加え、AIに対して冷淡なアッセンブルのパイロットたちは、連携はおろか指示すらまともに出さなかった。
結果として彼は常に単独で戦った。そして、それが最善という判断を下していた。友軍の邪魔にならなければ、それで良いと考えていた。
《それを決めるのは人間だ》
片やパイロットたちにしてみれば、勝手に飛んで勝手に戦果を上げるジャグが気に入らない。共に飛んでもこちらのコントロールを受ける素振りがなく「勝手にさせろ」という風にすら受け取れる挙動を見せる。
この齟齬が、友軍の救援というデリケートな局面において爆発――否、暴発した。
《お前に俺が墜とせるか? 戦えば自分の方が上だと思ってるだろう》
《失礼ながら、一対一の戦闘で戦った場合、ワタシの勝率は九五パーセントです》
《上等だ、掛かってこい》
《お断りします》
ジャグの回答を挑発と解釈したニコルが、旋回を小さくしてロックオンを狙う。困惑したジャグは逃げ回る。
《コントロールよりジャグ、交戦を許可する。そこで決着をつけろ》
管制塔では、面白がるようなエグゼールの後ろでベルベットがやめろと喚いている。アマンダは溜め息とともにこめかみを指で押さえた。
待機室では、パイロットと整備員たちが賭けを始めた。この会話を基地中に流したのも、無論エグゼールだった。
《ラビー、済まないが立会人を頼まれてくれ》
《どうしてあたしが⁉》
《君が一番近い》
《……了解》
撃墜の恐怖から解放されて、一秒でも早く着陸したかった。へたり込んで滑走路にキスをしたかった。それが、戦闘機同士の決闘に巻き込まれる事になるとは。
まったく今日は厄日だと天を仰いだネリアの前で、ストームチェイサーとバラクーダが交錯した。
※
《00、コンバットオープン》
《その澄まし顔に吠え面をかかせてやる》
先手を取ったのはジャグだった。
正面からやり合えば良くて相打ち。一度すれ違った両機は旋回の輪を狭め、定石通りに背後を狙い合う。
レーダーを照射してのロックオンか、機銃に連動したガンサイトに相手を捉えればこちらの勝利。人間の操る、しかも旧式の機体を相手に敗れる要素はない。エンジンを全開にして逃げるニコルを、機銃の射程に収める。照準が相手を捉えれば、この馬鹿げたゲームも終わりだ。
しかし、ジャグの予測に反してニコルは粘った。捉えたと思うとその矢先に進路をずらし、速度に緩急をつけて照準を定まらせない。
《どうした、目にゴミでも入ったのか?》
全速で逃げていたニコルが、機首を上げて急減速した。真後ろに迫っていたジャグは間一髪でそれを回避する。
ジャグの反応が遅ければ衝突確実の危険行為と引き換えに、今度はニコルが背後を取った。
空対空ミサイルの赤外線シーカーを向けられたジャグが真横へ跳ねる。機体を立てて急減速し、さらに相手の背後を狙う機動だった。
しかし、ニコルはそれを読んでいた。
《ガン、ガン、ガン! 撃墜判定だ》
背中を晒したストームチェイサーを照準して、ニコルが撃破を宣言した。
ロックオンで人工知能特有の超機動を誘発し、その先を撃つ。そのニコルの戦術にジャグはまんまとハメられた。
《09の機動は安全性を著しく欠いて……》
《ドッグファイトに安全もクソもあるか》
《ワタシが避けなければ衝突して……》
《計算の内だ。お前らAIと戦うってのは、そういう事だ》
友軍同士の模擬戦ならば、ジャグの抗弁は成立する。しかしニコルが仕掛けたのは喧嘩であり、実戦だった。そしてこれが本物の実戦であれば、ジャグは空に砕けている。
《……ワタシの、負けです》
《お二人さん。用件はすんだ?》
とんでもない空戦を見せられた。
聞き覚えのある声をしたバラクーダのパイロットは良い技量をしているし、新型機を飛ばしているのは、どうやら人工知能らしい。
しかし、ネリアは感心している場合ではなかった。連絡機の燃料は、すでに底をつきかけている。
《待たせたなラビー。護衛に復帰する》
《どうもご親切に、忘れられてなくて嬉しいわ》
憮然としたバラクーダと、無言のストームチェイサーに挟まれて飛びながら、西の空はすでに紅くなり始めている。
身も心も疲れた。特に心については疲れ果てた。そんなネリアを、滑走路の誘導灯が優しく出迎えた。