#19 ブラックドッグ
乗機を失ったニコルは、ヘリにピックアップされて基地へ戻った。そしてその後、補給を終えた他のメンバーと同じく、休む間もなく再出撃した。
スカイ・ギャンビットが監視を続ける中で地上部隊の進軍は続き、幾つかの小休止と夜間の大休止を挟んだだけの強行軍で、翌朝には敵基地まで数キロメートルという地点にまで接近を果たした。
そして今、クアッドコプターによる偵察と測的を行っているビッグビークの隊長車では、隊長のマニングと副官がコーヒーを片手にモニターを睨んでいる。
「滑走路に離陸準備中の輸送機がいます」
「今のところ、その他に大きな動きは見えないな」
この作戦の目標であるデラムロ軍の前線基地は、大型の輸送機も離着陸可能な三〇〇〇メートル級の滑走路を備え、その周囲には格納庫や倉庫と思しき建物と燃料タンクが並んでいる。申し訳程度のフェンスと監視塔があり、中央には一際高い管制塔らしき物も見える。
鉄板を敷いただけの滑走路も、安いプレハブのようや倉庫群も全てが仮設。基地を守る砲はおろか銃座のひとつも見当たらない。
そして、敷地の面積の多くを占めている鉄骨組みの立体駐車場のような建造物が、アストックの空を我が物顔で飛び回ったUAVの格納庫と射出装置だった。
「こんな貧相な基地ひとつに、いいようにやられてたかと思うと、無性に頭に来ますね」
「UAVが飛ばせりゃそれでいいってんだから、戦争の仕方も変わったもんだ」
戦車部隊同士による平原での決戦や、分厚い壁とハリネズミのように武装した要塞の攻略戦。そんなものは映画の中だけの出来事になってしまった。
「二年間も苦しめられた敵の基地にようやく手が届いたと思えば、今度はこちらが弱いものイジメをしている気分だ」
「しかし、これもお仕事です。綺麗サッパリ片付けましょう」
「当然だ。欠片も残さず吹っ飛ばしてやる」
自慢の戦車砲の標的としては甚だ役不足だが、作戦行動に変更はない。一三両のカルダーノⅡは、息を潜めて突撃の時を待っている。
《シエラオスカー09、00、敵施設に牽制攻撃。その後、降伏勧告を行います》
《任された》
アッセンブルの各機は広域に散開して敵の増援を警戒している。敵基地上空の警戒および制圧に当たるニコルとジャグは、ギャンビットの指示を受けて高度を下げた。
《オレがやろうか?》
《いや、俺の華麗なる対地攻撃をそこで見てろ》
《はいはい》
ジャグの提案を退けて機首を下げる。対地攻撃のアプローチに入ったニコルに、キルシュが念を押した。
《くれぐれも基地施設には当てないでね》
無人機だらけのこの戦争は、敵も味方も捕虜になる者がほとんど存在しなかった。情報は意外にも、捕虜というものには使い道が多い。
《捕虜を捕らえろって、上から念を押されてるのよ》
《誰にものを言ってるんだ。当てるのが得意なら外すのだってお手のものだ》
《はいはい》
史上、ここまでぞんざいに扱われたエースパイロットがいただろうか。それもまた自分らしいと口を歪めながら、ニコルは誰も乗っていないと思しいトラックを照準した。武装選択を機銃にして、トリガーに軽く指を掛ける。
《引き上げろ!》
《――!》
ジャグの警告と同時に、滑走路脇の格納庫が吹き飛んだ。内側からの爆炎で、プレハブの屋根が紙屑のように舞い上がる。吹き上がる炎を突き破って、戦闘機のシルエットが浮かび上がる。
デラムロ空軍制式戦闘機FFR−11“ナバレス”が、ノーズの左右と台形翼の下部に装備されたロケットブースターと最大俯角のベクターノズルによって、機体を浮かせている。
垂直離着陸機のような挙動で水平に上昇した黒い機体がゆるりと回頭すると、下降してくるニコルには目もくれずに管制塔を銃撃する。
戦車の装甲も貫通する三〇ミリ弾のシャワーを真横に浴びて、ガラス張りの司令室は蜂の巣どころか跡形もなく吹き飛んだ。
機首を真上に向けると、大出力双発エンジンの推進力とブースターを全開にして、垂直上昇に移る。
その垂直尾翼には、牙を剥き、舌を垂らした黒い犬のマーキングがあった。
《こいつ……!》
ニコルが見間違える筈もない。この無人機だらけの戦場で唯一出会った有人機は、追い求めていたアイクの仇だった。
ベイパーコーン――気圧変化によって生まれる水蒸気の輪――を残して急上昇した“黒犬”が、胴体下部の爆弾を切り離した。
サーモバリック爆弾――一次爆発によって加圧沸騰した酸化化合物が、自らの圧力によって空間に散布、蒸気雲爆発を引き起こす。燃料気化爆弾とも呼ばれる強力な殺傷破壊兵器。
数百キログラムの燃料は一〇〇ミリ秒の間に秒速二〇〇〇メートルの速度で広範囲に拡散し、摂氏三〇〇〇度の高温と一二気圧に達する圧力を発生させた。
半球形の火球が地表を炙る。拡がる衝撃が建物を薙ぎ倒し、爆心付近にいた輸送機が押し潰される。急激な燃焼反応によって周囲の酸素は根こそぎ奪われた。
すべては、一瞬の出来事だった。
基地は瓦礫と化し、生存者などいないことは一目瞭然だった。使用されずに残っていたジェット燃料や弾薬に火が及ぶと、誘爆によってさらに巨大な爆発が起こった。
数キロメートルの距離を置いたビッグビークも、遥か上空のスカイ・ギャンビットも、大気を震わせて拡がる衝撃の波をその目で見た。
《09、応答を!》
衝撃波と爆風、そして上昇気流に煽られたニコルの機体は木の葉のように巻き上げられ、黒煙の中に飲み込まれた。
《09、無事ですか。応答せよ!》
《問題なしだ》
ニコルの駆るバラクーダは、衝撃に衝き上げられながらもコントロールを失っていなかった。敵が自ら基地を破壊したのは予想外だったが、ジャグの警告のお陰で命を拾った。
《ギャンビット、避退しろ!》
一直線に高度を上げるナバレスは、遥か上空のスカイ・ギャンビットに向かっていく。燃料を使い果たしたブースターを切り離し、アフターバーナーを全開にして、さらに高度を上げていく。
早期警戒管制機の護衛に就く二機のバラクーダが、ロックオンと同時にミサイルを放つ。そのミサイルを軽い捻りで擦り抜けたナバレスは、すれ違いざまの銃撃で女王の護衛を片付けた。
《ジャグ、食い止めろ!》
《有人機は撃墜できねえ!》
高度と速度を失ったニコルでは、ギャンビットに迫る敵機に追いつけない。守護騎士を失ったギャンビットを守れるのはジャグしかいなかった。
しかし、デラムロ軍のそれとは異なり、人工知能としてのジャグはその基礎設計の段階から殺人を禁じられている。例えそれが敵対者であったとしても、無人と認定された兵器以外にトリガーを引くことは許されない。
《何が何でも食い止めろ。それが無理なら時間を稼げ》
《んなこたぁ、わかってる! いいからとっとと上がって来い!》
《喧嘩はいいから、早くこいつを何とかして!》
オペレーターの立場を忘れたキルシュが悲鳴を上げた。
ジャグは機体を加速させると、急角度で上昇していく敵機の背中に狙いを定めた。絶好の射撃位置。
しかし、だからこそ機銃は使えない。威嚇射撃をする状況ではない以上、わざと外せば撃墜の意思のない事が敵に露見する恐れがある。
ロックオン。火器管制レーダーを照射して脅しをかける。
しかし、捕捉したならすぐにも射撃を行わなければ、これも脅しとバレてしまう。一旦発射されてしまえば、空対空ミサイルが的を外す距離ではない。
だから、ジャグはトリガーを引けなかった。
しかし、必殺の位置取りからのロックオン警報は無視できなかったのか、黒犬のナバレスは標的を新型の前進翼機に切り替えた。
《そうこなくっちゃ》
ナバレスは誘いに乗った。下手クソの振りは不本意だったが、時間稼ぎを狙ったジャグは、得体の知れない黒い敵に空中戦を挑む。
《ギャンビット嬢は今のうちに距離を稼げ。コイツは相当の腕っこきだ。トンボと性能が違うのは当然としても、ニコルとオレが相手をしても万が一という事がある》
《援護に感謝よジャグ、ご褒美には期待して》
言われなくてもという感じで、ギャンビットは全速力で逃走している。高度を捨てて速度を稼ぎ、戦域外へ一目散に飛び去っていく。
しかし、一対一の空戦になったジャグに未熟を装う余裕は無かった。ナバレスとストームチェイサーの軌跡が複雑に絡み合い、両国の誇る最新鋭機同士の空戦は熾烈を極めた。
《話が違う。王国のパイロットは下手くそ揃いじゃなかったのか!》
出力に勝るナバレスと機動性に優れるストームチェイサーだが、その性能に大きな差はない。
空戦AIであるジャグに拮抗する緻密にして大胆な機動。黒犬は、トルノを始めとするアッセンブルのパイロットにも匹敵する技量の持ち主だった。
《タリホー、ついに見つけたぞイヌ野郎》
基地の火災が上げる煙を突き破り、機銃弾をバラ撒きながら、アフターバーナーを全開にしたバラクーダがその空中戦に突っ込んだ。
牽制射撃をヒラリと躱した黒犬がいったん距離を置こうとすると、目を爛々とさせたニコルが、そうはさせじと喰らいつく。
《ここで白黒つけてやる》
※
相棒だったアイク・ディーガンは、任官してから一年、ニコルは二年。
並のパイロットでは敵わないUAVも、ふたりならば上手く狩れた。味方がほとんど逃げ出しても、踏み止まって戦った。本気で死を覚悟したのも、一度や二度の事ではなかった。
他の者が出来ない事を、苦も無くこなして得意になった。先輩面をする奴の苦言を聞き流し、お偉い上官の説教もどこ吹く風だった。
「敵を墜とせば味方が助かる。結果を出せば文句はないだろ」
実力主義の大義を盾に、命令違反の常習犯。それを咎められない事に慢心した。そして、大きなツケを支払わされた。
アイクは死んだのは俺のせいだ。だが――。
《お前を墜とさないと、こっちの帳尻が合わない》
ジグザグに飛ぶナバレスをバラクーダは逃さない。全ての性能に勝る最新機が、制式採用から二〇年を経た旧型機を振り切れない。
ニコルは、口の中にアドレナリンの味を感じた。極限まで研ぎ澄まされた集中力が、機体の差を埋めていた。
《……あの時のパイロットか》
通信に割り込んだのはあの時の男の声だった。抑揚に乏しく平坦な、それでいて嘲るような口調を聞いて、ニコルの髪がぞわりと逆立った。
《粗削りだがそこそこやる。あの時の決着をつけよう》
苛烈なGが掛かる激しい空戦のさなか、風防の遮光フィルム越しにもニヤつく顔が見えるような、黒犬の口調は挑発だった。
《それは、こっちの台詞だ!》
その時、黒犬がニコルの呼吸を盗んだ。
ニコルが怒鳴った瞬きほどの隙を突いて、目の前の敵が視界から消える。わずかの下降と減速を同時に行ったナバレスは、バラクーダの真下にピタリと貼り付いていた。
《真下だニコル!》
《くそ!》
ニコルが機体を反転させると、それに合わせてナバレスも反転する。二度、三度とダンスのようなターンを披露してから弾けるように離れた二機は、左右に別れて円を描く旋回に入った。
《こなくそ!》
操縦桿を一杯に引く。背中合わせのチキンレースは、一瞬でも早く相手に機首を向けた者が勝者となる。
しかし、ナバレスの描く円はバラクーダよりも遥かに小さい。推力偏向ノズルは伊達ではなく、その差は技術力でも精神力でも埋まらなかった。
《オレを無視されちゃあ困るぜ》
その円の内側。ナバレスの背中にストームチェイサーがピタリと貼り付いた。主体的な攻撃行動をとれないジャグが黒犬に挑んだのは、やはりチキンレースだった。
《……ッ》
血流がないゆえ人には困難なマイナスGの旋回も人工知能には関係がない。まったくブレず、固定されたようにピタリと揃って飛びながら、衝突も辞さないジャグが機体を寄せると、内側を押さえられた黒犬の旋回が膨らんだ。
そうする間にニコルの機首がこちらを向く。
《ジャグ、ブレイク!》
トリガーと同時にジャグが飛び退く。被弾したナバレスが翼から煙を吹いた。
《くそ! また弾切れだ!》
《無駄玉の撃ち過ぎだ》
《うるさい!》
砲弾を撃ち尽くした二〇ミリ・ガトリングの砲身がカラカラと空転した。ようやく現れた仇敵に熱くなったニコルは、引き金を引きすぎていた。
先の爆発に巻き込まれた衝撃でミサイルの発射機能が故障してしまったニコルに、もう復讐を果す手段は残されていなかった。
しかし、早期警戒管制機には安全圏まで避退した。アッセンブルの他の機体も、間もなくここへやって来る。
《不本意だが、また勝負はお預けだ。次は墜とす》
ナバレスのコックピットは、遮光風防に隠されている。しかしニコルには、薄く嗤う敵の顔が見えた。
《よせよ、捨て台詞なんて雑魚のする事だ》
《なるほど、覚えておこう》
被弾箇所を消火したナバレスは反転し、オルバイン山地に向かって加速する。いまだ燃え盛る前線基地を眼下に見ながら、黒々とした山肌に紛れ込むように戦域を去っていった。