#35 ランバージャック
狼に狙われた羊のように逃げ回るハイランダーズが、一機また一機と数を減らしていく。
動く浮島の東の空には、追うものと追われる者が複雑な軌跡を描き出していた。
《そのまま追い込め》
そして、仲間を失った鬱憤を晴らして嬉々とする部下たちとは異なり、指揮官は狡猾だった。
クラウドブレイカーを封じた上で、ランバージャックの防空設備をさらに破壊するのがアッセンブルの目的だ。人工知能にコントロールされた空戦UAVの大群と、完全自動の対空兵器群との連携が厄介なのは、先のエイシャルハッド戦で嫌というほど味わっている。
そして、それを避ける傘として、敵の有人機はうってつけの存在だった。
五機にまで打ち減らされたハイランダーズが、ほうほうの体で逃げ帰る。そのすぐ背後を嬲るように追い縋るアッセンブルの七機が、そのままランバージャックの防空圏に突入する。
施設全体に警報が発された。
甲板の各所の巨大なハッチが重々しく開放されると、装甲板に覆われた構造物が上昇してくる。それまで更地だったランバージャックの甲板上が、高層ビルの町並みに変貌していく。そしてそのビルのそれぞれが、機銃やミサイルランチャーを備える砲台であり、そしてUAVの射出機だった。
林立する砲口と銃口が敵に指向する。連続射出されたUAVが敵機を目掛けて殺到する。しかし、その攻撃の密度は薄かった。
すぐ背後に迫る敵に恐慌状態のハイランダーズは、躍起になって不規則な機動を繰り返す。その味方に当てまいとすれば、さすがの人工知能も攻撃の手を緩めざるを得なかった。
「空中要塞よりは楽かもな」
「02より09、油断しないで」
「はいはい」
「09!」
アッセンブルのパイロットたちは、その腕前を遺憾無く発揮していた。
大型の爆弾を翼下に抱えた重い機体を器用に操り、でたらめに動くナバレスに張りつきながら、無人機の追跡と攻撃、地上からの対空砲火を歯牙にもかけず、あるか無いかの隙を突いて爆撃する。
撒き散らされた子爆弾が甲板上を火の海と化し、高熱に炙られた武装構造物が誘爆を起こした。
その甲板の直下では、破損箇所の補修と反撃に追われる兵士が爆発に巻き込まれる。各所で寸断された通路に閉じ込められた者は、生きたまま蒸し焼きになった。
「悪魔だ……」
嘲笑うように舞う翼を炎の色に染め、黒煙と火の粉を纏って死と破壊を振りまく。この世のものとは思えないその姿に、デラムロ軍の士官が思わず呟いた。
※
「敵要塞が方向転換。敵は、戦域離脱を図るようです」
アマンダが報告すると同時に、ハイランダーズの最後の一機が甲板に墜ちた。
水面下に装備された水流ジェット推進機が作動すると、甲羅を燃え上がらせた亀のようなランバージャックは、ゆっくりとその向きを変え始めた。
満載していた爆弾を使い果たし、身軽になったアッセンブルの各機が機首を翻す。無数に配備された対空施設は、たった七機の戦闘機による爆撃で破壊しきれるものではないが、纏わりつくドラゴンフライも無数に打ち上がる砲火も、一旦離脱をしてしまえば振り切るのは容易だった。
補給に戻るアッセンブルの機体と入れ違うように、多数の戦闘機が戦域に進入してくる。朝日を背にしたそれらは、クラウドブレイカーの攻撃を逃れた海軍飛行隊の生き残りと、スティングレイの混成部隊だった。
そして、その先頭には基地での補給を終えて取って返したハリケーンアイズの姿もある。
エグゼールは、燃え上がるランバージャックを振り返り、攻撃の合図を発した。
《第三次攻撃、開始》
※
アストック海軍の攻撃型潜水艦《ASS》“コーネリア”は、ナレイ半島の外房の某所、深度一五〇メートルの海底でその通信を受け取った。
秘匿されたドックから人知れず出港し、海底の砂地に着底してから丸四日ものあいだ息を潜めていた。
デラムロの潜水艦隊が辺りをうろつき、盛んにUAVを射出するのを黙って見過ごしたのは、予め定められた作戦行動のため。敵にその位置を悟られるわけにはいかなかったからだ。
「全艦浮上。バラストタンク排水、アップトリム五度、微速前進」
艦名と艦形を刺繍したキャップ。それを被り直しながら指示を出す艦長に、クルーからの復唱が返る。艦体各所に配置されたバラストタンクに圧搾空気が送り込まれ、タンクを満たした海水を押し出す。浮力を得た艦はわずかに仰角を取り、バッテリー動力で進み始めた。
海中で通信を受け取るためのフローティングアンテナを巻き取りながら、防音ゴムに覆われた涙滴型の艦体が動き出すと、周囲を漂っていた魚の群れが弾かれたように逃げ出した。
「……」
ソナー室では、ヘッドフォンを着けた水測員が、身動ぎもせずに水中の音を拾っている。数キロメートル先を泳ぐ魚の種類すら言い当てるその耳は、動き始めたランバージャックの水流ジェットの音を手に取るように把握した。
正六角形の巨体が四基のエンジンを使って方向を変える。こちらに背を向けたランバージャックが一際大きな音を発せば、それが主推進機関だ。
「発射管一番から六番まで諸元入力、装填完了」
「注水完了。発射管扉を開け」
二年前の敵の奇襲を免れて以来、沈められた友軍の復讐を果たすこの機会を待ち望んでいた。出港を間近にして壊滅した艦隊の無念を晴らすのは、いまこの時をおいて他にない。
「一番から四番発射。三〇秒の後に五番六番発射」
そう命じる艦長の声は冷静そのもので、そこには一欠片の感情も籠もっていないように思える。
それを復唱する副官にも、コンソールの発射ボタンを押す水雷長も、機械のように定められた手順を遵守している。しかし、誰かが口の中で呟いた。
「行け……奴らのケツを蹴り上げろ」
※
嵐の通り過ぎたあと、朝の海はまだ荒れていた。その高波に舳先で斬り込むように、二隻の艦が疾走している。
嵐が収まった夜半に命令を受けて出港し、そこから作戦のタイミングに間に合わせるには、四基のガスタービンエンジンが悲鳴を上げても最大戦速を維持しなくてはならない。
三五ノット――時速にして六五キロメートルで走る艦が、波に乗り上げて跳ねる。自らの巻き上げた水柱で甲板を洗いながら走る艦内は、最大四五度を越える傾斜で揺さぶられる。しかし、それに不満を漏らす乗組員はひとりとして居なかった。
艦隊が無人機の襲撃を受けたあの日。出港の直前になってエンジンに不具合を生じた巡洋艦“アーチボルド”は、屋内ドックの中にいた事で難を逃れた。デラムロ軍は民間人の巻き添えを嫌って軍艦のみを標的に設定し、あらゆる地上の建造物は攻撃の対象外だった。
ミサイル駆逐艦“ファーレイン”は、UAVの放った対艦ミサイルを甲板に打ち込まれた。艦首の速射砲とミサイルの垂直発射システムが使用不能となったが、空襲をいち早く察知した艦長の機転と卓越した操舵手の技量によって、湾外へ逃れることに成功した。
艦隊のたった二隻の生き残り。一時間にも満たない空襲で多過ぎる仲間を失った彼らは、生き残った幸運を喜ぶ言葉を投げかけられても、素直に受け止めることができずにいた。
背中にへばりついて離れない後ろめたさを洗い流す。今日がその日だと、全乗組員は決意していた。
《第三次攻撃開始》
作戦の第三段階を告げる符牒を受信した時、全速力で半島を回り込んだアーチボルドとファーレインは、岬の陰からその姿を表した。
「全艦に達する! 艦対艦ミサイル戦闘用意!」
「空軍とのデータリンク接続。目標、敵メガフロート“ランバージャック”」
「撃てぇーッ!」
艦内にサイレンが鳴り響いた。
水平線の向こうにいる敵の姿を視認できないのと同様に、艦に搭載されたレーダー波も惑星の丸みの向こうを捉える事はできない。しかし、水上要塞の攻撃ポイントをジャグから受け取ったアーチボルドとファーレインは、ありったけのミサイルをそこへ向けて発射した。
甲板のハッチが開き、わずかの時間差をつけて一六機のミサイルが垂直に打ち上がる。左右舷側のランチャーが巡航ミサイルを釣瓶打ちにし、艦尾の発射管が艦対艦ミサイルを吐き出した。
塊になったミサイルの群れが、嵐の去った青い空に白い噴射煙を引いて飛び去る。ライフジャケットを着たアーチボルドの艦長は、艦橋の窓から双眼鏡を覗いた。
甲板に出てきた乗組員たちが敬礼でそれを見送る。その中の誰かが、思い切り指笛を吹いた。
「これでも食らいやがれ!」
※
《まったく、ヒト使いの荒い職場だ》
文字通りの身を焦がす活躍で、クラウドブレイカーから仲間を守った。その後はすぐに、ソルベラミ基地へ取って返した。そして、燃料弾薬の補給をして電子戦パックを搭載したジャグは、また戦場へ取って返していた。今度の任務は海軍飛行隊とスティングレイのお守りだ。
《これじゃあ身体が幾つあっても足りん。戻ったら労働環境の改善を……っと、おいでなすった》
ランバージャックの防空圏に接近して、ジャクはボヤきを引っ込めた。
北東方向からは、友軍の艦の放った多数のミサイルが飛来している。さらに下を見れば、魚雷の航跡が水面のすぐ下を一直線に走っているのが見える。
正面からは、無数のドラゴンフライが向ってくる。スティングレイがそれを迎え撃つと、海軍飛行隊の編隊がその脇を猛スピードで通り過ぎた。
整備や補給で地上にいたのが幸いして、クラウドブレイカーの攻撃を生き延びたパイロットたちは、恨みを込めてトリガーを引いた。
《花火の礼だ。くたばれデカブツ》
空軍と海軍の、完全にタイミングを合わせた飽和攻撃だった。
方向転換を行う四基のジェット推進に、そして主推進力となる大型ジェット推進にも魚雷が襲い掛かる。高性能炸薬が生み出す水中衝撃波は、デリケートな推進システムの機能を容易く奪い去った。
身動きの取れなくなったランバージャックに、アーチボルドとファーレインが、そして戦闘機隊の放ったミサイルが、急降下するカツオドリのように降り注いだ。
その完璧な射撃管制を行ったのがジャグだ。
殺人を禁じられた人工知能は、有人兵器を攻撃できない。より厳密に言えば、人間を害する可能性があれば攻撃を行うことができない。
よってこのランバージャックのように、どこに人が配置されているのかが不明な場合は、主体的な攻撃行動を取ることができない。
だから今回のジャグは、エイシャルハッド戦のように多標的捕捉誘導システムを使ったミサイル誘導を行っていない。
目標を設定し、効率的に割り振ったその情報を味方に提供する“目”の役をこなしたに過ぎない。それを撃つのは、そして復讐を果たすのは、人間の兵士の役目だった。
※
迎え撃つ対空砲火も、圧倒的な密度の一斉攻撃の前にはさほどの役にも立たなかった。
アッセンブルの攻撃を生き延びた武装構造物が破壊される。支えていたリフトが機能を失うと、それが落下してメガフロートの内部にも大規模な損害を与える。
射出した空戦UAVはすでに全滅し、スティングレイの白く平べったい機体が屍肉を狙う禿鷹のように上空を旋回している。
第二、第三波のミサイルが容赦なく襲い掛かり、無敵と思われた移動式水上要塞は、いまや射的遊びの的に成り下がっていた。
火の海と化した甲板には出られず、始まった浸水によって下層へも逃れられない。ランバージャック内の兵士たちは、司令部のある中央付近の地下部分に避難するしか無かった。
そして、復讐に熱狂するアストック軍の火力は、デラムロ軍に降伏する暇を与えなかった。
質量およそ七億トンのメガフロートは、それがいかに苛烈であっても、既存の兵器による攻撃で揺らぐようなものではない。しかし、側面攻撃によって侵入した大量の海水は、ユニットを連結して建造された巨大な構造体の重量バランスを崩し、歪みを生じさせる。
規格外の超兵器に相応しく、そこにやってきた破壊の規模もまた人智を越えるものだった。
大樹のような鉄骨が捻じれ曲がり、それを繋ぎ止めていた鋼鉄のフックが弾け飛ぶ。厚さ数メートルのコンクリートが、石膏パネルも同然に破断する。
あらゆる破壊音に塗り潰されて、誰の声も届かない。瓦礫よりは岩盤とでもいうべきメイン甲板が落ち、その下の司令室を押し潰した。




