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#29 戦う理由

 先の攻撃で失われたまま復旧されないレーダー網の穴を埋めるため、東の空が白む頃には定期パトロールの第一便が滑走路を飛び立ち、それと入れ替わりに護衛付きの輸送機が着陸する。


 基地の周囲を巡る高いフェンスの外には、ふたりの少年がいた。街からの近くない距離を自転車に乗ってやって来た彼らは、熱の籠もった視線で滑走路を見つめながら、ジェットタービンの爆音に負けじと声を張り、何かを言い合っていた。



 夜が開けたソルベラミは、昨夜の騒動など無かったように平穏だった。

 士官食堂で昏倒したニームは、夜の内に後方の軍病院に移送された。命に別状は無かったが、頬骨の骨折によってしばらくコックピットに座る事はできず、隊の指揮は次席の大尉が務める事になった。


 わずか数時間の事であっても、そして士官のみが参加した会での出来事だとしても、その話題は基地中の知るところとなっている。

 しかし表面上では誰もその事件の事をおくびにも出さず、海軍基地の中を空軍の制服で歩くアッセンブルのスタッフとすれ違っても、敬礼を交わす以上の交流をする者はなかった。


 計一〇機の戦闘機を運用するアッセンブルに割り当てられたのは、司令部棟とは主滑走路を挟んだ反対側に位置する格納庫四棟と、そこに付随する形で新たに建てられた専用の待機室だった。

 海軍とは異なる独自の指揮系統に属すためにパトロールや待機任務も無く、しかし、事あらばすぐに出撃できるようにと、パイロットたちはその部屋に詰めている。


 塗装の匂いも抜けきらない白壁には、壁掛け時計の他に数面のディスプレイ。それ以外にはリナルドの私物であるダーツ盤が掛かっている。

 壁に並ぶスチールロッカーに加え、長机とパイプ椅子はいかにも基地という風情だが、部屋の中央に据えられた、新品のローテーブルとソファーセットは、基地司令のマーロンがいかにアッセンブルを歓迎しているかを伺わせた。


「あーあ、せっかくイイ感じだったのになぁ……」


 海軍の軍服に身を包んだ女性士官たちと懇意こんいになりたい。そのささやかな願いを暴力沙汰でぶち壊されたマットがソファーでボヤいた。

 長机の小型モニターで古いアクション映画を見ていたニコルは「すまんね」の一言でそれを退けた。

 ローテーブルの上のジャグは、黙ってそのやり取りを聴いている。


「本格的な出撃が始まれば、良いところを見せる機会もあるだろうよ」

「本格的な出撃が始まったら、そんな暇はないじゃありませんかぁ」


 僚機であるリナルドが慰めたが、これはマットの言い分が正しかった。

 今は敵に大きな動きはないが、来るとなれば一気呵成いっきかせいに攻めてくるのは目に見えている。一度戦端が開かれれば、呑気に異性を口説く暇も、また口説かれる余裕もありはしないだろう。


「確かにな。哨戒の連中が敵を発見するのが今日か明日かはわからないが、来週という事はないだろう」


 ヘックスの言葉は、彼だけでなくこの場の全員が予測する所だ。

 エグゼールは無用の憶測を部下に話さないが、あの全てを見通したような司令官に言われなくても、それは恐らく間違いない。

 だからと言うわけではないが、アッセンブルのメンバーたちは交替での休暇を許されていた。今日はマーフィーとフランクが非番で、ふたりは揃って外出している。


「フランクの亡くなった嫁さんが、マーフィーの姉貴だったか?」

「逆ですよ。マーフィーさんの奥さんがフランクさんのお姉さんです。二年前の空襲で巻き添えになったとか。三人は幼馴染だったそうです」

「そりゃ、穏やかじゃないな……」


 誰に聞くでもないリナルドの疑問に答えたのはネリアだった。待機室の隅の、ニコルとは対角線上にあるソファーでファッション誌をめくる彼女は、明日の非番にベルベットを誘って巡る服屋を物色している。


「俺もカルトンに妻と娘がいる。他人事とは思えない」


 ヘックスの妻子はロミナ回廊の途中にある街に暮らしている。空軍士官であるヘックスは、ともに基地の官舎で生活するのを望んでいたが、軍人には転属がつきまとう。学校と友達。まだ一〇歳の娘に普通の子供としての環境を与えるために、彼はしばらくの別居を選択していた。


「俺も別れたカミさんに死なれるのは寝覚めが悪い」

「……ああ。まあ、誰でもそうだろうがな」


 嘆息するリナルドにヘックスが返した通り、誰もが同じだった。ネリアには両親と生意気盛りの弟がいるし、マットにもやはり、ふたりの姉がいる。


「……」


 ローテーブルに置かれた黒い筒(ジャグ)は黙ってそれを聴いている。

 仲間たちがこうして話している家族や恋人、友人といった、間柄の近い人々。守るべき者。愛情というような感情が、人工知能である自分には理解できないものであるのは分かっている。

 自己に対してポジティブな影響を与える者を失う不利益が、喪失感と悲しみを呼ぶのか。またはそうなる事を忌避する防衛的な反応が、怒りや恐怖として現れるのか。

 そう単純な話ではない事を、そして自分がその答えに辿り着けない事を、感情を持たないのと同様に、自分には予測はできても想像するという機能がない事を、ジャグは自覚している。

 人間は複雑だ。人間同士でさえ完全な相互理解は不可能であるのに、戦闘用AIである自分にそれをする事は不可能。ジャグは、そう考えていた。


「ニコルのお母さんはオリファムでしょ。心配ね」

「ああ……しけたコンビニを経営してる。ま、指示があれば避難はするだろう……」


 映画から目を離さないまま、ネリアの声にニコルが応える。

 オリファムは、ヘックスの家族が暮らすカルトンよりも前線に近い街だ。

 しかし、空軍のパイロットになるのを反対された時から両親と疎遠になったニコルは、月々の給料から仕送りをする以上のやり取りをしていなかった。


「俺が一機()とせば、そいつにやられるはずの誰かが助かる。それが自分の親でも、他の誰かの家族でも、誰でも構わない」


 個人の想いを粉々に砕いて溶かし、戦果と損害という数値に変えてしまうのが戦争だ。そして、一兵士には戦う場所も戦う相手も選ぶ権利は与えられない。

 だから、一機でも多くの敵を墜とす。戦果と損害。自分の力がその天秤の傾きを少しでも変えられると信じて、ただ眼の前の敵を撃破する。


 それを聞いたネリアやリナルドは反論こそしないが、ともすれば薄情とも感じられるニコルの考え方に、微妙な顔で押し黙った。


「理屈っぽいなぁ。何かこう……もっと他に無いんですか」


 そうマットが茶化して笑うと、ニコルは「ないね」と鼻を鳴らした。


「……」


 ジャグのインジケーターが赤く光る。

 ニコルが言ったことは、人が命を掛けて戦う理由としては単純に過ぎるのかも知れない。それを酷薄、冷徹という者もいるだろう。

 しかし、特定の誰かを想定した感情にらず、戦力の最小単位としての自己が戦局に与える影響を最大化する事だけを目的にする。

 その兵士としてのシンプルさは、ジャグにとって最も理解しやすいものだった。

 そして、そのニコルの思考をトレースする事で学習効率は上がり、戦場での連携はより高度な物へと進歩した。

 エグゼールは、このニコルの性質が人工知能と親和性が高い事を理解した上で、自分とのコンビを組ませたのではないか。そんな可能性の存在を認識しながら、しかしジャグは口に出してはこう言った。


「もうちょい丸くなれよ、相棒」


 リナルドとガントが目を見合わせて深く頷く。ネリアとカルアはそうだそうだと声を合わせた。


「自分が丸いからって偉そうに」

「これはただのデザインだ」

「トゲか角でも付けてやるか。カッコよくなる」

「またベルに怒られるわよ」

「そんな事より、疑似人格をオッサンから女の子に変えましょうよ。人気が出ますよ」

「それはもっと怒られるだろう」

「どうしたマット。ついに人間の女は諦めたのか」


 舌打ちをしたニコルにジャグが面白くもない答えを返せば、ネリアがそこに口を挟む。おどけるマットにヘックスが口元をほころばせると、リナルドがモテない僚機をからかった。


「盛り上がってるわね。何かあったの?」

「ニコルはもっと人に優しくすべきって話だ」


 ドアを開いて待機室に入ってきたアマンダにジャグが答えた。

 パイロットたちが全員フライトスーツ姿であるのに対して、書類仕事も課されたアマンダはカーキ色シャツにダークブルーのネクタイという空軍の制服を着ている。


「……本当にそうね。今後は注意なさい、大尉」

「了解ですよ。少佐殿」


 わざとらしいニコルの敬礼。

 ネクタイの結び目を指でせり上げたアマンダは、咎めるような目でそれを睨んだ。

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― 新着の感想 ―
前話までのニコルを見ていると、私には彼がとても人間らしく思えます。 親と疎遠になるのなんて、普通にある事ですし。 言い方が悪い……と言えば、そうなのかもしれませんが。 黒犬を追う彼の姿は、実に人間らし…
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