93.クイーンからの贈り物
ピスティルは気を使う顔をしてゴブリンを連れて帰ってきたリーフに心で舌打ちをした
リーフは心配そうな表情でトランクを慕うゴブリンに肩を貸し、真剣な目で「彼らは疲れているが意気軒高だ、少しだけ休息を頼む」と言ってきた
ピスティルはただ相槌を打つことしかできない
リーフはそんなピスティルを見て「君もつらいのだと思う……できる事があったら言ってくれ」と気遣ってくれる
その気遣いが不愉快でたまらないが、それを表情に出すわけには行かない
彼は心の底から私を心配しているだけなんだ
トランクも彼を尊敬していた、だから悪意で返しちゃいけない
そう自分に言い聞かせ、ピスティルはゴブリンを連れてリーフのいる部屋を出る
トランクの部下だったゴブリンたちは満身創痍だったけれど、それでも弱音は吐いていなかった
トランクの仇を討ちたい
自分の弱さがつらい
次は絶対にあの憎いゴブリンハーフを殺す
傷ついているだろう腕に力を込め、強く拳を握る
きっとトランクが見れば喜んだだろう
肩を叩き、鼓舞し、共に声を上げただろう
でも彼はもういない
彼は私が殺したから、もういない
ピスティルは下を向いたまま長い廊下を歩く
突き当りの薄暗い部屋の扉を開け、連れてきたゴブリンに入室を促す
「ここは何の部屋ですか? 初めて見るけど」と不思議そうに聞くゴブリンに
「回復室よ、魔法陣で回復魔法を展開して全身を休ませる部屋なの」とピスティルは答える
その言葉に安堵した顔を浮かべて喜んで部屋に入っていくゴブリン達
部屋には暖かいベッドに柔らかいソファーをしつらえ、室温は適温を保っている
水も食事も置いていないのが残念だけど、それ以外は可能な限り快適に過ごせるようにピスティルが設計した
少しだけ暗くしてあるその部屋でゴブリンたちはベッドにもたれ、限界だったのかすぐに寝息を響かせる
ピスティルは扉を閉め、カギをかける
そして扉に手を当ててうつむき、一歩も動けなくなる
涙は流していない、流す資格がないと自分を責める
少しだけそのままの体勢で動けなかったが、数分で意を決して頭を上げる
「よぉロッド、随分浮かない顔してるじゃねぇか! そんな気持ち悪い恰好してる自分に悪酔いしたか?」
最悪だ、ピスティルの気分がどん底に落ちる
そんなピスティルの感情などお構いなしでそのゴブリンはヘラヘラとピスティルの前に立つ
「ダガー…… 城に戻っていたのね てっきりまだ任務中かと思ったわ」
「お前らと一緒にすんなよ、無能が何匹か死んだが仕事はさっさと終わらせてきたぜ クイーンもお喜びだ」
「そう……すごいわね お疲れ様」
相手にする気力も湧かず、適当に流すピスティル
息をするように相手を侮辱し下に見てくるこのダガーというゴブリンをピスティルは軽蔑していたが、仲間だから敵対するわけにもいかない
それに任務の遂行率はこの城で一番の成績で、クイーンの寵愛も深い
「おーおー相変わらず最悪な態度だな、そういう態度が士気を下げるってのがわからねぇのか つくづく無能だねぇ」
『どっちが士気を下げていると思っているの……』ピスティルは心中で毒づく
こんな奴の相手をしている場合じゃない、やらなければいけないことがあるのだ
最悪な気分の時に最悪な相手に出くわして心労著しいが、この仕事は自分以外は誰にもできない
やらせてはいけないのだ
そんな悲壮な決意で立ち去ろうとするピスティルに無神経な言葉が投げかけられる
「おーおー、あれかぁ今日の石ころは」
その言葉を言い終わるより早くピスティルはダガーの首元を掴み上げる
「それ以上喋らないで……その首へし折るわよ……!」
「おいおい怖いなぁ、それ以上したら怖すぎて手元が狂っちまうぞ?」
ピスティルの肋骨の隙間にそっと刃物が押し当てられ、ダガーの手元がわざとらしく震える
首を捕まれていることなど意にも介さず、舌を出しヘラヘラと笑うダガー
ピスティルは手を離し、懇願する
「お願いだから……静かにして…… 最期なんだから……」
ダガーはピスティルが手を離したことを心底つまらなさそうに刃物を腰に収めため息をつく
「つまんねぇなぁ、もうちょい突っかかって来いよ」
「そんな気分じゃないのよ……お願いだからほっといて……」
そういうとフラフラとピスティルは隣の小さな部屋に入室し、力なく扉を閉める
おもちゃの反応が悪かったことに不機嫌になっているダガー
「なんだよ、大して役にも立たねぇ雑兵の処分じゃねぇか いちいち感傷的になってんじゃねぇよ」
不機嫌さを隠さず辺りを蹴りながら歩き始めるダガーの元に、急ぎ足のゴブリンが話しかけた
「ピ、ピスティル様を見ませんでしたか?」
「あぁ? ロッドだろうが! 呼び方間違えてんじゃねぇぞ殺すぞテメェ」
「す、すいません! クイーン様より預かり物がありましてロッド様をお探ししておりました」
ダガーの一挙手一投足に委縮が止まらないゴブリンが必死に冷や汗をかきながら言い直す
「なんだぁ? クイーン様がロッドになんだっていうんだ……」
そう言いながらそのゴブリンの方を改めて注意すると、ゴブリンが一人でないことに気づく
「おいおいおいおい、こいつぁ……」
「で、できるだけ早く引き渡すようにとの厳命で……」
そのもう一人のゴブリンを見てダガーの顔が嬉しそうに歪む
「わかった、こいつは俺が責任を持ってロッドに引き渡そう、お前はかえって休め」
「え!? い、いやしかしこれはクイーン様よりの命令で私が……」
「うるせぇ、その首とその腎臓細切れにするぞテメェ 黙って俺の言う事を聞け殺すぞ」
「は、はい! 申し訳ありません! 失礼します!」
その言葉に恐怖を覚えたゴブリンが一人で逃げるように立ち去っていく
ダガーは既にそのゴブリンのことなど忘れ、もう一人の残されたゴブリンをジロジロと眺める
「こりゃあ面白れぇなぁ……どんな顔するか見ものだなぁ……!」
ピスティルは部屋で両腕を机に突っ伏し、頭を上げることができない
その部屋は隣の部屋とは違い、あまりに寒く、あまりに暗い
質素でボロボロの机に、ギシギシと音のなる椅子
その壁は何度も何度も殴りつけたかのような穴と凹み、そして緑の血がこびりついていた
ピスティルはやがて音もなく立ち上がると壁面に刻まれた魔法陣に手を付け、魔力を注ぎ込む
その魔法陣の刻まれた壁面は、隣のゴブリンが寝ている部屋に隣接
ブツブツと詠唱を呟き、魔力を注ぐ
その魔力に呼応して魔法陣が赤く光り、やがてその光は透き通るように壁を越えていく
なおもまだ魔法陣に詠唱し続け、赤い光がさらに濃くなる
そしてしばらくして小さな破裂音と、何か硬いものが床に落ちるような音が隣の部屋から聞こえる
その音を聞いたピスティルは死んだような目で詠唱を終わらせ、壁面の小窓を開く
小窓の先には分厚いガラス
不自然なほど透明度の高いそのガラスのその先は隣の部屋がよく見える
暖かいベッドに柔らかいソファー
その近くに、物言わぬ赤い石
そこにいたはずのゴブリンはもういない
ピスティルは今日も、同胞を殺した
あの日から毎日、ピスティルはトランクの仲間と自分の友達を殺し続けた
自らが完成させた命鉱石の生命錬成術を用いて、仲間の命を石にし続けたのだ
石になったことを確認したピスティルは無表情で壁面を殴りつける
最初は感情の爆発から殴っていたが、もうそんな感情はない
事務的な贖罪の様に、ただ無感動に殴るようになっていた
心が死んでいくのが自分でもわかっていく
よろめきながら扉を開けると、その先に今一番見たくない顔が立っている
「ダガー……何か用でもあるの? 私はまだ仕事で忙しいのだけど」
「お疲れ様だぜロッドォ! 待ってたぜぇ!」
ピスティルのやんわりとした拒絶など意にも介さず上機嫌に話しかけるダガー
その馴れ馴れしさにささくれ立ちながらピスティルが不機嫌そうに口を開く
「疲れてるとわかってるなら放っておいて……」
「そうはいかねぇよロッドぉ、クイーン様からの預かり物を渡しに来たんだからよぉ、こいつぁ重要な要件だろぉ?」
その言葉を聞いて目を閉じわずかに天井を仰ぐ
「……預かりものね、わかったわ 準備するからちょっと待っててもらって」
「大丈夫大丈夫、こいつは喋ることもできねぇし考えてるかどうかもわかんねぇから!」
その言葉に違和感を覚え、ダガーの方を訝しく見つめる
「どういうこと……? 一体誰を連れてきたというの」
「そんな冷たい言い方すんなよ! 折角のクイーン様のお心遣いに失礼だろぉ」
そう言いながらダガーは柱の角に隠していたゴブリンの手を引きピスティルの前に連れてくる
手を引くダガーの顔は下卑ていて、それでいて心底嬉しそう
連れてこられたゴブリンの顔をピスティルが視界にとらえる
その瞬間、ピスティルに異変が起きた
表情が消え、目が開き、瞳孔が開く
感情を出さぬまま滂沱の血の涙をあふれさせ
喉が潰れんばかりに絶叫を上げた
その叫び声に、連れてこられたゴブリンはなんの反応も見せない
大きな大きな逆三角形のその体は、ただ立ち尽くすのみ
その様子をダガーは極上の観劇でも見たかのように手を叩き歓喜した
その日、ピスティルの心は、丁寧に、殺されたのだ―――――




