#13 模擬戦のあと
白昼の模擬戦のあとで、司令官のオフィスに呼び出されたニコルを待っていたのは、部屋の主であるエグゼールとその副官たるアマンダ。そしてベルベットの三人だった。
冷ややかと表現するには、些か温度が低すぎるアマンダの視線。猛犬さながら、いまにも唸り声を上げそうな顔のベルベットを敢えて無視したニコルは、その手に持たれたジャグの端末と軽い挨拶を交わした。
「お疲れさん。あのオッサンを相手に上出来だったな」
「お疲れ様でした、大尉。残念ながら完勝とはなりませんでした」
これで相棒に腕があれば拳を合わせるところだが、それは無い物ねだりというものだ。
「模擬戦は御苦労だった。しばらくは休暇でも取って、ゆっくり休みたまえ」
エグゼールは、いつもの鷹揚な態度を崩していない。
ブリーフィングの最中に喧嘩沙汰を起こした張本人が、まさか労いの言葉を掛けられるとは予想せず、基地司令の正面で直立したニコルは怪訝な顔をした。
「お咎めは、無しですか?」
「許可を出したのは私だよ」
バンクロイド大尉の行動は、概ね私の思惑に適ったものだった。
正気を疑うレベルの連続出撃と、それに正比例する多大な戦果は、敵の耳目を大いにこの基地へ集め、結果として他の部隊への攻撃を誘引した。これによって友軍の地上部隊は、撤退および戦線縮小をスムーズに行うことができた。
一方、敵の無人機も無尽蔵という事はない。いかに低コストとは言え、月に二百機以上の機体を失った打撃は大きい。
これによって敵は積極的な行動を鈍らせ、我が軍は態勢を整える時間を得ることになった。
「そして、ジャグのことだが……」
「ふ、不本意な点もありますが、大尉とのコンビを組んでから、ジャグの成長速度は、い、著しく増進しています」
エグゼールに水を向けられたベルベットは、言葉の通りに不本意そうな顔で続けた。その顔は赤く、声はわずかに震えていた。
以前、食堂でも話したように、ジャグの学習効率は飛躍的に上がっている。
航空戦術人工知能には、基礎的な航空戦術の他にも、敵味方を問わず集められる限りの空戦機動のデータを与えてある。
しかし、時に感情に任せ、時に野生の勘とやらで機体を操るパイロットの操縦には、データとしての一貫性を見つけにくいという側面がある。意識外のクセのようなものや、パニックから出たデタラメな反応はそこに意味を見出す事ができず、合理性の中に組み込む事ができないでいた。
それが、ニコルと実戦の空を飛ぶことによって、パイロットの意識と連動する“生きた戦術”を得たジャグは、それまで未消化であったデータまでもを分類・活用できるようになった。それが、この飛躍的な進歩の要因と思われる。
そう結んだベルベットは最後に「不本意ですけど」付け加え、正面を向いたまま「それはもう聞いたよ」と返すニコルの横顔を、一瞬だけ睨んでそっぽを向いた。
所見を聞いたエグゼールは、満足そうに頷いた。
「ジャグを始めとするN.A.R.Pの人工知能の進歩は、アストック軍のUAV開発、ひいてはこの戦争の趨勢に大きく関わっている。ゆえに、この度の大尉の貢献は、先の勲章など及びもしない功績だ。それに加えて、これまでのハードワークもある」
エグゼールはデスクの上で組んでいた手を解き、マグカップのコーヒーを一口飲み、おもむろに告げた。
「そこで、大尉には三日間の特別休暇を与える」
「休暇……ですか?」
ニコルは、またも怪訝な顔をした。
自分の言動が、軍人として褒められた事ばかりでないのは承知している。むしろ、褒める部分を挙げるのに苦労するくらいだという自覚もある。
無論、これまでしてきた無茶も無理も、自分なりの成算があっての事ではある。しかし、それを「思惑通り」と評されるのは、上官の掌の上で踊らされているようで面白くないという想いもあった。
「休暇は必要ありません。これまで通りに飛びます」
「君の機体に関わる整備班からの苦情もある。休みたまえ」
さすがのニコルも、それを言われると弱かった。
戦闘機の整備は神経を使う緻密作業で、なおかつ重労働だ。通常では考えられない頻度で出撃するニコルは機体の扱いも荒っぽいため、彼の機体を担当する整備員は空前の過重労働を強いられている。
パイロットが飛べるのは整備員のお陰。
整備部は、稼働の少ない機との担当人員のやり繰りや、予備機体の増加でどうにか対応はしているが、彼らに対する負担だけは、正直を言うとニコルも気に病んでいる部分だった。
仕事がキツイとか楽だとかの話は置くとしても、疲労が人為的過誤を呼ぶことを考えれば、彼らにも――否、彼らにこそ、休みが必要だった。
「わかりました。ですが大佐、せっかく休むのでしたら……そいつを俺に、預けてくれませんか」
「ど、どうしてですか⁉ 休みにこの子は必要無いでしょう!」
ニコルが視線を送ると、ベルベットは水筒をひしと抱えて庇おうとする。
「俺のお陰でお勉強が捗ったんだろう? なら、もっと教えてやろうっていうんだよ。色々とな」
ニヤリと口角を上げたニコルが手を伸ばすと、ベルベットが後退る。一歩進むと二歩下がり、程なく壁に追い詰められる。
恐れ慄くベルベットの様子は、貞操の危機を前にした乙女さながらだった。
「君はどう思うかね」
「反対です」
「だろうな」
言下に否定するアマンダに苦笑したエグゼールは、やれやれと立ち上がり、ニコルの肩に手を掛けた。
「君には考えがあるのだろうが、些か説明を要するのではないか?」
「簡単なことですよ。その計画とやらは、人工知能と人間の連携が肝心なんでしょう? なら、学ぶべきは人間関係だ」
そう言って笑うニコルの意図を察したのか、単に面白がっているのか。エグゼールは「だ、そうだが?」とベルベットに首を傾げてみせる。
「でも……」
ベルベットが救いを求めるような視線に、アマンダは申し訳なさそうに首を振った。
ニコルが人間関係を云々するのはお笑いだが、エグゼールがこうも乗り気になってしまっては、逆らうだけ無駄なのを彼女は知っていた。
「ワタシも、それが最良と判断します」
ベルベットの腕の中で、ジャグがインジケーターを点滅させる。ニコルは「ほらな?」という顔になる。
我が子にまで見放されては納得せざるを得ない。しかし、ベルベットは胸にかき抱いた黒い筒をおずおずとニコルに差し出しながら、一言いわずにはいられなかった。
「ボクのジャグに、変なことを仕込まないで下さいね。それとボクは、子供じゃありませんから!」
赤い顔をさら赤くしたベルベットは、つい余計な一言まで付け加えてしまう。先程のオープン回線での通信に、ベルベットはいたく傷ついていた。
プイと横を向いたエンジニアに、それが子供なのだとから揶揄いなるのを、ニコルはどうにか飲み込んだ。
「ワタシの評価は上昇したようですが、大尉への評価は急降下したようです」
「わかりきった分析をわざわざどうも」
アマンダの視線もベルベットの威嚇も、そよ風ほどにも感じない。大人の男の余裕を纏ったニコルは、上から下から黒い水筒を眺める。
「壊さないでくださいよ。ニコルさんの給料じゃ弁償なんてできませんからね」
「わかってるよ。シャワーの時はシャンプーハットを被せるし、おねむになったら子守唄を歌ってやる」
「駄目! やっぱり返して!」
手を伸ばすベルベットを躱しながら、器用に敬礼したニコルが逃げるように司令室を出る。我が子を奪われたベルベットは、その後を追いかけていった。
アマンダがこめかみを押さえる横で、エグゼールは笑っていた。