#10 モック・ファイト
娯楽に乏しい前線の基地では、噂が広まる速度も早い。基地内にいくつか存在するSNSコミュニティは、どれも模擬空戦の話題で持ち切りになった。
――リナルド・マット分隊対ニコル・ジャグ分隊の模擬空戦。本日一二〇〇に戦闘開始。賞品はベルベット・マーベル嬢の貞操。
――「無人機狩り」で受勲したニコルの技量は実際凄え。前回のタイマンでジャグはニコルに負けたが、最新鋭機で負けたジャグが劣っているのか、それにバラクーダで勝ったニコルが凄いのか。
――ニコルの撃墜数が多いのはアホほど出撃したからだ。同条件で競えば軍配が上がるのはベテランのリナルドの方だろ。
――マットはチャラいが技量は確かだ。
――ベルベットは賞品になることを承諾していない。貞操云々の話はデマである。野蛮人の無法を許すな。
ほんの短時間で噂には尾ひれがつき、センセーショナルな流言飛語がログを埋め尽くした。
とある研究によれば、SNSにおいて真実を伝える情報に対して、虚偽またはそれに類するものは六〜二〇倍のスピードで拡散する。ベルベットの権利を擁護する匿名の投稿は、一瞬で情報の濁流に押し流された。
これまでに、ニコルとジャグの空中戦をその目で見たのはネリアのみだ。しかし、今回の模擬戦は基地の上空で行われる。
三名と一機の戦いを直に見物したいと願う者たちの間では、シフトの交代権が高値で取り引きされた。売店のビールが飛ぶように売れた。胴元が名乗りを上げれば即座に乗る者が現れて、賭けのオッズは六対四のリナルド組優勢となった。
司令部棟の窓には人が群がり、炎天下の野外にパラソルが立ち、格納庫の屋上に陣取る者まで現れる。降って湧いたお祭り騒ぎに、基地全体が興奮していた。
「大佐、こんな事を許してよろしいんですか」
「たまにはガス抜きも必要だろう。パイロットにもスタッフにも」
「ですが、これが切っ掛けで決定的に隊が分裂する恐れも」
「恐らく、そうはなるまいよ」
副官の懸念に取り合わず、エグゼールは管制塔の特等席でビールの栓を抜いている。
その上官の「ところで君は、どちらに賭けたんだ?」という質問を、アマンダは無視した。
※
陽炎が揺らめく誘導路にジャグの機体が現れた。
低速域での機動性と高速戦闘を両立させたアストック空軍の次期主力制空戦闘機、NFX―23。通称“ストームチェイサー”。
新設計の強力な双発エンジンによって推力増加装置無使用での超音速巡航を実現し、推力偏向ノズルは自在な機動を可能にする。
流れるような翼胴融合――ブレンデッドウィング&ボディのフォルムと前翼。そして、特徴的な前進翼が天宙からの光に煌めいた。
電圧チェック、油圧チェック。動翼、舵翼の各部動作に異常なし。エンジンのパワーを離陸位置へ、ブレーキを解除して速度を上げる。ニコルの一番機に続いて、着陸脚が滑走路を離れた。
上昇しつつ機体を一捻りさせたのは単なるパフォーマンスだが、ニコルに言わせれば、それはいわゆるファンサービスだった。
※
《いいかジャグ。尊厳なんてものは、降っても来ないし生えてもこない》
出撃につぐ出撃。疲労困憊の状態でありながら、それでも切れないニコルの集中力は、ジャグが持っている常人のデータを遥かに上回っていた。
敵UAVを刈り取って帰投する最中に、そのニコルが話を切り出した。
《同じ敵を相手に戦う味方。目的を共にする同志……》
普通はそれで仲良し小好しとなるところだが、それでもはぐれる奴はいるし、弾かれる奴もいる。
結果を出しても評価をされず、何をしても侮られる。上から行っても下手に出ても、バカにされるし疎まれる。
《なら、勝ち取るしかないよな》
乞うても強請っても敬意は得られない。舐められたままでいられないなら、実力で勝ち取るしかない。
プライドが邪魔と言うのなら、それを圧し折り思い知らせる。馴れ合うつもりがないなら上等、正々堂々、叩き潰す。
《相手をぶん殴れれば話は早いが、生憎お前はボクシングには向いてない》
だから、得意の空戦で話をつける。ぐうの音も出ないほどにやっつけて、謝罪の言葉を絞り出させる。
《勝てるでしょうか》
《当たり前だ。俺が教えた事を忘れなければ、そこいらのパイロットには負けない。物覚えがいいのがお前の取り柄だろ?》
《あなたにも勝てますか》
《俺はそこいらのパイロットじゃない》
《スミマセン》
《冗談が通じないな。まあ、仕方ないか……》
調子よく話していたニコルはため息をついた。しかし、ジョークの通じないジャグに、呆れたのでも失望したのでもなかった。
日が沈んで辺りが暗くなり始め、滑走路の誘導灯が視界に入る。管制官との交信を始める前に、ニコルには言っておかねばならない事があった。
《この前は、すまなかった》
こちらが連携を疎かにしておきながら、叱責して喧嘩を売った。ベルベットの涙に教えられて、大人気のない自分に恥じ入った。
《らしくもないが、反省した》
俺はお前の味方になると決めた。権利と立場を守るために、力の及ぶ限りなんでもする。
だが、勝手にキレて勝手に改心して、素知らぬ顔で仲間ヅラは虫が良すぎる。
《お前には無価値な事かもしれないが、けじめはつけたい。この通り、謝罪する》
二機は並んで飛んでいる。紫色の薄闇のなか、頭を下げるニコルがキャノピー越しにも確認できる。
《もっとも、お前は「許さん」とは言わないだろうがな》
そういう意味ではこれも身勝手。自分の気持ちを満足させるための行為に過ぎない。しかし、それをせずには進めない。
《舞台は俺が作ってやる。だからお前は勝て》
《OK、ボス》
※
そして、これがその舞台だった。
全てのパイロットと基地職員、兵たちが見守っている。戦闘のデータは軍の上層部にもフィードバックされる。
ニコルの期待に応えるために。また、開発者の貞操を守るために。これまでの学習成果を発揮する必要がジャグにはあった。
《いくぞ、ジャグ》
《了解。コンバットオープン》
すでに飛び立ったリナルドとマットは、上空を旋回しながら待ち構えている。
並んで加速、上昇するニコルとジャグが、翼端から雲を引いた。