#18 ベイルアウト
地上を進むビッグビーク戦車中隊も、しかし呑気に空のハートを見物している場合ではなかった。
草地を踏みしだいて進む戦車の上には、撃破された敵の破片が降り注いでいる。小さな物はともかくとして、翼のような大きな部品もが落下して地面に突き刺さり、中には炎上している物もある。
前方にある障害物なら、それを踏み越えるのが戦車というものだ。しかし、頭上からの落下物が上面装甲を叩く音は、生きた心地がしなかった。
《空軍さんよ。さっきから破片が落ちてきてかなわん》
《陸軍さんは日傘をさしてピクニックか?》
《ヘルメットの顎紐を締めとけよ》
マニング少佐の抗議に対して、ジャグとニコルがやり返す。もうすでに、七〇機いたドラゴンフライの殆どは片付いていた。
《頭上は気にするなって言っただろうが》
《そりゃあギャンビットが言ったことだ。オレらには関係がねえ》
《女の言質を云々言う奴はモテないぞ》
《大きなお世話だ》
《黙って。前方に新たな敵機、五機編隊が低空より侵入》
多少の余裕が出てきた男どもの軽口を、緊迫したギャンビットの声が遮った。
高度一〇〇メートルの低空を這うように飛ぶ寄生戦闘機“アズロー”が五機。地表のうねりに影を落としながら、戦車隊へ向けて接近していた。
一機につき四発搭載された対地ミサイルは、機体に搭載された人工知能によって直接誘導され、発射されれば絶対に的を外す事はない。その射程は約一〇キロメートル。
《五七飛行隊の両小隊は、前進してこれに対処。敵にミサイルを撃たせるな》
《了解!》
第五七飛行隊の第一と第二小隊。すでに離陸して空中待機していた計八機が速度を上げる。
戦場の後方。常識外れの撃墜数が叩き出される空中戦をリングサイドで目撃して、彼らは圧倒的な役者の違いを思い知った。あれを見てなお自分も同じにやれるなどとは、口が裂けても言えなかった。
しかし、彼らもパイロットだ。敵を倒して味方を守る。その任務を全うするのに、不安も恐れもありはしなかった。
《敵を追い散らせ。一五キロ圏内に近寄らせるな》
レーダーに映った敵機に重ねて、半径一〇キロメートルを表す円が表示される。その輪の中に戦車部隊が収まれば、恐らく直ちにミサイルが発射される。
戦術データリンクによって、各機のHUD――ヘッドアップディスプレイに狙うべき敵機のマーカーが示されると、地面すれすれの敵機に向かって八機のバラクーダMark-Ⅲが立ち向かった。
《二機掛かりで一機にあたれ。回避機動の終わりを狙うぞ》
ミサイルをロックオン。バラクーダの火器管制レーダーに捕捉されたアズローは、散開して回避行動に入る。反撃する素振りはない。しかし、戦車を目指すのも止めようとしない。
第一小隊の一番機は、その敵機の針路上に機体を割り込ませた。
もし敵が一発でも空対空ミサイルを持っていれば、即座に撃墜される。しかしそれをしなければ、味方の戦車がやられてしまう。緊張で息が詰まり、分泌されたアドレナリンの味が口の中に拡がった。
《FOX2!》
ヘッドオン――真正面対真正面では、ミサイルはそうそう当たる物ではない。そのミサイルを回避した敵機を、僚機の放ったミサイルが仕留めた。
《よし! グッキル!》
そもそも大量生産の無人機は、数においての優勢を念頭において有人機に対する戦術を組んでいる。多対一や一対一の空戦では並のパイロットより優秀だが、数的劣勢におけるプログラムは比較的に脆弱だった。
囮を仕立てて撹乱する。局地的な数的優勢を作り出し、各個撃破に専念する。それが彼ら並のパイロットのための、対UAV戦術だった。
《四機撃墜。敵機残り一》
キルシュの撃墜コールに、五七飛行隊の意気が上がる。
新人が多いが故に戦闘の無い南部方面に配属されたが、入る報せは味方の敗戦、苦戦ばかりだった。配置転換されて反攻作戦に組み込まれたは良いが、ベテランたちでも太刀打ちできないUAVを相手に、任務を果たして生き残れるのか。自信のある者など一人としていなかった。
そして、それが初陣で敵機を撃墜して、浮つくなというのが無理な話だった。
《気を抜くなアホウ!》
ジャグの叱咤は間に合わなかった。
八機掛かりで四機を仕留めたルーキーたちは、眼前の敵を撃墜するのに精一杯で、即座に次の一機を追う体勢を作れていなかった。
最初に敵機を撃墜した第一小隊の一番機も二番機も、その後に標的を墜とした他の機も、敵に合わせた低空戦闘で速度を失い、機首は明後日の方を向いている。痛恨のミスだった。
《敵機がミサイルを発射!》
飛行隊の一番機が、増速しつつ急旋回して機銃を放った。それをエンジンに受けて炎上しながら、最後のアズローがミサイルを発射した。
自機が撃墜されると判断した人工知能は、直接誘導を放棄して自動ホーミングに切り替えていた。
相手が人工知能である事を忘れさせる、死を覚悟した者が最期に見せる執念の攻撃に、誰かが絶望の悲鳴をあげた。
発射されたミサイルは二機。白い噴射煙を真っ直ぐに引くその速度は秒速二キロメートル。超音速で飛翔する破壊兵器は、一〇キロメートル先のターゲットに命中するのにものの五秒も掛からない。
《来るぞ、ミサイルだ!》
マニングが叫ぶ。一二両の戦車がジグザグに走って回避を試みる。カルダーノⅡ戦車には敵の誘導弾を迎撃する|アクティブ防護システム《APC》が装備されているが、それを過信はできない。
《勘弁しろよ!》
反応したのはジャグだった。
二機のドラゴンフライに追われたまま、フワリと真下を向いたストームチェイサーが地面へ向けてエンジンを吹かした。
対地接近警報が叫ぶのも構わず、高度三〇〇〇メートルからの垂直降下。眼下を横切るミサイルへ向けて、機関砲弾の雨を降らせる。
機関砲は狙撃銃ではない。バラけて飛ぶよう設計された弾丸が、ミサイルのような小型の物体に命中したのは単なる幸運に過ぎない。しかしジャグはそれをやってのけた。
《捕まえた!》
推力偏向ノズルをフル稼働させ、エンジンパワーに物を言わせて機首を上げたジャグは、地面を擦るようにして上昇に転じる。
それ追って降下した敵機は、リナルドとマットが撃墜した。
《こなくそ!》
同じく反応したのはニコルだった。
戦闘高度から地面へ向けての動力降下は、ジャグですら多大な危険を伴う行動だったが、ニコルはそれすら超える危険を冒した。
機銃は外れた。モーター音が虚しく響き、残弾計がゼロを指した。初めから当たるとは思っていなかった。
幾つもの怒声と幾つかの悲鳴が回線を走った。
地表のわずか上を飛ぶミサイルの進路に割り込む。バラクーダの翼に当たったミサイルが爆発し、機体は地表へ叩きつけられた。
《馬鹿やろう!》
そう叫んだジャグが、最後の敵機を撃墜した。
※
ミサイルとの衝突コースに機体を乗せたニコルは、すんでのところで射出座席を作動させていた。
《ベイルアウトは初めてだが、中々のスリルだったぜ》
《ベイルアウトってのは、普通は上に向けて飛び出すもんだ》
パラシュートに吊られながら右手の親指を上げる相棒に《真横に飛び出す脱出なんざ、見たことも聞いたこともねえ》とジャグが呆れる。
戦闘機の脱出システムである射出座席は、仮に地表で作動させてもパラシュートが開く高度までロケットモーターに打ち上げられる。
しかし、それが真横に飛んだとしても、その機能が働く保証はどこにもない。落下の慣性と射出の際に発生する約一五Gの負荷は、予測しようにもできるものでは無い以上、ニコルが取った行動は一か八かどころか九死に一生という類いのものだった。
アッセンブルのパイロットたちも、スカイ・ギャンビットのキルシュも、驚きや怒りよりも呆れてしまって何も言えなかった。
《ヘイ、ちょっとそこまで乗っけてくれるか?》
《助かったぜ兄弟。特等席を用意する》
《いいね、一度は戦車に乗ってみたいと思ってたんだ。できれば一二〇ミリ滑腔砲も撃たせてくれ》
見事な五点着地を決めたニコルが、ヒッチハイクよろしく親指を立てる。正真正銘の命懸けで味方を救った英雄は、戦車隊に拾われた。
《もしかしてバカなのかも知れないと思っていたけど……》
《これで疑いは晴れたわけだ》
体当たりにヒヤリとしたアッセンブルの面々――特にネリアがトルノの無茶をチクチク責めても、当の本人はケロリとしたものだった。
この窮地を招く原因となった第五七飛行隊のルーキーたちは、黙りこくって一言も発さなかった。
見せつけられた圧巻の空中戦と、直後にやってきた自身初の空戦。初撃墜に浮き立ったその直後には、敵を取り逃がして味方を危機に晒す痛恨のミスを犯した。
自分のミスで人が死ぬところだった。ニコルとジャグがいなければ、二両の戦車とその乗員が犠牲になったと考えると、心臓が絞られるようだった。
しかも、それをフォローしたニコル――空軍の最大戦力とも言えるスーパーエースが、その身を犠牲にするところだった。
《おい、ルーキーども》
戦車隊に拾われたニコルは、複合装甲の角張った砲塔から上半身を乗り出し、渡されたマグカップを片手に機嫌が良かった。しかし、呼び掛けられた方は生きた心地がせず、ビクリと震えて次の言葉を待った。
《良い子は真似すんなよ》
来たるべき叱責や罵倒に歯を食いしばったルーキーたちの覚悟は、しかし無駄になった。
仲間たちより一足先にコーヒーにありつけたのが愉快なのか、マイクが拾って伝える声には笑いの成分が含まれていた。
《09のドヤ顔が目に見えるようだが、こればかりは本当に真似して欲しくないものだ》
エグゼールが釘を刺すが、それもいつもの面白がるような口調だった。
《空戦中にお絵描きする上官殿には言われたくありませんね》
《上官侮辱は営倉いきだぞ?》
《これはパワハラだ。そうだろ、ギャンビット?》
《話をこちらに振らないで下さい。開いた口が塞がらないのはどちらも似たようなものです》
キルシュが聞えよがしに溜息を吐けば、それは最もだとビッグビークの兵たちが賛同する。「この、恩知らずどもめ」とニコルが笑うと、再びあちこちで笑いが起こった。
こうなる五七飛行隊も強張った顔をしているわけにはいかなかった。
《FOX4は真似できませんが、09の心意気だけは見習いますよ》
許されたとは思わない。仕方がなかったと開き直る気にもなれない。
しかし、この場の誰もがヒヨッコである自分たちに「気にするな」と言っている以上、いつまでも暗い顔をしているわけにはいかなかった。
《できれば、それも止めておけ》
燃料と弾薬を補充して次なる戦闘に備えるために、アッセンブルの各機は次々と機首を翻す。
ブリーフィングで「ニコルに学ぶな」と言った矢先の危険行為に、そら見た事かと言わんばかりのジャグは、ニコルが陣取る戦車の上を爆音と共に通過した。
《こんな不良パイロットは、空軍に一人いれば充分だ》
《空軍に俺が二人いたら、お前はすぐにお払い箱だよ》
腕を振り上げて怒鳴るニコルの上を、ある者は翼を振り、ある者はからかうようにロールをしながら、仲間たちが飛び去っていく。
エグゼールを始めとして、ジャグの意見に反対する者は一人もいない。しかし、ニコルの技量と闘志を否定する者もまた、一人として存在しなかった。
《いいえ、それでも尊敬しますよ。バンクロイド大尉殿》
ピシリと編隊を組んだ五七飛行隊は、機体をバンクさせてニコルの姿を視界に収め、誰が号令するでもなく全員が敬礼を送った。