263.古文書は語る
『私は何を聞かされているんだ……!?』
ガルドはもはや誰の目も気にすることなく床に座り込み、浅い呼吸を繰り返した
ただ自分は『神のてのひら』の情報を知りたかった、それだけだった
そしてその情報はここにあると信じてやっとたどり着いたというのに
だがここで知ったことは自分の信じていた世界が崩れていく感覚
ゴブリンが人間を愛しただと?
人間がゴブリンを愛しただと?
「そんなバカな話が……あるかぁ!」
ガルドは感情のまま手に炎を纏わせてテンドの持っている古文書に掴みかかろうとする
だがその激情を走らせた腕を、自らの手が焼けることもいとわずに押さえるものが居た
「穢れ……!」
「ガルド、落ち着くんだ…… ちゃんと最後まで教えてもらおう、苦しいかもしれないけど僕らは知るべきだと……思う」
リンファが青い瞳でガルドの触れる瞳をまっすぐ射貫く
その視線に見つめられたガルドは浅い呼吸を必死に抑え込み、息を整えてからリンファの手を振り払った
「ご老人、すまなかった……続けてほしい」
「あ、あぁ……わかった」
「なになに……
『ゴブリンの花嫁を迎えるにあたって、その道行きを私たちは懸念した』
『険しい山道を一昼夜かけて人間であり愛すべき花嫁を歩かせるのは無礼であり、何より危険だ』
『ただでさえ異種族に嫁ぐという決断で不安を覚えている花嫁に負担をかけるわけにはいかない』
なんというか、本当に人間の事を考えた種族じゃったんじゃな」
テンドの言葉にヴァレリアが呟きながら小さく頷く
「ここまでの話は今までエタノーの一族が調べてきた内容と概ね一致するな……研究の自信にはなったが、じゃあなおのことなんでゴブリンは人間を襲いだしたんだ?」
こんな書物を書き残すほどの知能と敬愛を示すゴブリン
そしてその口伝をほぼ残さなかったエタノーの人間達
何より今のゴブリンとの略奪と殺戮に塗れた血みどろの関係
新たな答えが出るたびに生まれる新たな疑問……ヴァレリアは思わず頭を掻いた
「ん……? よくわからん言葉が出てきたのう
『そこで我々は『神のてのひら』に続く道を使わせていただけるように神に伺いを立てた』
……なんじゃ? 神のてのひら?」
その言葉にガルドの肩がピクッと反応し、リンファも思わず息を呑む
「あの道は……元々は『神のてのひら』に続く道だったのか……!」
リンファはあの道の内部を思い出しながら驚愕する
テンドは聞いたことのない言葉に小首を傾げて辺りを見回すと、全員が自分を見詰めていることに気づきわずかに身構える
重い空気に続けていいものか迷うテンドだったが、それを察したヴァレリアが少し表情を緩めながら無言で頷いて続きを促した
「えーっと……
『神のてのひらへ続く道の一部を掘削し、花嫁を迎えるための道を作る それが容易ではないことは明らかだった』
『数年……下手をすれば数十年かかることはわかっていたが、それでも雪の民……われらゴブリンが生き残るには必要な道だと考え神への伺いを立てる』
『神は何も語られなかったが、その神々しき扉は優しく輝き我々の愚考を受け入れてくださった』
信仰する神がおったということか……」
「受け入れてくれたというか……そういうことにしたんだろうなぁ」「おじさん……!」
ファルネウスがボソっと呟き、アグライアが小さく肘を当てて突っ込む
「続きを読むぞ……しかしこの雪の民とやらの執念はすさまじいものがあるのう
『我々はその日より花嫁の道を不眠不休で掘り続けた、岩盤を砕き、梁を立て、隧道を作った』
『森の民、土の民はもちろんの事……』
……嘘じゃろ、そんな事がありうるのか?」
読んでいる途中でテンドが驚きのあまり言葉を詰まらせる
「な、なにが書いてあったんですか!? テンドさん」
リンファはあまりに驚いているテンドに、思わず声をかけるがテンドはそれでも驚いた顔をしたままだった
「う、うむ……この辺の内容はそのまま読むからな……
『森の民、土の民はもちろんの事、神に近しき獣にも力を請うた』
『ステラーハウルには天候を操ってもらい作業の際に豪雪に襲われぬようにしてもらい、蛮龍にはゴブリンでは砕けなかった岩壁を一撃のもとに破壊してもらった』
『彼らは親愛を持って我らに力を貸してくれた、我らもその優しさに応えるためにその道を何年も掘り進めた』
『道が完成するまでの間、我々の一部はエタノー王国の軒を借り人間との間に子を育んだ エタノー王家を始め、人々はまるでわが子の様に生まれたゴブリンを受け入れてくれた』
『人間の女は強かった ゴブリンと人間の間に生まれた赤子は必ずゴブリンになるというのに、母として我々の街に嫁ぐと決心しまだ不完全な道を命を懸けて踏破した者も居た』
龍っていうのは……あの龍の事か? まるで神話かおとぎ話じゃな」
ここまで読み上げるとテンドは大きなため息をついた
「ステラさんたちは花嫁の道を作るのを手伝ってたんだ……」
リンファは驚いてはいたけれど、むしろ納得できる部分も大きかった
あの日見た花嫁の道は何も知らないリンファが見てもわかるくらいの魔法技術で作られた精密で精巧な道だった
長年誰にも使われなくてもその機能の多くは失われることなく、その道を歩くものを優しく迎え入れていた
それだけあの道は多くの存在に受け入れられ、ゴブリンと人間、そしてそこに棲む生き物はお互いを認め合っていたのだ
少し間をおいて、テンドが再び古文書に手を取る
「『そして今日、十数年の時を経て花嫁の道は完成した 最初は小さな洞穴の様だったその道は、今やゴブリンの親子が何も持たずに手を取りあって進めるほどに安全な道となった』
『この道をお許しくださった神に心よりの敬愛を、この道を共に作り上げてくれた全ての者に敬意を、そして愛してくれた人間達に、心からの愛を贈る』
『人に永遠の繁栄と喜びを、そして願わくばその傍に我らゴブリンが……あら……ん……』
……すまん、文字が急に」
愛を綴った言葉にリンファとアグライアは少し感傷的な気持ちになる
リンファはテンドもまたそういう感情に胸がいっぱいになっているのだと思っていた
しかし
「な、何かがおかしい……! まて! なんじゃこれ!? 文字が……文字が変わっていく!?」
テンドの慌てふためく声にリンファが異変を感じて慌てて駆け寄る
ガルドもすぐに立ち上がり、椅子を蹴倒しながら古文書に近づく
「な、なんだこれは……!?」
「こ、これって……!?」
『この本を読み解きし者たちよ、願いがある』
『この願いが叶わぬならばこの本を焼け、ゴブリンの文字で書かれた書物を全て焼け さすれば永遠にこの謎は失伝し『神のてのひら』は守られる』
本がまるで意志を持ったかのように頁に刻まれた文字の形を変え、リンファたちに語り掛ける
その言葉はゴブリンの言葉だったが、目にした瞬間に脳内に理解できる声となって響き渡った
「ほ、本がまるで僕らに話しかけるみたいに……!」
『花嫁の道に、我らは一命をかけて真実を隠した』
『花嫁の道に至る方法がわかるならば、その最奥へ進め』
本は話し続ける
その声はまるで苦しみに血を吐くように、呻くような悲痛な叫び
「し、真実だと!? どういうことだ! 答えろ!」
ガルドがたまらず叫ぶ
『我はゴブリンになったもの、この世界に住まうゴブリンを愛したもの……これを読む者よ、頼む』
『世界の敵にされたゴブリンを、救ってくれ』




