#39 黒犬
最長にして最後の通過店であるデルタ・トンネル。半円を描くような長いカーブをクリアしたアッセンブルの八機は、ついに空の下へと飛び出した。
《こいつは壮観だ》
一瞬、そこが戦場であることを忘れて、ニコルは呟いた。それぞれに威容を誇る険しい山々でさえ近寄り難いと避けるように、そこだけが平坦な大地が眼前に広がっている。草も木もない砂色の盆地は半径三〇〇キロメートルほどもあり、そのほぼ中心に天を衝くのがオルバインの最高峰にして聖域の主“セレナ”と呼ばれる山だった。
《本当に。でも真ん中のあれで台無しだわ》
アマンダの言葉の意味はすぐにわかった。
時刻が昼に近づくにつれて雲が湧き出し、その切れ目から差し込む光に照らされた山体は、およそ聖域とは呼び難い禍々しさに満ちていた。
標高九〇〇〇メートルの岩山は、その半ばから上半分を万年雪に覆われている。しかし、黒っぽい岩が剥き出しの下半分は、人工の構造物によって侵食されていた。
巨体のそこかしこには穴が穿たれ、そこには対空ミサイルや機関砲の銃座が据えられている。より大きな開口部は、くり抜かれた内部にUAVの発着場や滑走路が建造され、それ以外の山肌にも無数のパイプやケーブルが這い回っている。
そして、中腹から麓にかけて縦に大きく開いた亀裂の中には、マグマの熱を利用した発電システムと、その電力を利用して稼働する金属精錬・精製のためのプラントが稼働していた。
《ラスボスらしくて実に結構》
《セーブポイントはどこだ?》
《……バッカみたい》
TPOを弁えない、ニコルとジャグのいつものおふざけ。そして、これもいつもの呆れるようなネリアの溜息。しかしそこには、誤魔化しきれない苛立ちが滲み出ていた。
《ネリア、マジになるなよ》
《そうやって死ぬ瞬間までふざけてる気なわけ?》
《他はともかく、俺は平気だ》
《また、あんたはそうやって……》
ネリアが言葉に詰まると《それは俺の台詞だぜ》と口を挟んだのはリナルドだった。マットもマーフィも、そしてアマンダまでもが口を揃える。
――他の誰が墜とされても、自分だけは生き残る。
これが、この戦争の最前線で生き抜いたエースパイロットたちに共通する矜持だった。
他の誰にも成し得ない不可能任務をこなし、敵を倒して味方を救い、負け戦をひっくり返すまであと一歩。ここまで来て勝利の美酒を味わわなければ、せっかくの苦労も水の泡というものだ。
《だからお前も、こんなところで死ぬなよ》
《言われなくなって!》
横に並んだニコルが風防越しに手信号を送ったが、ネリアはそれに応えなかった。
《さて、こちらの準備も整ったところで、そろそろ敵の歓迎が始まるぞ》
エグゼールの言葉を聴いて、全員の空気が変わった。こんなところで終わる気などさらさら無い。傲慢と不敵を旨とする八騎のアッセンブルは、ふたつのダイヤモンドを組む。
各々のヘッドアップディスプレイに“標的”と標示されるのは、クラウドブレイカーの射出機だった。
アッセンブルが前代未聞の曲芸飛行を敢行したのは、敵の切り札であるクラウドブレイカーを無力化するためだ。極超音速に加速して広範囲に誘導弾をばら撒く兵器も、本拠地の至近では使用できない。敵の懐へ入り込んでランチャーを潰し、味方の増援を呼び込む道を拓くのが、彼らに与えられた役どころだった。
セレナ山のあちこち、火山から立ち上る白煙に紛れて対空ミサイルが打ち上がり、UAVが射出されるのが見える。レーダー画面はあっという間に敵を示す光点に埋め尽くされた。
《攻撃開始!》
エグゼールの号令と共にスロットルが開放され、全機がアフターバーナーに点火する。要塞と化した火山へ向って、八筋の白い軌跡が加速していった。
※
《ようやくお出ましか……》
コックピットの闇の中にひとつ、またひとつとディスプレイの明かりが灯る。レーダー画面には、こちらへ向けて加速する八つの機影が映っている。
アストック軍の航空特殊部隊、コードネーム“アッセンブル・シエラオスカー”。たった八機の戦闘機さえ撃墜してしまえば、敵の攻撃はもうここへは届かないだろう。残りの有象無象をクラウドブレイカーで一掃し、共和国の首都近辺に弾道ミサイルの数発も落としてやれば、敵は顔を青くして停戦の合意書にサインする。
コンプレッサーの低い唸りが、エンジンの圧力を上げていく。電圧チェック。油圧正常。全武装のセイフティを解除。
黒い機体を載せたトレーが僅かな振動と共に移動する。電磁カタパルトに接続すると、射出のカウントダウンが開始された。
《お前らだけは、この手で仕留める》
推力偏向ノズルの排気炎が赤から青へ変わると、採掘基地の大電力が黒い機体を弾き出した。
前方ではすでに、空戦無人機の群れと共和国の八機が空中戦を演じている。その中にニコルとジャグの姿を確認して、黒犬は小さく笑った。
《……攻撃開始》
※
要塞化されたセレナ山から雲霞の如く湧き出すUAVと、無数に飛来する地対空ミサイル。それら全てを相手にはしていられない。
《03と09の二隊で敵を引きつけろ。他の者は私に続け》
復唱を返したニコルとジャグ、リナルドとマット 四機が敵の正面に突っ込んでいく。UAVの群れがそこに食らいつくのを確認した後で、エグゼールとアマンダ、即席の分隊を組んだネリアとマーフィは、高度を下げつつそれを迂回する進路をとった。
《また撃墜記録を更新しちまうな》
目の前の敵を蹴散らして飛ぶニコルをUAVが追う。それも一機や二機ではなく、一〇機は下らないドラゴンフライの群れが、亜音速の高速旋回で逃げるストームチェイサーに追い縋る。
《これも豊かな老後のためだ》
そのさらに背後から、ジャグのハリケーンアイズが喰らいついた。
翼に装備したウェポンパックが連射する短誘導弾が、曲がりくねる軌道を描いて瞬時に敵を粉砕する。高速回転する銃身が二〇ミリ砲弾を吐き出し、数百発の弾幕がひと塊となった獲物に降り注ぐ。
《老後を迎えられるかどうかが、問題、だな!》
《死ぬ! 死ぬ死ぬ死ぬぅー!》
リナルドとマットのバラクーダも、両手の指に余るほどのドラゴンフライを引き付けていた。最高速度では優っていても、ミサイルが発射されれば一瞬の後には火だるまになる。鳴り続けるロックオン警報に、ベテランらしい落ち着きを見せるリナルドに比べて、逆境に弱いマットは半狂乱だった。
《やかましいぞマット。舌があったら舌打ちしてえぜ》
《酷い!》
ハリケーンアイズが二機のポッドを切り離した。翼を展開して独立飛行を始めた“ドローンパック”が、急機動でリナルドとカルアの援護へ向かう。全長八メートル弱の機体に搭載された三〇ミリ機関砲が、一撃必中の単発撃ちで敵の急所を貫き、一〇機以上の敵をたちまちの内に平らげた。
《助かったぜ、00》
《何だよそれズルくない?》
《どういたしまして。また手が足りなければ言って下さい。後、ズルくはありません》
リナルドの感謝とマットの不平不満を受けて、ジャグの分身が離脱していく。多くの燃料を搭載できない小型機は、ハリケーンアイズと再ドッキングして補給を受けた。
《子供の方は礼儀正しいんだな》
《コイツらはベルベットの躾だ》
《道理で》
そんな無駄口を叩きながら、ニコルは既に相当数の撃墜数を稼いでいる。戦闘機がたった四機で三桁に近いUAVを相手取り、互角どころか優勢に戦闘を進めている。
※
スカイ・ギャンビットでそれをモニターしていたキルシュが異変に気づいた。ニコルとジャグのコンビに接近する戦闘機、レーダーに映る単なる記号のひとつに過ぎないその表示を見て、キルシュの腕に鳥肌が立った。
――デラムロ軍制空戦闘機FFR−11“ナバレス”
これは以前、自軍の前線基地を燃料気化爆弾で破壊し、スカイ・ギャンビットを撃墜しようと迫って来た機体ではないか。
二機の護衛を瞬殺され、トルノとジャグの二人掛かりで追い払った、あの敵のエースではないか。
撃墜の恐怖を味わったキルシュの直感が、そう告げていた。
ニコルとジャグが、そしてリナルドとマットがいかに凄腕と言っても、無数のUAVを相手にしながらあの強敵と渡り合うのは不可能だ。彼等が撃墜されてしまえば、引き付けていた無人機群はエグゼールらに矛先を変え、要塞への攻撃は失敗に終わるだろう。そしてクラウドブレイカーの破壊に失敗した時点で、共和国軍に打てる手は無くなる。
冷静さを旨とするオペレーターが、声の上擦るのも構わずに叫んだ。
《09! 二時方向よりナバレス!》
※
《待ってたぜ、この野郎……》
緊迫したキルシュの声を聴いた時、ニコルに湧き上がった感情は歓喜だった。アイクの仇を討てないままで、この戦争は終われない。この戦場で再び見える事を信じながらそれでも不安は拭いきれず、苛烈な戦闘の中にあってなお、常にその事が頭の中を占めていた。
《ここでケリをつけてやる》
ニコルは操縦桿を倒し、スロットルを全開にする。
その激しい感情が戦場を動かした。
後先を無視したニコルの機動に、それ追うUAVの群れが引きずられる。捩れた帯が細くなるように敵機が密集するその一点に、リナルドとマット、そしてジャグの攻撃が集中した。
狙いを定める必要もない。密集隊形のドラゴンフライが、三機の放つ弾幕に吸い込まれるように被弾し、爆発した機体に後続機が巻き込まれる。バランスを崩した機体同士が接触する。撒き散らされた破片をエンジンが吸い込み、失速した機体は銃弾の餌食になった。
人には不可能な密集状態での戦闘機動。その高度な機体制御が、この時は致命的な結果をもたらした。一〇〇機に近いUAVとそれを操る人工知能は悲鳴を上げる事もなく、荒涼とした盆地に瓦礫となって降り注いだ。
※
《隊長!》
《駄目だ》
ニコルが仇と狙う“黒犬”の出現は、エグゼールが率いる攻撃隊でも確認していた。
多数の無人機と同時にあの強敵を相手にするのは、さすがのニコルでも荷が重い。応援すべきと考えたネリアの言葉を、しかしエグゼールは遮った。
《こちらももう爆撃コースに入っている。自分の任務に集中しろ》
《大丈夫よ、あの男なら多分ね》
アマンダが小さく呟いたのは、ネリアの不安を取り除くためだけでは無かった。
セレナ山の威容はもう目の前にある。距離が近づくにつれて細部が視認できるようになると、そのおぞましさと圧力は、さらにその度合いを増していく。
斜面のそこかしこから照射される射撃管制レーダーが全身を串刺しにするのを感じながら、次の瞬間には放たれるミサイルを回避する。
ポンポンと花火のように打ち上がる高射砲の炸裂から身を躱し、対空機銃の弾幕の前をかすめ飛ぶ。エグゼールもアマンダも、そしてネリアもマーフィも、味方の心配をしていられるような状況ではなかった。
《第一目標。爆弾投下》
身を捻ってミサイルを回避しながら、文字通り針の穴を通すような精密爆撃。マーフィの機体から切り離された爆弾が、クラウドブレイカーのランチャーを木っ端微塵に破壊した。
レーザー誘導爆弾では敵の妨害を受け、高い高度からの投下では爆弾を迎撃される恐れがある。故にエグゼールがメンバーに課したのは、最も原始的で確実な無誘導爆弾による低高度からの爆撃だった。
そしてこのメンバーには、それをやってのけるだけの射爆技術があった。
《ざまあみろ》
狂ったように応射してくる機銃をマーフィーが嘲笑い、四機は次の目標へと狙いを定めた。




