265.再び花嫁の道へ
「じいさん、お疲れさん」
全員が退出して少し空気が冷たくなった気がする地下の図書室で古文書を読み続けるテンドに誰かが話しかける
「ん……? おぉ、グリフか! 大きくなったのう! 元気しとったか!」
「大きくって……ついこないだまでしょっちゅう会ってたじゃん」
「そうじゃったかの? 最近物忘れが激しくてのう」
グリフを見て嬉しそうな顔をするテンドに、思わずグリフも小さく笑う
そしてテンドは先ほど同じように、読みかけになっていた古文書に視線を戻した
「じいさん、何やってんの? もうみんな上がっちゃったぜ?」
「いや、こんな機会は滅多にないから無理を言って読ませてもらっておるんじゃ ここにある本はどれも興味深い」
「へぇー、こんなカビ臭い本が面白いもんかねぇ オイラにゃわかんねぇや」
そういいながらグリフはテンドの対面に置かれていた椅子に座り、なんとなくテンドが読み終わった本をペラペラとめくった
「何書いてあるんだかさっぱりわかんねぇ、ミミズがのたくってるようにしか見えねぇや」
「はっはっは、そうじゃろうなぁ ワシだって読んでて頭を捻るくらいわけわからん文字がいっぱいじゃもの」
そういうとグリフは読むのをあきらめ椅子に座ったまま足をブラブラと動かし、テンドは静かに読書に戻る
頁をめくる音だけが室内に響き、静けさが部屋に訪れた
そんな状態がしばらく続いたとき、不意にテンドが口を開く
「グリフ、お前を頭のいい子だと信じて伝えておきたいことがある」
「へ? な、なんだよ急に!?」
「今から言う話は理解できなくても納得できなくてもいい、老い先短い爺のたわごとだと思って心の内に収めておいてくれ」
テンドが突然不思議な事をいいだしたことにグリフは驚き、椅子から転げ落ちそうになって慌てて近くの机にしがみつく
当のテンドはそんな慌てるグリフを前にしても本を読む姿勢を変えず、頁に目を通しながらしゃべりだした
「ワシら緑の民が牙角と共に戦ったあの戦争で逃げ出した本当の理由なんじゃがな……」
「……!? じ、じいさん!」
「ここの本を読んで伝承の内容が確信に変わったんでな、そんな時に牙角のお前がいるのは多分運命だと思ったんじゃ」
グリフは机にしがみついた姿勢のまま唾を飲み込んでテンドを見つめ、テンドは読んでいた本をパタンと閉じると天井を見ながら小さくため息をついた
「ワシらはあの戦場で、会ってはならん敵とあってしまった」
「あ、あってはならない敵……!?」
「そうじゃ、その敵と決して会ってはならん、交わってはならんと先祖代々の口伝が受け継がれていた」
テンドは口元を押さえて、目を細める……まるでその日の事を思い出しているかのような遠い目で
「お前もきっとあの花嫁の道とやらに一緒に行くんじゃろ? あのリンファ君と一緒に」
「う、うん……そのつもりだけど……」
「じゃから、言っておくべきだと思ったんじゃ きっとあの道の先でその事実がわかるじゃろうからな」
少しの沈黙の後、テンドが意を決したようにグリフの顔に目を向ける
長年多くの牙角の民に怨嗟の声を掛けられ続けたあの日の真実を、口にした
「ワシら緑の民は――――」
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「……貴様、頭がおかしいのか? そういえば元からだったな」
底が見えないほどの急斜面の崖のを見下ろしながらガルドが心から呆れた顔をして呟いた
「う、うるさいな……僕だってあんな危ない真似二度としたくないよ……!」
そういいながら同じく崖底を見つめながらリンファが唾を飲み込んだ
「な、なんかごめんねリンファ君……」
そんなリンファを見ながらヴァレリアが肩身を普段の半分に見えるくらい小さくして恐縮していた
ただただ白い雪だけが眼下に広がる広くて深い崖
かつてリンファがヴァレリアと一計を打って転がるように落下したあまりに深い崖
あの花嫁の道がある崖の上に、リンファたちは立っていた
下から吹きあがってくる風はとても冷たく、魔力で防寒のコーティングをしているはずなのに刺すような冷気で思わず身震いするほどだった
「こ、ここ降りるの……? どうやって……?」
グリフはあまりの深さに雪が積もっているにもかかわらず四つん這いになって恐る恐る崖をのぞき込んでいた
「え、えっと……途中途中に岩肌があるので、それを蹴って落下速度を殺しながら落ちていけば何とか……」
「できるわけねぇだろ! おまえ自分がワールドスタンダードだと思うなよ!?」
おずおずととんでもない方法を提案してくるリンファに噛みつくグリフの膝は面白いほど笑っていた
リンファはそんなグリフの声に『そ、そんな……じゃあどうしたら……!?』みたいな顔で軽くショックを受けていた
「無策かよ……、久々に一緒に行動するけどやっぱり無茶苦茶だなリンファは」
そんなショックを受けている表情のリンファを見ながらグリフは冷や汗をかきながら変な笑いを浮かべるしかなかった
「重力制御の魔法でゆっくり降りていくのが無難だろうな…… この距離を魔力コントロールか……ぞっとしないな」
アグライアはわずかに緊張で息を呑んだ
「リリー、無理をするんじゃないよ 何かあればすぐに引き返すんだ 転移用のロールと魔鉱石は渡しておくからね」
「おじさん……ありがとうございます」
「私とヴァレリアは一緒に行くことはできないけど、君たちの帰りを待ってるからね……ちゃんと帰っておいで」
「はい!」
ファルネウスはまっすぐな目で返事をするアグライアの目を眩しそうに見つめながら、その頭をゆっくりと撫でてやった
「リンファ君、あの時は本当にすまなかった」
不意にヴァレリアがリンファに向かって深々と頭を下げる
「えっ……? そ、そんな!頭を上げてください、ヴァレリアさん! 僕は何も……」
「いや、ダメだ 君にはちゃんと頭を下げるべきだとずっと思っていた あの日君に悪行を強制したことを、詫びさせてくれ」
ヴァレリアはあの日、街を救ってくれたリンファを助けるどころか、追い詰められた状況だとわかっていながら敵地に送り込み血で汚れて来いと命じた
それからリンファは母に刺され、国に殺されかけた……それは自分のせいだとヴァレリアはずっと感じ、心を痛めていた
「謝ってすむ話でないことは分かっているが、それでも言わせてくれ……すまなかった」
「ぼ、僕は! 僕は何も気にしてません! 気にしてませんから!」
大の大人……しかも領主という偉い立場の人間に頭を下げられることにリンファは恐縮してブンブンと手を振って頭を上げるように声を上げる
「今度はなんとしても君たちを守る これは私だけではなくエタノー領の総意だと思ってもらって構わない」
「そ、そんな……! 僕は何も……」
「君はこの街と、それ以上にこの国を守ったんだ 君のしてくれたことに比べればこんな言葉だけじゃとても足りないんだよ」
頭を下げ続けるヴァレリアに、少し困りながらリンファは自らの頬を掻きながら言った
「帰ってきたら……」
「帰ってきたら、みんなでおいしいご飯食べたいです」
少しはにかみながら子どもの様な笑顔でそういうリンファ
その顔を見ながらヴァレリアはこみ上げる涙を見せないようにうんうんと大きくうなづいた
「行くぞ貴様等、間違って落ちても助けないから死ぬ気でしがみつけ」
ガルドがそういうと面倒そうに飛翔魔法で全員を宙に浮かせ、ゆっくりと崖に降りていく
リンファ、アグライア、ガルド、そしてグリフ
4人は奈落の底にも見える崖下に、ゆっくりと降下した
目指すは花嫁の道、そして神のてのひらに――――
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薄暗い廃村の切り立った岩肌に隠されたそれを、奴らは見つけ出した
扉には多くの血と恨みがましい文字が刻まれ、廃材が幾重にも積み重ねられている
よく見れば何かが通ったであろう新しめの足跡が扉の前に残っていた
「そうか、リンファはここから城に忍び込んだのか……」
黒い甲冑に身を包んだ男は小さくため息をつくと、腰に携えた刀に手を添える
抜刀一閃
抜いた瞬間に納まった刀は斬撃を刻み、その硬く重い扉をたやすくバラバラにした
「この古文書にはこの扉には絶対に近づくな……とある 逆に言えばこの先に我々を近づけたくない何かがあるということだろう」
甲冑を着込んだ男の後ろで書物に目を通しながら眼鏡をクイっと上げる男
その目は冷たく、焦燥に染まっていた
「もしかしたら本当に近づくと危険な何かが待っているのかもしれないな、どうする?」
眼鏡の男が尋ねると、甲冑の男は自らの兜に埋め込まれた骸骨をそっと撫でる
この骸骨はその男の子どもの亡骸
長年洗脳されて母親だと思い込まされ声をかけ続けた、愛しいわが子の頭蓋骨……
男はわが子から手を離すと、刀を刹那の呼吸で抜き放つ
唾なりと同時に扉の残骸はさらに粉みじんとなり、その道を塞ぐものは存在しなくなった
「何が待っていようと構わん、人ならば斬る、神であれば刎ねる」
「そうか……そうだな もう私たちにはそうするくらいしか未来は見えないんだからな」
人であれば斬り、神であれば刎ねる、そして……
そしてゴブリンハーフが目の前に現れれば、殺す
絶望と悲壮の覚悟でリーフとアバカスは花嫁の道を逆に進み始めた―――――――――――




