#11 マット・カールスタイン
《各機、高度五千メートル。模擬空戦を開始せよ》
上空の四機と基地中にエグゼールの声が響いた。
各機の無線がオープンチャンネル――相手にもギャラリーにも筒抜けなのは、このお祭り騒ぎを盛り上げようという基地司令エグゼールの趣向だ。
機銃の照準に捉えての射撃宣言。
火器管制システムによるロックオン。
最低高度に設定された三千メートルを下回れば失格。
それが、エグゼールが設定したこの模擬空戦のルールだった。
《空戦を見世物にしやがって》
《ジャグ。交戦開始》
《ベルちゃーん。待っててね!》
《お手軽に卒業しようったって、そうは行くかよ》
各々の思惑を乗せて、二機と二機が接敵する。イチかバチかの正面攻撃を避けて散開し、複雑な機動を駆使して相手の背後を取ろうとする。
《俺はマットをやる。オッサンはジャグに任せた》
ニコルの指示に復唱したジャグが距離を取ると、乗ったとばかりにリナルドがそれを追った。
《いい判断だ》
二機対二機のチーム戦になればリナルドとマットのコンビネーションに敵わない。ジャグがリナルドを引き付ける間にニコルがマットを撃墜し、その後に二機掛かりでリナルドに対する心算だろう。
そう考えたリナルドは、しかし、ニコルの思惑を読み違えていた。
無茶な出撃を繰り返したニコルとジャグは、すでに完全に近い連携を実現している。二機対二機の戦いになれば、瞬く間に勝負をつける自信があった。
しかし、呆気なく勝ってはつまらない。簡単に負けさせるわけにはいかない。言い訳のできない状況で、リナルドらを完膚なきまでに屈伏させる必要がある。
このニコルのシナリオに、リナルドとマットはまんまと乗せられた。
もしリナルドかマットのどちらかが、ニコルの戦術に注意を払っていれば、この策は成立しなかっただろう。
しかし、それに気がついたのは地表からそれを見守るネリア・シャンダルク中尉だけだった。
「まったく、頭に来るけど」
滑走路の脇から空に描かれる航跡を眺めて、ネリアは面白くもなさそうに鼻を鳴らした。
「一応、感謝はしておくわ」
ネリアがニコルとジャグにベットした二ヶ月分の給料は、無駄にならずに済みそうだった。
※
《バンクロイド中尉って、僕の事を甘く見てません?》
混戦が解消されて、マットの駆るバラクーダがトルノの背後にポジションを取った。
航空戦技アカデミーを首席で卒業した者同士の対決。ただし、問題児だったニコルに対して、マットは優等生だった。
旋回範囲を狭めながらも速度を殺さない。その絶妙な機体操作が、彼の非凡な才能を証明している。
《甘く見るなんてとんでもない。上手に飛べてるよ》
《それが馬鹿にしてるって言うんですよ》
ニコル機との距離が近い。武装選択スイッチを操作したマットは機銃の照準にニコルを捉え、トリガーに指をかけた。ベルベットとのデートはこれで頂きだと思った。
その瞬間、ニコルの機体がするりと横に逸れた。
マットは再度の攻撃チャンスを狙う。しかし、またも射撃の直前、ニコルは滑るように的から外れた。
《くそッ、後ろに目でもついてんですか!》
《殺気がだだ漏れなんだよ》
マットがアカデミーを卒業した時、すでに戦争は始まっていた。だから彼の戦闘経験は、そのほとんどがUAVを相手に積んだものだ。
撃墜の恐怖に逃げ回る人間の気配を知らない。罠を張って隙を待つ、敵の息遣いに気が付かない。そして、射撃の瞬間に自身が放つ殺気を隠す術を、彼は知らなかった。
細かな機動を駆使して狙いを定め、トリガーを引く瞬間にはそれがピタリと止まってしまう。
ニコルには、それが丸見えだった。
《これから撃ちますって合図を貰って、避けられないのは薄鈍だ》
この程度の事は、リナルドと飛んでいれば学んでいてもおかしくない。あの男はそういう世界でエースになった古強者だ。
しかしマットはそれを怠った。UAV相手の戦闘に、気配の読み合いなどは必要なかった。
《勉強不足だ。優等生》
《だからって、こっちの優位は変わりませんよ!》
マットは距離を置いて、ミサイル――ロックオンでの攻撃に切り替える。だが、その意図もニコルは見通していた。
マットが減速するとニコルが加速する。距離を離されたマットが加速すると、タイミングを合わせてニコルが減速する。
オーバーシュート――ニコルのスロットルワークに翻弄されて、マットの機体が前へ行き過ぎる。形勢は逆転し、そして一瞬で勝負はついた。
《くそッ! やられた!》
背後を取られたマットが回避行動を取ろうとするより先に、撃墜を報せるブザーが響いた。
※
勝負が決した二機のバラクーダが並んで飛んでいる。それまでの息もつかせぬ戦闘機動とは打って変わって、穏やかな水平飛行だった。
《墜とされると思った時には、もう墜とされている。空戦ってのはそういうもんだ》
撃つと思った時には撃っている。殺気など放っている暇があったら、トリガーを引け。頭より先に手を動かせ。それがニコルの教えだった。
《ああクソッ……マジで悔しい》
《煽って済まなかったな。これも作戦の内と思ってくれ》
冷静さを奪うためにからかい、罵った。しかしそうして悔しがれるのも、命があればこそだと言いながら、ニコルは自分が少し笑っている事に気がついた。
《じゃあ、本音じゃ無かったんですか?》
《いいや本音だ。今のは言わなくてもいい事を言ったという意味であって、実際お前はへなちょこだ》
《マジ、凹むんですけど……》
マットの嘆きを聞いたニコルは、今度ははっきりと笑った。
思えばそれは、この基地に来てから初めての事だったかも知れない。何が面白いでも愉快でもない。自分はこのような他愛もない事で笑う男だったかと、不思議に思うほどだった。
しかし、少し前まではこうだったのだ。アイクと一緒に飛んでいた頃から、まだ二ヶ月も経っていない。
何も深刻ぶっていたわけでは無い。これは戦争だ。人の命に関わる話だ。決してお気楽にやれる事ではない。
しかし、余裕を失っていた自分に気がついたニコルは、ヘルメットの中で自嘲した。
《そういう事だから、ベルの事は諦めて貰おう》
《そういう大尉は、ベルちゃん狙いなんですか》
《俺はガキは相手にしない。まあ、乳だけは立派なものだが》
《うわ、サイテーだこの人》
このような下らないやり取りが、こうも心を軽くする。そのような単純な事を久々に思い出したニコルは、口が軽くなっている事に無自覚だった。
※
スピーカーからニコルの声が流れると、空襲に備えた耐爆構造の基地施設が、見物人の大爆笑に揺さぶられた。
傷心のニコルは、心の余裕を取り戻した。
そして、その代償として、基地中の女性の顰蹙を買う事になった。
「大佐。ミス・マーベルが、滑走路の真ん中で何か喚いてます」
「危険だ、連れ戻せ」
どこからか手に入れたポップコーンを口に放り込むエグゼール。連絡を受けた警備兵に羽交い締めにされて、ベルベットは引きずられていった。
どいつもこいつも曲者揃い。しかし技量は一流だ。誰もが屈託や問題を抱えている。それでも機能を果たしている。
今のところ計画は順調。このままのペースで行けば、そろそろ敵の動きが変わる。
若干二九歳にして基地司令の要職にあり、参謀本部に大きな発言権を持つ空軍将校。エグゼール・オーヴィッツは、満足気にビールを飲み下した。
「ジャグ、そしてバンクロイド大尉。君たちには期待しているよ」
空の上では、ジャグとリナルドが戦っている。それを見上げるギャラリーが歓声を上げる。
エグゼールの呟きを聴くものはいない。ポップコーンの塩気をビールで流す、その口元が歪んでいる。
この戦争に、自分のやり方で決着をつける。その準備のために、彼は二年間を費やした。
そして一歩を踏み出してしまえば、状況は加速する。
さらにもう一口。ビールを煽ったエグゼールは、口を拭って空を見上げた。