224.決戦は近づく
「こ、この有様はなんだ……!?」
数千の兵を引き連れて行軍を強行し辿り着いた北国の街と山々の荒廃ぶりに、天空宰相のファルネウスは絶句した
活気のあった雪積もる暖かい街並は至る所から煙と火を噴き、建物の多くは倒壊
かつて訪れたときに歩いた美しい石床も無残に砕け果てる
雪が積もっても滑らないようにと丁寧に加工された模様も今は見る影もない
辛うじて展開されている街の防御障壁も、今にも消え入りそうなほどに弱々しい
白銀に覆われた厳かな山々はどす黒く染上げられ大地は赤茶けて腐っている
そのところどころに見える点の様な集団は恐らく魔法陸戦団の兵士の亡骸、そしてゴブリンの死体
そして空は漆黒に溶け落ち、その瘴気は空気を汚す
まるで神話の魔王でも降臨したのかと見間違わんばかりの惨状にファルネウスは立ち尽くす
それはもう自分の知っている戦争ではなかった……
「ぜ、全軍前進! 警戒体制のまま街の中央部まで移動する!」
ファルネウスが我に返ったように全軍に命令して動き出す
歩きながら観た街並みも無残な瓦礫と化した建物ばかり
兵士達もその惨状に言葉を無くし、わずかに下を向いて進むしかなかった
その行軍している兵士の一人は震えながら胸元を押さえる
着込んだ鎧の下には木片と麻布で作られた粗末なペンダント
我が子が出兵前にくれた大事なお守りを握りしめて、父親は家族の事を考えて震えていた
そして中央広場にたどり着いたファルネウスは更に驚愕する
「ファルネウスか、援軍ご苦労……褒めてつかわす」
「し……神代王!?」
広場にはわずかな兵士が膝をつき、神代王に頭を垂れる
神代王はファルネウス達に一瞥をくれると山々に目を向け表情を変えずに髭を撫でた
「一体何が……!? ま、マンダリアン! マンダリアン殿! 教えてくれ、何があった!?」
神代王の傍で膝をつきその顔を伏せている魔法陸戦団の総司令のマンダリアンを見つけ、ファルネウスは駆け寄り問いただす
だが、その言葉に何の返事もない
マンダリアンは虚ろな視線で半開きの口のまま、ただ膝をつき神代王に頭を垂れていた
ファルネウスはそれを見て辺りを見回す、兵士たちも皆同じ表情で人形の様にその身を固めていた
「マンダリアン……貴公、まさか神代王に……」
ファルネウスは反応しようとしないマンダリアンの肩を掴もうと手を伸ばす
その時、不気味な声がどこからともなく聞こえた
「ファルネウス様、マンダリアン様は司令の権利を神代王に渡して私の部下となっておりますよ……兵の指揮はこの私が行っております」
マンダリアンから伸びる影が突如立ち上がり、黒い塊がファルネウスに話しかける
その黒い塊が徐々に本来の姿に戻るにつれ、それを見るファルネウスの顔が怪訝な表情になっていった
「貴様……ミアズマか? 何故貴様がここに……!?」
「神代王様より恩寵を賜り、再び呪殺隊を率いるように仰せつかりました……フフフ……」
ミアズマの不敵な笑いにファルネウスは隠そうともせずに舌打ちをする
呪殺隊が再編された上にこの戦場の有様……、およそまともな戦いではなかったことが容易に想像されてファルネウスはわずかに吐き気すら感じた
「ミアズマ、支度は万全か?」
不敵に笑うミアズマに顔すら向けずに神代王が訪ね、その声にミアズマは即座に平伏する
「は……はい! 一時的に魔力不全になった部下もほぼ回復し、再詠唱の準備も整っております!既にこの辺りの死兵は使役しておりますれば……!」
「よかろう、万難を排し事に当たれ」
「しょ、承知いたしました!」
神代王の言葉を受けて逃げるようにミアズマがマンダリアンの影に消える
その影にはわずかに冥力のゆらぎが漏れ出て、わずかに辺りを歪ませていた
頭を垂れる他の兵士の影を見ると、その影のどれもが揺らぎ、辺りを歪ませる
「死兵だと……!? 神代王! ご説明いただきたい!」
ファルネウスは状況が思った以上に深刻になっていることを感じ叫ぶ
だが神代王はその質問を返すことなくため息をついた
「死兵が概ね3000、生きた兵士が概ね6000……遊びくらいにはなろうか」
「な、なにを仰っているのですか?!」
ファルネウスの細い瞳孔が丸く拡大していく
神代王はそんなフェルネウスに興味も示さずこともなげに言い放った
「下賤な化け物共が間もなくここに攻め入る」
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緑の群れが漆黒の道を進む
その目は赤く爛々と輝き、尖った耳とその耳に届きそうなほどに大きな口からは不気味な牙がのぞく
その手は猛禽類を思わせる爪が伸び、人間に比べ小柄ながらもその体は引き締まり力強さを感じさせる
緑の群れをつくるゴブリンはその赤い目を闇に光らせながら足音を響かせる
中には人よりも遥かに巨躯のゴブリンが巨大な槍を肩に担ぎ悠々と大地を揺らし進む
緑の群れを守るようにその後方には赤い異形が付き従う
赤くぬらめく鉱石の様な人形が地面を砕きながらその巨体を揺らす
レッドゴーレムと呼ばれた巨大な石人形が一糸乱れぬ動きで群れの後につく
その傍には緑の肌に赤い鉱石を生やしたゴブリンが付き従う
その動きに緩慢さはないが、その代わりに意思もない
赤い鉱石はゴブリンに冬虫夏草の様に突き刺さり、その宿主を徐々に食い荒らす
ゴブリンの命が残っている間は戦い、その役目が終われば命鉱石となって群れの武器となり、糧となる
そしてその腐り果てた大地からそれを忌避するように巨躯のゴブリンが巨大な神輿の様な玉座を担ぐ
その座に座り、赤いドレスと不気味な仮面を被った者は笑う
口元のみ覗くその仮面から見える唇は実に愉快そうに口角を上げて歪む
ゴブリンクイーンは心から楽しそうに人間の街と人間が灯す火を見て笑みを浮かべていた
「ソード、遅かったですね」
クイーンは街を見つめたまま口を開く
まるでその言葉で現れたかのようにいつの間にか黒い甲冑に身を包んだ騎士がクイーンの座る玉座に付き従う
「申し訳ございません、クイーン=ソード ただいま到着いたしました」
「構いません、よくぞ間に合わせました」
「……ありがとうございます」
クイーンは労いらしき言葉をかけるもソードに興味などないように街の灯を眺める
ソードは何も言わずクイーンの後方に位置取り、その足を合わせる
辺りの血と肉に瘴気にあふれた惨状にチラリと視線をむけるが、ソードは瞼一つも動かさず視線を群れに戻した
「そうだ、ソード」
不意にクイーンが尋ねる
「あの化け物は息災でしたか?」
ソードは少しだけ沈黙し、小さく口を開く
「……はい」
「そうですか、実に憎たらしい」
その言葉にソードは何も返事をしなかった
城でレッドゴーレムを操るアバカスは、虚ろな視線で吐き気をこらえながら戦場の警戒を行う
群れの周りに敵はない
前回の戦いで手痛い反撃を受け敗走した兵士の補充も済み、それ以上の軍勢が行軍している
この進軍を阻む人間はもういない、街を落とせばこの戦いは勝利となるだろう
吐き気で歪む視界で複数のレッドゴーレムの情報を処理しながら、チラリと視線を向ける
向けた先はさっきまでリンファ達と戦っていたブラックゴーレムの残骸がある場所
特別に濃密な瘴気が何も見えなくなるほどに噴きだし、その山を腐らせていく
あの瘴気をまともに進めば例えあの狼の様な魔獣ですら1時間でゾンビと成り果てるだろう
もうあのゴブリンハーフたちはお終いだ
最後に大声を上げたあの人間ももうゾンビとなって彷徨っているはずだ
そう考え、えずく喉を抑え込みながらアバカスはわずかに笑った
魔法でもない、この世の物とも思えないあの戦い方
そして何よりゴブリンの血塗られた宿命に真っ向から立ちはだかるあの力
アバカスはリンファをゴブリンにとっての脅威だと誰よりも認識していた
だからこそ、もう一度ブラックゴーレムの残骸がある瘴気の塊を見てほくそ笑む
『あいつさえいなければ、我々の勝ちだ』と―――――――――――




