74.それはまるで人間のように
リーフは自らが手にかけたゴブリンの血の涙を流しながら見開いた目をそっと閉じてやる
その表情はとても痛ましく、悲しそうに見えた
リンファはリーフその行為に理不尽さすら感じ、怒りを露にする
「そのゴブリンはもう戦う気力も残っていなかったんだ! 瀕死にも見えた! なんで殺した!?」
「だから殺したんだ、リンファ 彼はもう助からない程に進行していた」
「何が進行していたというんだ!」
「病魔だよ 君は感じたことがないのか?」
その言葉を聞いても何を言っているのかわからないリンファは冷や汗を流しながらリーフを睨み続ける
リーフはそんなリンファの視線など気にもせず自らが切り伏せたゴブリンを優しく横臥させ、脇腹をそっと撫でてやる
(辛かったな…… もう限界だっただろうに肉体の改造までして……)
リーフはゴブリンの言葉でそっと労う
他のゴブリンがヨロヨロと立ち上がり、なおも戦おうという意志を見せる
武器も失い、その技もすべて見切られているというのにそれでもまだ戦おうとする
(やめろ、君たちへの命令はアックスの死で抹消されている もう遂行の必要はない)
(トランク様だ アックスじゃない そしてこれは命令で動いてはいない 俺たちの意地だ)
(ならばなおのことやめろ、無駄死にはクイーン様への裏切りと何よりトランクへの侮辱になるぞ)
トランクへの侮辱と言われ、途端に視線を伏せるゴブリンたち
全員が歯を食いしばり、その身を震わせる
その光景にリンファはもとより、アグライアは心より驚愕した
リンファをずっと見てきてゴブリンと何度も接触してきたから、その生態が思ったより知的で感情的だという事は理解しているつもりだった
だがこれはなんだ?
言葉を聞かずともわかる、これは仇討だ
しかも絶対に勝てない相手にも何度も挑み、それを果たそうとする
そう思えば瀕死のゴブリンを介錯する者が居て、そのゴブリンの言葉に涙するだと?
「こ、これじゃ人間じゃないか……!?」
「人間と同じにされるのも心外です、この気持ちや行動が人間だけのものだと思うのは傲慢ですよ」
「なっ……!?」
「私達はあなたたちが思っている以上に物事を考えている、足りないとわかっていてなお足掻いている」
アグライアはその言葉に何も返せない
自分が知らなかっただけなのか、それとも今がその時なのか
ゴブリンは人と遜色ない侵攻や策略を繰り出してくる
魔法を使い、組織を作り、兵を率いる……
これでは王都に新たな敵対国家が生まれたようなものだ
(俺たちは……仇すら討てず、トランク様の侮辱だといわれるのか……!)
(……いや、違う 君たちにはまだトランクの為にできる事がある)
その言葉にハッとして顔をリーフに向けるゴブリンたち
(ピスティルの事は知っているだろう、彼がトランクの部下や自分の部下を招集している)
(ピ、ピスティル様が!?)
(そうだ、トランクと懇意だった彼がトランクの仲間の力を求めている……つまり君たちを必要としているんだ)
その言葉に沸き立つゴブリン、自分の生きる道があったと脇腹を押さえながら歓喜した
(君たちは病魔に耐えてトランクの為に戦ってきたのだな……尊敬するよ)
「待てリーフ……! ピスティルさんは一体何を企んでる!?」
「!? 驚いたな、ゴブリンの言葉を理解できるようになったのか……」
「質問に答えろ! ピスティルさんはあの時……」
「何かを知っている……と言った感じだな だがそれに答える義務もなければ義理もない」
だがリンファその言葉にも拳を引かず、吠える
「最後に見たピスティルさんにはどす黒い力を感じた……それにあの赤い魔鉱石、見過ごすわけにはいかない!」
「赤い魔鉱石? なんのことだ……いずれにせよ」
リーフがその刀を返し、3匹のゴブリンの先頭に立ち、リンファに立ちはだかる
「私の目的は彼らの様な生存者を救出することだ、邪魔をすれば……斬る!」
「なに……!?」
「そもそも君自身がもう彼らに戦闘の中止を求めていたはずだろう」
その言葉に構えたまま言葉を濁らせ返事に窮するリンファ
「そ、その通りだ……」
「あの日の決着を付けたいのならいつでも受けて立つ、私とてあの日の戦いに納得してはいない」
あの要塞の施設と赤い魔鉱石、そしてピスティル……
何かを企んでいるのはわかる、けれどそれが何かはわからない
だからといってこのゴブリンたちが死ぬかもしれないとわかっていて戦い続けるのは違う……
「わかった……撲は拳を引く、だから君たちも引いてくれ」
構えを下げ、間合いを開くリンファ
そのリンファの後ろにすぐアグライアが近づき、共に位置した
「わかった、彼らは私が責任を持って撤退させる 道中も襲われない限りは人間を襲わないとこの刀と師匠の名に誓おう」
その禍々しくも黒い刃の刀を鞘に納め、そう宣言するリーフ
かつてリンファが破壊したその漆黒の刃はまるでそんなことなどなかったの様に暗黒の輝きを放っていた
「なぁ、リンファ……」
リーフがその名を優しく口にする
それは敵対する相手としてではなく、近しい身内に声をかけるようにいつくしむような声で
「な、なんだ……」
その言葉の雰囲気で声をかけられたことに心を動かされながらも、気を張って返事をするリンファ
「リンファ、私達と一緒に来い お前が生きるべき世界はそこじゃない……ここだ」
何一つ疑いのない純粋な瞳でリーフは言った
だが言われたリンファはその言葉の意味を心で理解できず、呆気にとられてしまう
「君はゴブリンの言葉も覚え、ゴブリンに対して武人としての礼儀も払える」
「なにより君には種族と言う色眼鏡を通さない礼儀と秩序、なにより優しさがある」
リーフは慈しむ目でリンファを見つめる
その目に嘘がなさ過ぎて、リンファは戸惑う
「人の世界で君は幸せになれるか? ゴブリンの世界が幸せとは言わない……けれど」
リーフが息をゆっくりと吐き、口を開く
「けれど、私は兄弟としてお前と幸せにこっちで過ごしたいと思っているよ リンファ」
身内、家族、兄弟
それはリンファがこの旅に出るまでの十数年、求めてやまない存在で
どれだけ手を伸ばしても石しか投げられなかった夢のような単位
「ぼ、僕は……!」
何かを言い返したい、叫びながら殴り掛かってしまいたい
明確に拒否をしたい
けれど自分の中にある何かが、自分を押さえつけて口を塞ごうとする
リンファの体が金縛りにあったかのように動かなくなる
「リンファに戯言をいうのは止めろ!」
そんなリンファの金縛りはその声にはじけ飛ぶ
気づけばアグライアがリンファをかばうように前に立ち、リーフに吠えていた
その言葉でリンファは我を取り戻したかのように声が出るようになる
「ぼ、僕は……僕は人間として生きるとお母さんと約束した! だからそれはできない!」
揺れていた視界を定め、リーフを睨みつける
ゴブリンをかばうように立つリーフと、ゴブリンハーフをかばうように立つアグライア
「そうか、あなたか……」
「な、なに?」
「あなたがリンファにとっての人間の世界なのだな、アグライアさん」
リーフはその時初めてアグライアを観た
飛翔島に隠れ住んでいた時も多くの人間を見た
だが、リーフはその時初めて人間を観た、意識したのだ
「私に人間の美醜は測れない、だがきっとあなたはとても人間の中では美しい女性なのだろう」
「ど、どういう意味だ……!?」
「含みや企みなどはありません、ただ観たままに話しているだけです」
リーフはなおも眼前に立つアグライアを見つめる
アグライアはその視線に耐え、リンファの盾となる
「美しい……なるほど美しいとはそういうことか」
「な、なにを言っているんだ…… まだリンファに諫言を吐くならただでは済まさんぞ」
リーフはやがてその視線を下げると全員に号令を発する
その言葉にゴブリンたちが従う
まだ剣を下ろさないアグライアなど意にも介さず背中を向け、リーフはてにかけたゴブリンを背負う
滴りへばりつく血など気にもしない、大事な仲間を丁重に背負い歩き出す
歩き去る寸前、リーフがリンファに振り返って瞳を向ける
「リンファ、私はいつまでも待っているからな、武人としての決着でも兄弟としての再会でもどちらでも……だ」
そしてアグライアに目を向ける、それは眼光で心臓を貫かんばかりの鋭い視線
「貴方の美しさは醜さと紙一重だ 醜さに変わったならリンファがどうしようと一刀の下に斬り捨てる……!」
その言葉に圧倒され、何も言い返せない
言葉すら返せないアグライア
深い深い闇夜、二人はゴブリンの背中をただ何もできず見ることしかできなかった




