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#26 配置転換

 前線から遠く離れた街の空に、暗灰色の雲が垂れ込めている。

 みぞれ混じりの雨が濡らす住宅街の車道で、赤い雨ガッパが弾く水滴の流れを楽しんでいた少女は、ふと空を見上げた。

 音の塊が雲の上を走っている。白い息を吐きながら、目には見えないその何かが通り過ぎるまで、少女はずっとその場を動かなかった。



 ダークグレーの雲を眼下に見ながら、高度八〇〇〇メートルの雲上を飛ぶ編隊がある。

 輸送機を改造した寸胴ずんどうの給油機を先頭にする八機は、配置転換によって移動するニコルたちアッセンブルの戦闘機だった。


《シエラオスカー04、給油完了。さあ、交代よ》

《サンキュー。でも、そんなに急かさなくたって》


 蜂の針のように長く突き出たブームから給油を終えて、マットのバラクーダは給油機の後部からそそくさと離れた。

 デラムロ王国からの正式な宣戦布告を受けたアストック共和国軍は、現在大規模な配置転換を行っている。それに伴って急増した航空機の移動のために、空中給油機“ミルクピッチャー”は翼を休める暇もなかった。


《お次はスーパーエースね。新しい配属はニューバートンかしら?》

《いや、ソルベラミだよ。おっと、機密シークレットだったな》


 ラダーを操って乗機ハリケーンチェイサーをブームに寄せる。データリンクで操縦をオートに切り替えると、ニコルはコックピットで腕を伸ばした。

 フライングブーム方式による給油オペレーションでは、長いストローのようなブームを給油機の側で操作し、接続する。以前は専門のオペレーターを必要としたその繊細な作業も、今では人工知能の役割だった。


《それは残念。サインをねだる機会はなさそうね》

《戦争が終わってお互い生きてたら、サインでも自撮り(セルフィー)でもどうぞ》


 ストームチェイサーの機体背面にある給油口から燃料が流れこむ。給油機とのやり取りをしながら横を向くと、相棒であるジャグのハリケーンアイズが並んで飛ぶのが見える。

 その同型機の撃墜をベルベットから聞かされて以来、あの黒犬がニコルの中に占める割合はさらに大きくなっていた。


《でも気を付けてね。水兵さ(海軍)んはあたした(空軍)ちよりも荒っぽいみたいよ》

《そいつは怖い》


 給油機の女性パイロットが「慰めて欲しくなったら、連絡してね」と笑うと、給油を終えた機体からブームが離れた。

 翼を振った給油機が機体をバンクさせて遠ざかる。「どうしてニコルさんばかり……」というマットの不満の声と共に、ふたつの四機編隊(ダイヤモンド)は速度を上げた。



 アストック共和国の北側に面するハリス海。そこに鉤形に突き出たナレイ半島。その丘陵地帯にあるのが、ソルベラミ海軍基地だった。


 海軍の基地と言っても内陸部に軍港などあるはずもなく、一見すると空軍基地と大差はない。ただ、滑走路の脇に整然と機首を並べる戦闘機や攻撃機は、すべて海軍の艦載機だった。


「宣戦を布告したデラムロ軍は、恐らく陸海空の全ルートから侵攻してくるだろう」


 パイロットと主だったスタッフが到着すると、早速ひらかれたブリーフィングで、エグゼールは今後の予測と方針を発表した。

 新品同然の仮設第一九基地から、年季の入った海軍航空基地に移動してきたアッセンブルのメンバーたちは、集中してその声に聞き入っている。


「連中の狙いは我が国の領土ではない。単に政府を屈伏させれば戦争目的が達せられる以上、敵は必ず首都侵攻を目論もくろむ」


 デラムロ軍は、他国への見せしめとしての効果をより高いものにするために、大軍をもってこちらの抵抗を粉砕、早期に決着をつけようとするだろう。

 そして、それを可能にするための戦力を、敵は保有している。


「で、じゃあどうして俺たちはニューバートンじゃなく、ここに?」


 ヘックスの発した疑問は最もだった。

 共和国の首都アスタビラの南西には、空軍最大規模のニューバートン基地がある。離陸から戦闘、帰還までに要する燃料消費と機体整備などを踏まえて考えるならば、首都防衛の作戦にはそちらの方が適している。


「それをこれから説明する」


 エグゼールが頷くと、アマンダの操作で壁面ディスプレイにナレイ半島を中心とした戦域図が表示された。

 半島に左半分を覆われるゲーリング湾の南側には首都アスタビラがあり、まずは海からの侵攻ルートが赤い矢印で表される。


「敵の海上戦力がゲーリング湾に入るには、半島の突端にあるミリアム岬を回り込むしかない」


 次に矢印が表示されたのは、半島の付け根にあたる部分だった。


「地上軍がアスタビラへ向かうには、必ずロミナ回廊を突破してくる」


 南側にはオルバインの山々がそそり立ち、アストック共和国とデラムロ王国を東西に結ぶ、細く伸びる平地がロミナ回廊と呼ばれる地域だ。


「もう諸君には分かるだろうが、我々アッセンブルはこの半島に展開し、陸海双方の敵に対して打撃を与える」


 突出面積の大きいナレイ半島には湾内に面する内浦にも、外海と接する外浦にも、大小の港湾と市街地が存在している。半島の背骨のように稜線を形成する山地や丘陵では、農業も林業も、そして牧畜も行われており、そこにもやはり人の生活がある。


 古来よりアストックとデラムロ王国を結ぶ街道だったロミナ回廊にも、宿場街を由来とする複数の都市がある。

 半島側と山地側にそれぞれハイウェイが開通し、二国を結ぶ長距離鉄道が通る回廊は、農業と牧畜が主な産業となる共和国の中でも、商業と観光が盛んな地域として人口も多い。


「アスタビラ攻略の前段階として、敵がこれらの都市の全てを素通りする事はあり得ない」


 侵略者の汚名さえ考慮しなければ、敵がこれらの街を占拠もしくは破壊するメリットは極めて大きい。そして恐らく、敵はそれを躊躇ためらわない。

 避難民が発生すれば、その対応に政府は労力を割かれる。戦災に対する補償や支援に必要な額を試算すれば、行政官僚は震え上がるだろう。


 また、国民の生活と安全を蹂躙じゅうりんされるがままにすれば、敵に向かう憎しみと同等の不信、不満が政府への政治的なダメージとなる。経済的にも深刻な影響を受けるのは明白。こうして敵は、首都アスタビラを攻撃の射程に収める以前に、共和国の首に手を掛けることになる。


「それを防ぐのが、諸君。いや、我々に課せられた任務だ」


 言葉を切ったエグゼールが見渡すと、パイロットたちの表情に大きな変化はない。与えられた任務をこなす事に対して、不平も不満も、恐れも怯えも見えない。


「隊長の方針は分かった。海へ山へのハイキングに、この基地が都合がいいのも納得だ」

「しっかし、一九基地の時よりこき使われるっぽいですよね〜」


 本音を隠さないマットに、リナルドが「それはしゃあない」と肩をすくめる。


「ハムリット市には妻と子がいる。せめて最低限の避難が済むまでは、奴ら(デラムロ)の足留めはしたいな」

「足留めなんて控え目過ぎませんか。あんな連中、全員揃って地獄に突き落としてやればいい」

「開戦の時みたいに上手くいくと思ってるなら、痛い目に遭うと教えてやろう」


 リナルドに次ぐベテランのヘックスが指をこきりと鳴らし、マーフィーとフランクは常と変わらず好戦的な態度を崩さない。


「欲しくもない勲章が、また増えちまうな」

「老後の足しにはなるんじゃない?」


 ニコルが頭の後ろで腕を組むと、溜め息混じりにネリアが応える。老後の事など考えた事もないスーパーエースが、盲点だったとばかりに「それもそうか」と呟くと、元恋人の女パイロットはやれやれとかぶりを振った。


「また無茶をして、周りを困らせるなよ」

「そ、そうですよ。ジャグを困らせないで下さいね!」


 人工知能とその開発者。ジャグとベルベットは、それぞれ角度が微妙に異なる釘をニコルに刺した。

 一見、いつも通りの軽口の応酬。しかし、ジャグの同型機“パラスカイン”の撃破を知ったベルベットが沈みがちになっているのに、ニコルは気がついていた。


「そう心配すんなよ。俺とジャグならやれるさ」

「べ、別に、ニコルさんの心配なんて、してませんけど……」

「そうだろうとも」


 笑うニコルを、水筒ジャグを抱き締めて上目遣いのベルベットがキッと睨む。しかしその視線はすぐに力を失い、弱々しく床に落ちた。


「大丈夫だベル。こいつはともかく、オレに心配はいらない」

「……うん」


 ジャグの言葉にコクリと頷くベルベットを見て、目を覆ったニコルが天を仰ぐ。普段の行いのせいだとリナルドが笑えば、それに釣られて他の者も声を上げて笑った。


 ある者は守るべきものの為に、またある者は失ったものへの精算を胸に秘めて笑っている。

 それらの感情は、あるいは闘志と呼ぶにはどろりとして醜く、また生々し過ぎる物かも知れない。

 だが、彼らが目指すのは破壊と殺戮だ。慈悲、博愛などお呼びではなく、神に背を向け悪魔と手に手を携える。最新鋭の翼を駆る空の死神たちは、獲物がやって来るのを今や遅しと待ち受けている。


「諸君の活躍に期待する」


 エグゼールの言葉と共に、ブリーフィングは終了した。

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