41.嘘八百
太陽もすっかり姿を隠した闇夜の森の中
頼りない月明かりが恐る恐る照らすその巨大なゴブリンは、その巨躯に似合わない軽妙な口調で人間の言葉を発した
「ゴブリンのトランクって言うんだよ、おい聞こえてるか?こっちが名乗ったんだからそっちも名乗るのが礼儀じゃないのか?」
ゴブリンが人の言葉で礼儀を説いてくる不自然さにリアリティを感じられないグリフ
「しゃ、喋ってる……? ゴブリンがしゃべってる……?」
うわごとのように信じられない事実を口にしていた
「グ、グリフです、角牙の民のグリフ……と言います……」
「……緑の民のファリンです」
グリフは放心状態で、リンファは警戒をきかせたまま偽名を名乗る
「グリフにファリン……ね、まぁ聞いたところで人の名前なんか覚えてられねぇんだけどな!ガハハ」
トランクは笑ったようなそぶりを見せるが、その目はまるで笑っていない
赤い瞳がまるで人魂の様に不気味に闇夜に輝き光る
「で、グリフにファリンとやらはこんな闇夜の森で一体何をしていたってんだ? ゴブリン狩りでもしてたか?」
「そんなことはしていません……」
「そ、そうそう!してない!してない!」
リンファは足元を確かめながらいつでも踏み込みができる体勢を作る
だがその時、トランクと名乗るゴブリン以外の何者かの気配を感じる
しかもそれは一人二人ではなく、少なく見ても10人以上……
大人数が何らかの攻撃態勢でこちらに敵意を明確に放ってきている
突き刺してくるような敵意と殺意にリンファの首筋に冷や汗が流れる
『地烈爆震脚で辺り全部を吹き飛ばす……? 駄目だこの距離なら相手の攻撃の方がはるかに速い!』
トランクは普通の人にとっては両手で扱うくらいの斧を、片手ずつに二刀で携えている
そしてその斧をまるで小枝の様に軽々と手悪さでもするかのようにトランクは扱っていた
踏み込む瞬間に薙ぎ払われたらグリフ諸共に粉々にされてしまうだろう
仮にその攻撃を凌ぐ前提で動いたところで、辺りを囲んでいる何者かの一斉攻撃で命は絶たれてしまうだろう
自分だけならそれでもどうにかなるかもしれないが、グリフを守り切れないか可能性が高い
打開策を必死に考えるリンファに対して、さらにトランクが話を続ける
「そうかぁ?お前らの体からゴブリンの血の匂いがするんだよなぁ……特にお前だ」
トランクはゆっくりとファリンを指さす
その向けられた指先が今にも襲い掛かってきそうで、ファリンの体が意図せず強張る
「お前の手先から結構なゴブリンの血と肉の匂いがする気がするんだよなぁ……俺の同胞を殺したのか? お前」
怒りも笑いもせずトランクは問う
『もう無理だ……だったら先手を!』
と動こうとした刹那、隣からコツンと手で合図が送られ寸前で踏みとどまる
「トランクの旦那、勘弁してくださいよぉ! 俺たちみたいなクソ雑魚がゴブリンなんて強敵を相手にできるわけないじゃないですかぁ」
さっきまでの放心状態からまるで人が変わったかのようにペラペラと舌を回しだすグリフ
リンファが驚きながらグリフに意識を向けると、合図を送ってきた手がブルブルと震えている
その振動は喋るための部位以外全てが震えているように感じるくらい、グリフが恐怖しているのがわかった
だがグリフは止まらない
「ほう?じゃあこの匂いはどう説明するんだ 俺の鼻が馬鹿になったと?」
「いえいえ、その嗅覚お見事!それは大正解でございます! 実は俺たちスカベンジャーなんすよ」
「すかべんじゃぁ? なんだそりゃ、冒険者ってには何人にもあったがそんなもの聞いたこともねぇなぁ」
聞き覚えのない単語にトランクが素直な疑問形の反応をみせる
「スカベンジャーってのはあれです、死体漁りでございます……ご遺体の装備や金子を頂戴して、生活費を作っておるケチな仕事でございます」
「ほう、死体漁りか なるほどそういう生き方も確かに理にかなっているな」
グリフは1の言葉に3話す勢いで言葉を立て板に水で発し続ける
「オイラたち親兄弟に捨てられてまして、何の力も持たないので生き残るためにそういう卑しい仕事をしております、お恥ずかしい限りです」
「特にこの弟分のリンファは勤勉でして、打ち捨てられた死体をほっとけねぇって言って埋めて弔ってやるんですわ、それで遺体の匂いが強く残るんですわ」
下手をすれば喋りすぎてうっとおしく感じそうな勢いだったが、ギリギリそう感じさせない喋り方をグリフは必死に維持する
トランクはトランクでその内容に多少の興味を持ったのか、グリフの言葉を待つかのように相槌を打ち耳を傾け続けていた
リンファはそんなグリフに対し表情にこそださないもの心から驚いていた
『す、すごい……こんな状況でスラスラと大嘘を並べられるのか!』
「なるほどなぁ、死体ってのは人間もゴブリンも構わずか?」
「人もゴブリンも、魔物も獣もやらせていただいております、状態が悪くとも獣は骨も売れますので……へへへ」
「俺たちも森の死体は利用するからありえねぇ仕事でもねぇのか……、もう一度聞くがゴブリンは殺してないのか?」
「滅相もない! 殺せるような力もないし逆らうような気持ちもありません! オイラ達はこうやって森の奥で泥をすすりながら死体を漁って小銭を稼ぐのが精いっぱいです、棲家すら持てない雑魚でございます」
「そんな生き方をしている割には達者な言葉遣いをしているな、服装もそんなに悪くない」
「お恥ずかしながら幼少の頃はそれなりに裕福な家庭で過ごしていたんですが、育ての親がオイラ達をこの森に捨てていきまして…… この服は最近死体から頂戴したものです、冒険者はいいもの着てますねぇ」
トランクの質問にまるで事実であるかの様に真っ赤な嘘で答え続けるグリフ
見たこともない化け物から質問攻めされればなんらかのボロの一つも出そうなものだが、グリフの嘘に嘘は感じられない
「兄弟とは言ってるが、お前ら血どころか種族も違うのはなんでだ?」
「育ての親が拾ってきた者同士です、血はつながっちゃいませんが乳飲み子の頃からの付き合いでして」
「ほう……わざわざ親が子を拾ってくるのか、作れば済むだろうにおかしなことをするな人間は」
更にトランクは質問を重ねる
「なんで親に捨てられた? 親は普通そんなことはしねぇだろう 集落にとってもガキってのは貴重なはずだ」
「人間社会ってのは嫌なもんでしてね、特にその親はメンツが大事だったみたいで捨て子を拾っては育てて、優秀に育たなかったら捨てて……の繰り返しをしてたみたいです まぁそれも後になってそうだったのかなぁと思う程度ですがね」
「なんと……そんな理由でガキを捨てるのか! 人間ってのはクズだな、ゴブリンでよかったぜ」
「そういっていただけると溜飲が下がりますわ、とはいえこうやって人間社会のおこぼれを吸わなきゃ生きていけねぇのがつらいところで……へへへ」
ひとしきり話したところで、急にトランクが黙る
他にも色々言おうと思っていたところに訪れた不意の沈黙にグリフの喉が急停止し、喉が鳴る
「なるほどねぇ、親に捨てられた、死体漁り……か」
グリフともリンファとも視線を合わさず何かに納得したかのように独り言を呟くトランク
「お前は兄貴分として弟分の面倒を見ているってわけだ?」
「へっ? あ、あぁそうでございます、とはいえ立派な弟分なので世話になりっぱなしって体たらくですが」
「なるほどなるほど、なるほどなぁ……!」
再び黙ったかと思うと、トランクはその顔をリンファの顔に近づける
少し口を開き前に出ればリンファの顔を食いちぎれそうな距離まで近づきトランクはリンファの瞳を睨み続ける
リンファは自分の表情を必死に抑え込み、その視線から逃げずに交差させ続ける
「立派な弟分か……、お前は兄貴分を尊敬してるのか?」
「はい、大事なお兄さんです」
「そうかそうか!兄弟ってのはいいもんだよなぁ! 兄弟仲良くしないといけないよなぁ!」
ゴブリンに兄弟の事を言われ、リンファの心臓が跳ね上がる
相手に聞こえかねない程に跳ねる鼓動を気づかれないように平静を装うだけで精一杯で、返す言葉が出てこない
ひとしきり喋った後、先ほどと同じように黙り込みじっと見つめてくるトランク
何時間も経ったかのような長い長い数分の後、フッと笑ってトランクがそっぽを向く
視線が切れた瞬間リンファは拳を強く握ったが、かろうじて打ち込むのをこらえて動かなかった
「いやー勉強させてもらったよ! お前らの社会を勉強し始めて日が浅いもんでな、知ってるようで知らないことばっかりなんだ」
もはや興味もないかのようにトランクは後ろを向いたまま背筋を伸ばし、ゆっくりと歩きだす
「俺はもう行くわ、本当はもうちょい相手してやってもいいんだがオルファン要塞にさっさと行かないといけねぇからよ」
悠々と去ろうとするその背中を、リンファは強く睨みつける
「は、はい! トランクの旦那もどうぞ息災で!気を付けて生活させていただきやす!」
「おう、ありがとうよ 死体漁り大変とは思うが、まぁ精々生き延びろよ ゴブリンを殺すんなら殺される覚悟をしてからやるんだな」
ズカズカと警戒する気もなく悠々と草木を踏みつぶしながら巨大な影が闇夜に消える
消えると共に辺りに潜んでいた複数の殺意が鳴りを潜め、同じく闇夜に消えていく
姿が見えなくにつれグリフの張っていた緊張がほぐれていき情けないため息が漏れるが、リンファは影の消えゆく先をそのままじっと見つめる
刹那、その影の進んだ先が一瞬煌めかと思うとリンファの眼前に何者かが轟音を立てて飛来!
咄嗟にその飛来した物体をいなし、魔導発勁にて破壊してしまうリンファ
破壊の瞬間目がとらえたそれは、トランクがさっきまで軽々と手悪さをしていた巨大な斧だった
トランクの投擲した豪速の斧をリンファは破壊させられてしまったのだ
「しまった……!」
リンファが自分の失敗を公開すると同時に闇の奥からトランクの森全て響き渡るほどの不気味な笑い声が木霊した
「隠し事はもう少し上手にやるんだなぁ!アッハッハッハ!」
「なんてやつだ……! 」
最初から遊ばれていたことに焦りとも恐怖ともつかない感情に支配されるリンファとは裏腹に、グリフはあることに気づく
「あのでかいゴブリン、徒歩で要塞に行ってんのか……? 要塞の周りには冒険者の監視があることぐらいわかってるはずなのに」
「思えば何日か前に遭遇したゴブリンもどこかに向かっていた、もしかして秘密の通路があるのか……?」
闇夜を見つめながら、それぞれの思惑が浮かんでは消えた
闇夜に溶け込んだ先、トランクは悠々と歩きながら後ろをチラリと目をやる
「これだけ怪しく匂わせてやったんだ、勘違いしてくれよ死体漁りの兄ちゃんよ」
そういうとトランクは魔鉱石と魔法陣の羊皮紙を地面に敷き詠唱する
魔法陣からほのかな転移魔法の光がたちのぼり、トランクとその仲間のゴブリンの姿を包む
「そろそろ引っかかってくれよ、毎日仲間とウォーキングするのも面倒なんだよ」
そう言いながらトランクは転移魔法の光の中に消えていく
誰もいなくなったその場所に、魔法陣だった羊皮紙の欠片が燃えカスとなって風に舞い、消えていった――
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