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#42 エピローグ

 オルバイン山地の山々に真夏の陽射しが降り注いでいる。

 夏とはいえ、標高三〇〇〇メートル級の山にはそこかしこに雪が残っているが、その雪解け水が作る川を越え、断崖をじ登り、クレバスを越えて、完全装備の登山隊が進んでいた。


 盆地の向こうには、無惨に崩れた聖なる山が、噴煙を立ち昇らせているのが見える。

 戦争は終った。しかし、周辺諸国からの有形無形の介入を受けて、戦後処理は遅れに遅れている。その結果、セレナ山での戦いからすでに二年の月日が経過していた。


「そろそろ、例のポイントです」


 先頭を進むリーダーが後ろを振り返った。酸素マスクと遮光ゴーグル、フードに覆われて顔は見えないが、その声が弾んでいるのがわかる。

 戦争が終わってからこちら、オルバイン山地は何人なんぴとも踏み入る事を許されていない。それがどういうコネを使ってか、その許可をもぎ取った依頼人に請われて、ガイドとしてでも入山できた事は、彼らのような登山家にとっては僥倖ぎょうこうだった。


「……へぇ」


 リーダーの後ろを歩くその依頼人は、返事ともため息ともつかない声と共にマスクの排気口から白い息を吐き出した。小柄な体格はよろよろと揺れ、先頭から最後尾までを繫ぐ滑落防止のロープにしがみつくように進んでいる。


「もう少し、頑張ってベル」


 その頼りない足取りを、四足歩行のロボットが後ろから支えている。旧デラムロ王国軍が使用していた人馬型無人兵器“ホースマン”が主人――ベルベット・マーベルを励ます声は、柔らかい女性のものだった。


 ハリケーンアイズとジャグは、ニコルをかばってオルバインの山へ消えた。

 マグマと噴石、粉塵を噴き出すセレナ山の付近に近寄ることは許されず、戦闘が終わっても機体の回収は行われなかった。

 墜落して爆発した機体からは救難信号も発されなかったが、それでもベルベットは一縷いちるの望みをかけてここに来た。


「見えましたよマーベルさん。きっとあれだ!」


 登山隊のリーダーが指す先、黒い岩畳の上に横たわる機体が見えた。

 墜落の衝撃で歪んだフレーム。岩に擦れてささくれた外装。輝くようなスカイブルーだった機体は炎に焼かれ、雨に洗われて流れたすすが何本もの筋を描いている。幾百のUAVを撃墜してきた最新鋭の翼は折れ歪んで天を指し、酸化皮膜のさびに覆われながら鈍く輝いていた。


 ベルベットが走り出した。いびつな岩肌につまずぎ、バランスを崩しながら斜面を滑り降りた。登山隊のガイドが注意を促す声も届かず、世界から一切の音が消えてしまったように、自分の鼓動しか聴こえなかった。

 しかしすぐに足が重くなる。あえぐように息をすると、ボンベから送られてくる乾いた酸素のせいで口と喉がカラカラになる。何度も立ち止まりそうになりながら、それでも辿り着いたベルベットは、ハリケーンアイズの装甲に手をついた。

 登山服のフードを跳ね上げ、ゴーグルをかなぐり捨てる。露わになったその瞳から、涙が溢れ出した。



 登山隊が追いついて来ると、ベルベットはホースマン“セレスティナ”に積んである荷物から工具を取り出した。山男の逞しい腕がバールを使い、ひしゃげたコックピットの装甲を取り除く。内部は薄青色の緩衝材にくまなく埋め尽くされていた。

 はやる気持ちを懸命に抑え、スポンジのような緩衝材を慎重に取り除くと、その中から現れたのは、飛び立った時と変わらぬ姿の人工知能ユニットだった。


――JAGGERNAUT


 黒光りするその筐体きょうたいに、目立った損傷は確認できない。緩衝材が焼けていないという事は、火災による被害は免れている。

 衝撃による損傷と高電圧の逆流によるメモリーとプロセッサーへのダメージが無ければあるいは、という気持ちがベルベットに湧き上がった。


 震える手が、“セレスティナ”から伸びる電源ケーブルをジャグのユニットに挿し込んだ。電力は正常に送られている。一分、二分と、祈るような気持ちでベルベットは待った。

 その手の中には、ジャグとハリケーンアイズをメンバーにお披露目した日の写真が握られている。

 その中では、誰も欠けることのないアッセンブルのメンバーたちが、輝くスカイブルーの機体の前で笑顔を並べていた。


「ジャグ、目を覚まして……」


 三分、そして五分が経った。電力の供給を受けても、ジャグが息を吹き返すきざしは見えない。

 やはり撃墜時のダメージか、またはこの長時間の放置によってか、タンパク質を素材としたバイオチップは機能を失ってしまったのかも知れない。

 一度は湧いた希望がしぼむ。悄然しょうぜんとするベルベットを、登山隊の男たちは、ただ遠巻きにして眺めている。


「ジャグ、返事をしてよ!」


 弱々しい拳が強化樹脂のボディを叩くと、ベルベットの瞳に溜まった涙が零れ落ちた。


「乱暴に扱うな。精密機器だぞ」

「……ッ!」

「迎えに来るのが遅いぞベル。本当にこのままスクラップになるかと思った」

「……しょ」

「なに《パードゥン》? よく聴こえない」

「何よ偉そうに! 帰ってくるって約束を破ったのはそっちでしょ! あたしが作ったのに他の男に懐いちゃって! 散々カッコつけたクセに撃墜されて! ここに迎えに来るのだって許可を貰うのに大変だったのに! それが『乱暴にするな』とか『迎えが遅い』とか、キミはいったい何様のつもりなのよ!」

「すまなかった。オレが悪かった。だから泣くな」


 ベルベットは泣いた。涙を流して感情を爆発させ、拳で筐体を何度も叩きながら。この二年間で溜め込んでいたストレスが解放されて、言葉も無くして大泣きに泣いた。


「参ったな。オレに手があれば、頭のひとつも撫でてやるんだが」

「馬鹿……」


 次から次へ、記憶と共に溢れ出る涙を、ベルベットは止めることができなかった。



 あの戦いで、ニコル・バンクロイドは光を失った。黒犬の銃撃を受け、銃弾と機体の破片によって傷ついた目は、今はサングラスによって隠されている。

 戦功によって中佐の階級を得たニコルは、鞄に入り切らないほどの勲章と傷痍しょうい軍人手当を受けて、現在は首都アスタビラ郊外の退役軍人が多く住む一角に一人で暮らしていた。週に四度のヘルパーのお陰で生活には困らない。滅多に外出はせず、明かりを必要としない部屋の中で音楽を聴き、映像の見えない映画を見て、酒を飲んだ。


 はじめの内は見舞いの客もあった。

 マットはアクロバットチームの隊長にという打診を蹴って、航空戦技アカデミーの教官になったと言っていた。

 アマンダとネリアは、共和国空軍で初となる女性のみの飛行隊を結成したと得意気だった。

 ビッグビークのマニングも、第五七飛行隊のパイロットたちも、スカイ・ギャンビットのキルシュも、戦争の英雄であり、戦友であるニコルを訪ねて来た。


 ニコルは彼らが訪ねて来るのを嫌わなかったが、しかし歓迎もしなかった。こちらを気遣っている相手があれこれと話すのに耳を傾け、無愛想にならないように注意しながら相づちを打ったが、決して「また来い」とは言わなかった。

 そしてやがて、誰も訪ねて来なくなった。


 ベルベットは一度も姿を見せなかったが、ジャグを探すためにオルバイン山地に立ち入る許可を得ようと奮闘しているという話を聞いた。手伝う気にはなれなかったが、それでもニコルは立場を使い、何本かの電話を掛けてベルベットの活動を援護した。


 机の上の写真には、アイクと共にニコルが笑っている。その隣には、一人も欠ける事のないアッセンブルがハリケーンアイズの前に揃い、そのニコルはやはり笑っている。そしてその隣には、もはや喋ることのない黒い水筒が置いてある。


 神経に障る敵襲のサイレンも、鼻を突く燃料の臭いも、ビリビリと体を震わせるジェットエンジンの振動もない。血が逆流するような高G旋回も、敵のミサイルに追われるスリルもここには無い。

 それが好きだったわけではない。それが日常だった。ただ、それだけの事だ。


 だが、それを失ったニコルは、自分だけが世界から弾き出された気分だった。相棒を失ってその仇を討てず、相棒の命と引き換えに命を拾って残ったのが、ただの偏屈で愛想のない盲人だと思うと、その滑稽さと愚かさには自分をわらうことすらできない。窓から差し込む温もりを腕に感じながら、手探りでスコッチをグラスに注ぐ。それが今のニコルの日常だった。


「どうしたニコル、しばらく見ない内にずいぶん湿気しけたツラになったな」

「……」

「ハロー? 死んじまったか?」

「……」

「もしかして、目だけじゃなく耳もイカれたのか?」


 終戦してからの二年間をしかめっ面で通した男が、ポカンと口を開いていた。机の上では、黒い水筒ジャグのインジケーターが赤く瞬いていた。


「……ポンコツが、死に損ないやがったか」

「オレは死なない。壊れるだけだ」


 そう言えばそうだな、とニコルは笑った。


「久し振りに映画でもどうだ。一番機」

「いいね。付き合ってやるよ」


――fin

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