#3 ジャグとベルベット
三千年の昔から聖域とされてきたオルバイン山地は、現代においても「オルバイン条約」によって平和利用と領有権の凍結が定められている。
その多国間条約を破った北のデラムロ王国が、山地に軍を進めたのが約三年前。
周辺国からの度重なる警告と、経済的な圧力にも一切の動揺を見せず、希少な鉱物資源の採掘を始めた王国に宣戦を布告したのが、同じく山地の東と境を接するアストック共和国だった。
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「建前としては条約破りの王国に対する実力行使を買って出た、という形だが……」
エグゼール・オーヴィッツ――新設された第〇六〇特務強襲飛行団、通称“アッセンブル・スペシャルオーダー”の部隊長は、ブリーフィングルームにまばらに座ったパイロットたちに向けて話している。
この銀髪の男が、わずか三十二歳にして空軍大佐になれたのは、凄腕のパイロットだからとも参謀本部のエリートだからとも、はたまた実家がアストック王政時代からの貴族だからとも言われているが、確定情報を持つ者はいない。
「ここまでならジュニアハイの子供でも知っている」
つまるところ、他人だけが美味い汁を吸うのが癪に障る。
これはそういう戦争なのだと鼻を鳴らしたエグゼールの目配せで、副官のアマンダが壁面モニターの表示を戦域図に変えた。
「そして、勢い込んで喧嘩を売ったは良いが、待っていましたと言わんばかりの反撃に遭い、それ以降は負け続き」
南北に長いアストック共和国の、海に面した北辺に備えているふたつの軍港に、赤いバツ印がつく。
「真っ先に機動艦隊を叩かれ」
それに続いて、北西の一部で接する王国との国境地帯にバツ印。
「それと同時に、対衛星兵器による攻撃で監視・通信網を破壊され」
エグゼールは天井を差した人差し指をくるくると回した。
「国境を越えようとした地上部隊は、集結中に打撃され」
そして広く西側にある境界線では、五つの箇所にバツ印がついた。
「山地への侵入を企図した部隊は、ことごとく撃退された」
どの戦域も「辛うじて全滅は免れた」という惨状で、事実上の攻撃能力は皆無に近い。軍隊としての体裁を維持しているのは、南西部に展開する新兵ばかりの航空団と、退役した装備と退役間近の人員を放り込んだ予備役軍団のみだった。
「この状況を打開すべく、諸君に集まって貰ったというわけだ」
猛禽を思わせる鋭い目つきは、参謀本部のエリートよりは現役の戦闘機乗りと言われたほうがしっくり来る。
そのエグゼールが見渡すと、六名いるパイロットの内のひとりが手を挙げた。
「お言葉ですがね。飛行中隊がたったのひとつで、戦争の何を変えらるんで?」
平然と批判がましい事を言ってのけたのは、リナルド・ホーク大尉。このブリーフィングルームにいるのパイロットの中では最年長の四十歳で、厳しい顔には大きな傷がある。
実戦でも模擬戦でも負け知らずの戦績と、空軍の戦技教官だった彼を知らぬ者は、この空軍には存在しない。
エグゼールの隣に立つアマンダから非難の視線を射こまれても、この歴戦のエースはどこ吹く風と椅子にふんぞり返っている。
「我々が戦局を変える。そうで無ければ、この戦争は負けだ」
気分を害した風でもない返答に、リナルドは「へぇ」と笑った。ニコルを含む他の者も、指揮官の大言壮語に欠片ほどの期待も抱いていなかった。
満を持して宣戦した約百万の軍隊が、強かに鼻面を引っ叩かれたのだ。再攻勢など夢のまた夢という戦況を、たった数機の戦闘機でどうにかできるものか。
この場に招集されたパイロットたちは、多かれ少なかれそのように考えていた。
「現在の劣勢の最たる原因は、敵の無人兵器への対抗手段が無いことだ」
現代戦において戦場の空を支配する。つまり制空権を得ることは、勝利の絶対条件と言っても過言ではない。敵の航空戦力から味方を守り、敵の地上部隊を空から叩く。このシステムが働かなければ、戦争に勝利することはできない。
デラムロ王国が開戦時から大量投入した空戦型の無人機は、従来の戦闘機よりも小型で機動性が高かった。
小型であるためにレーダーで発見し難い。生身のパイロットが耐えられない急旋回で攻撃を回避する。それでいて、搭載する兵器の威力はこちらと互角かそれ以上だ。
充分に戦術を蓄積した人工知能が機体を操り、しかも戦う度にその情報は更新されていく。
これを相手にしたアストック空軍のパイロットたちは次々に撃墜され、空の自由を取り上げられた。
そして空からの援護を失った地上軍は、無人機の測定による正確無比の砲撃で打ちのめされ、無人機の爆撃によって追い散らされている。
「そのUAV――トンボらを相手にして生き残っただけでなく、撃墜数を稼いだ稀有なパイロット。諸君らを集結してこの戦争に活路を見出すのが、私の発案によるこの部隊の目的となる」
有効な戦力も、ひとりやふたりが各地で孤軍奮闘するのでは効果が薄い。持ち堪えるだけでは戦争には勝てず、じきに持ち堪える事すら不可能になる。
しかし、そのエグゼールの言葉に頷く者はいない。
「評価されるのは結構。鈍臭い奴と組むよりは腕利きと組んだ方が、作戦の成功率も生還率も上がると思えば、俺にはいい話だ」
しかし、それだけで数の不利を覆して逆転できるほど、戦争は甘いものではない。
次に挙手したヘックス・プレニスター中尉――痩せぎすで長身のパイロットは、皮肉っぽく口を歪めている。
「俺たちが張り切ってトンボどもを墜としても、所詮あっちは無人機。工場で組み立てホヤホヤの機体がすぐに飛んでくる」
パイロットの育成には時間も金も掛かる。
一般人が聞けば目玉が飛び出すような金額の戦闘機よりも、ひとりのパイロットを一人前にする方が遥かにコストも時間もかかる。
空いてしまった穴は、そう簡単には埋まらない。
「そこに関しての展望を伺いたい」
「君の疑問は当然だ。もちろんその点に関しても解決策を用意している」
リナルドに続いて、上官への敬意に欠ける態度と発言。ヘックスに対しても険しい目つきを向けるアマンダを、エグゼールの視線が窘める。
昨日の自分を棚に上げて、ニコルは少しだけ彼女に同情した。
「少佐、彼女をここへ」
部下の無礼を放置する上官への不服を押し殺したアマンダが、ブリーフィングルームのドアへ向う。カチカチと音のしそうなその動作は、ダラけた部下たちへのせめてもの当て付けのようだった。
そのアマンダに促されて入室したのは、ネイビーブルーのビジネススーツを着た、小柄で黒い髪の若い女性だった。その場の全員の注目を受けてギクシャクと歩くその両手には、黒い筒状の物体がある。
「彼女がこの隊の心臓部だ。自己紹介を」
「は……はいッ! 国防先端技術研究局のベルベット・マーベルと言います! 仲良くして下さいッ!」
エグゼールに促され、そう挨拶したベルベットは勢い良く頭を下げた。
小さな顔には不釣り合いな大きさの黒縁メガネをしきりに指で持ち上げながら、背中を丸め、緊張で顔を赤くしている。
ハイスクールのクラス替えのような自己紹介に、ニコルを始めとする六人の戦闘機乗りは一瞬呆気に取られ、次の瞬間には誰からともなく失笑が漏れた。
「このお嬢さんが、俺たちの勝利の女神に?」
「コックピットに乗り込んで、一緒に戦ってくれるんですかね。それともチアガールかな?」
「そいつはいい。盛り上がるぜ」
こみ上げる笑いを噛み殺すフランク・ザンダー中尉に、その相棒のマーフィー・ストラナハン中尉が乗る。
「そんな事よりミス・マーベル、ボーイフレンドは?」
隊で最年少のマット・カールスタインが興味津々に身を乗り出す。
悪ふざけを咎めようとアマンダが一歩を踏み出しかけると、またもエグゼールがそれを抑える。
すると、それまでおどおどしていたベルベットがキッと顔を上げた。
「私は単なる技術者ですが、カレがあなた方と一緒に戦います!」
その自信に満ちた表情とはっきりとした物言いに、品の無い言葉で揶揄った男ふたりが思わず黙る。
ベルベットが、大切そうに抱えていた黒い筒をエグゼールの前にあった演台の上にドンと置く。眼鏡を押し上げながら胸を張ると、小柄な割には立派な物だとその場にいる全員が思った。
「わたしのチームが開発しました。次世代航空戦術ロボット計画“N.A.R.P”による試作人工知脳です」
眼鏡のレンズを光らせたベルベットは、そう高らかに謳い上げると、指を揃えた手でその筒を示した。
「はい、自己紹介!」
「皆さんこんにちは。ワタシは空戦のために開発された人工知能です。個体名はジャグとお呼び下さい」
ベルベットの鼻息はフンと荒く、赤い表示ランプをチカチカと光らせるジャグ。
若手俳優のように爽やかな合成音声で「今後ともヨロシク」と締めくくられて、パイロットたちが静まり返る。
「こいつは何の冗談だ……」
口を開いたのはリナルドだった。
「こっちはデラムロのUAVに散々仲間をやられて来たんだ。それが今さら人手不足になったからって、こんなオモチャと一緒に飛べと?」
口調は半笑いでも怒りのこもったその言葉に、目を閉じたヘックスが重々しく頷いた。
フランクとマーフィーが目を見合わせて首を横に振り、マットは「あーあ」と天井を見た。
「足手まといだ」
ニコルの呟きに、ベルベットが反論しようとした次の瞬間、基地全体に警報が鳴り響いた。