#16 ブレイクショット作戦
第一〇四戦車中隊“ビッグビーク”の隊長を務めるマニング少佐は、カルダーノⅡ主力戦車の上部ハッチから身を乗り出した。時刻は午前四時三〇分。東の空は赤く染まり始めているが、眼前に広がる草原はまだ薄暗い。隣の車両は影しか見えず、秋の虫が鳴くか細い声と戦闘ブーツが草を踏む音だけが耳に聴こえる。
《コード・アイリス。繰り返す、コード・アイリス》
デジタル無線機からの音声が、作戦開始の符牒を繰り返した。
全ての車両がエンジンを始動する。一三〇〇馬力を誇るガスタービンエンジンの咆哮が、朝の静けさを破壊した。
《“ブレイクショット”作戦開始》
《全車、前進!》
朝焼けに照らされたダークグリーンの隊列が、ざわめく草原を踏みしだく。幾重にも重なる履帯の跡は、西へ向かって伸びていった。
※
《グッドモーニング、オールユニット。こちらはスカイ・ギャンビット》
スピーカーから聴こえる女性の声に、戦車兵たちの快哉が上がった。オペレーターは女に限る。むさ苦しい男の声に送られて死にに行くのは真っ平だった。
《色っぽい声だ。今度、一杯付き合ってくれ》
《光栄ですわ中隊長。ですが、こちらはただいま高度一万メートルです。ご自慢の戦車で迎えに来て頂けるなら、お酒でもダンスでも、お付き合い致しましてよ》
秋の空よりさらに高く。大型旅客機をベースにした早期警戒管制機が、銀翼を誇らしげに光らせる。
丸い円盤を背中に担ぎ、その巨体に電子機器を満載した国土防衛の要。目玉が出るほど高価なこの機体を今回の作戦に組み込んだのは、無論エグゼールだった。
《さすが、空軍女はお高いな》
《ごめん遊ばせ、ビッグビーク。職務上、そう簡単に墜とされるわけには参りませんの》
近衛よろしく戦闘機を侍らせ、戦場を見下ろす空の女王。この空飛ぶ戦闘情報センターが、作戦に参加する全部隊のオペレーションを統括する。
《敵より先に、味方に撃破されちゃあ世話がない》
隊列の先頭を担うマニングがガハハと笑うと、オペレーターもクスリと笑った。
まったく下らない軽口の応酬だが、それを聞いた兵も笑った。ある者は戦意に瞳を燃やし、またある者は怯えながら。口元だけで笑っている。
間もなく敵がやってくる。ふざけていられるのも今のうち。誰もがそれをわかっていた。
《レーダーコンタクト。方位◯九二より接近する敵編隊を捕捉。機数およそ二〇。編成不明。迎撃機は即座に発進せよ》
《いよいよ、おいでなすった!》
《本日、皆さまの空を守りますのは、噂に名高いシエラオスカーです。どうぞ頭上はお気にせず、安んじてお進み下さい》
興奮と緊張を綯い交ぜにして進む戦車隊を、ギャンビットの美声が撫でた。
地上を進む部隊からは「おう!」と気合の声が上がり、草地を蹴立てる履帯の速度はわずかながらも鈍らなかった。
アストック共和国の、軍はおろか国民全てを探しても、アッセンブル・スペシャルオーダーの名を知らぬ者はない。
全軍を震え上がらせたUAVをいとも容易く葬る空の死神。新聞でもテレビでも、彼らの戦果を見ない日はない。
《さて諸君。まずは前菜だ。量はいくぶん物足りないが、次の皿はすぐに来る》
滑走路へと向うエグゼールの乗機は、ジャグと同じく前進翼機のストームチェイサーだった。
低視認性塗装の明灰色に極楽鳥花のノーズアートが赤く映えるのを見て、マットが物欲しそうな声を出した。
《へえ、隊長殿は最新鋭機でお出ましか。いいな》
《マーゴット少佐は海軍機か……道理で》
それに続くアマンダの乗機SBF−10“スティレット”は、空母での運用を前提とした艦載機だった。
大振りな機体を双発エンジンの大出力で走らせ、求める空力特性によって翼の形状を変える可変翼を持っている。
ニコルらの駆るバラクーダMark-Ⅲよりも若干古い機種ではあるが、スピード、パワー、旋回性能などの能力に遜色はない。
しかし、アストック海軍が保有していた唯一の空母“ロード・リーリング”は、この戦争の緒戦で舫いも解かずに撃沈された。空軍では聞かない名だと思っていたアマンダ・マーゴットの経歴を推察して、ヘックスはそれ以上を口にしなかった。
離陸位置についたストームチェイサーが出力を上げる。推力偏向ノズルが絞られると、赤い噴射炎が青く変わる。
ブレーキ解除。互いの発する気流を避け、位置をずらした二機が加速を始めた。
《幸運を、シエラオスカー01》
満タンの燃料と弾薬を積んだ二トンを超える機体がフワリと浮くと、エグゼールとアマンダは一気に高度を上げていった。
《ああ、ギャンビットちゃん可愛かったな。あの声で指示されたら、地獄の空も飛べちゃうね》
《作戦中に女の話はやめろ》
それに続いて、リナルドとマットの二機が離陸する。
スカイ・ギャンビットのオペレーターであるキルシュ・コーウェンは褐色の肌の美人士官だった。作戦の発動前に彼女と対面して、マットは一瞬で夢中になっていた。
《大規模な作戦は久し振りだ。慎重に行こう》
《了解です》
ヘックスとネリアが離陸する。
首都郊外の一軒家には、妻と娘が待っている。
ヘックスにとってのパイロットとは、家族を食わせる職業に過ぎない。彼もまた、リナルドとは異なる意味でのプロフェッショナルだった。
《まだらっこしい。敵の基地なんて、俺らが直接叩けば良いだろうに》
《まったくだ。爆弾の雨を降らせようぜ》
マーフィーとフランクのコンビが、文句を言いながら離陸する。
彼らは義理の兄弟で、マーフィーの妻はフランクの妹だった。それを敵の攻撃で失った。
彼らは復讐者として、戦場の空を飛んでいる。
《抜かるなよ》
《お任せあれ》
そして最後に、ニコルとジャグの分隊が離陸していく。敵が全力で反撃に出れば、そこにはあの黒いナバレスもいるかも知れない。
乾いた唇を舌で湿らせたニコルがスロットルを開く。滑走路の景色が後ろへ流れ、車輪が路面を離れる。
操縦桿を引いて機首を上げると、眼の前にはもう、空しか見えなかった。
※
《敵機視認》
スカイ・ギャンビットが見下ろす空を、アッセンブルの編隊が突っ切っていく。
《頼むぜ、空軍さん》
戦車部隊が見上げる空を、一糸乱れぬダイヤモンドが超音速で飛び抜ける。
向う先には二〇機のUAVが、点のように見え始めた。
《シエラオスカー、交戦開始》
エグゼールの号令を受けて、全機が胴体下部の燃料増加タンクを切り離す。身軽になった機体は次々に翻し、獲物を狙う鷹のように降下した。
《かかれ》
そこから先は一瞬だった。
エグゼールを先頭にして、まずは四機が突っ込んだ。すれ違いざまの一撃で数機を墜とし、時間差をつけて続く六機が襲い掛かる。
最初の四機が反転してさらに一撃。二〇機を数えるドラゴンフライは、二分と経たずに全滅した。
《ブラボー、これが噂のシエラオスカーってわけね!》
冷静に徹して作戦を進行するのがオペレーターの役目だ。本来ならば、友軍の兵に賛辞を贈る事などありえない。
しかし、ギャンビットの興奮と称賛は兵の士気を高揚させた。
《二〇機を瞬殺とは、恐れ入ったね》
地上を進む戦車隊も、その後方を進む車両隊も、あっという間の撃墜ショーに目を奪われた。アッセンブルの戦闘機がUAVを手球に取るのを目撃した経験のある者でさえ、これほどの鮮やかさを見たことはなかった。
《この程度で驚いて貰っては困る。主菜はこれからだろう》
《肯定。敵の第二波が接近中》
余裕綽々《よゆうしゃくしゃく》のエグゼール。しかし、それに応えるギャンビットの声は、オペレーター本来の緊張感を取り戻している。
敵が密集隊形を取っているため、正確な数は分からない。しかし、レーダー画面を埋め尽くしていく多数の光点に、キルシュは背筋を凍らせた。
《敵機、推定五〇以上!》
《良かろう。少しは歯応えがありそうだ》
夥しい数のドラゴンフライが、正面の空に現れた。指示を受けたアッセンブルが、組んでいた編隊をはらりと解いた。
敵機視認。全機、自由戦闘。
《攻撃開始!》
一瞬の躊躇もない最大加速。
五倍を超える戦力差に、怯えるどころか不敵に笑う。喜び勇んで死地に飛び込み、破壊の嵐を巻き起こす。
航空特殊部隊アッセンブル・シエラオスカー。その本領が発揮されるのは、これからだった。