217.拳が開き華となる
魔界という場所がもし存在するなら、こんなところかも知れないな
リンファは目の前に繰り広げられる光景を目の当たりにしながらそんなことを考えた
あちこちで燃え続ける樹々、空には曇天が広がり、足元には真っ黒な大地
そして目のまえには迫る形容しがたい存在……
人間の形を保った死体がその身を引きずりながら迫り
黒い物体に歯を浮かべた化け物が笑い
そしてその身を石に変えながらゴブリンが叫ぶ
その後ろから、その顔に髑髏を刻み込んだ黒い甲冑の死神がゆらりと立ち上がりその眼窩をリンファに向ける
眼窩の奥に光る不気味は赤い光は、度し難い怒りが込められていた
リンファはそれらを目の前にして、小さく深呼吸をする
視界全てを覆いつくさんほどの化け物たちが迫って来るが、リンファは焦りの一つも見せずにゆっくりと構えを作る
まだ治っていない傷はいくつもあった
動くだけで開く傷があるだろう、血も流れるだろう
だがそれがどうしたと言わんばかりにリンファは強くその足を踏み込んだ!
集団の中で最初に動いたのは闇の口だった
その不気味な黒い塊をぶるぶると震わせて、白い歯をむき出しにしてリンファを食いちぎらんと四方から飛び込んできた
「リンファ!気を付けろ、そいつには打撃が効かない!」
思わずアグライアが叫ぶ
その声にリンファは戦闘中にも関わらず振り返ってニコッと笑った
「ありがとう! 見ててください……僕の!戦いを!」
何度切り裂いても結合し元の形に戻るその特性にアグライアがさんざん苦戦させられた闇の口
だがリンファにとってそれは粗雑な魔力で取り繕われた不格好なボロ布程度にしか感じられなかった
【八極剛健 玉鋼穿貫手】
リンファの貫手が突き刺さった瞬間、あれだけタフだった闇の口が自らの意志であるかのようにその場にドロドロと崩れ、形を失っていく
積み重なるように波状攻撃を仕掛けるたくさんの闇の口が、ただの一撃であっという間に黒い液体に変わり次々と地面の染みに変わっていた
「ダガーの面影を感じる……けれど!」
大口を開けて噛みつこうとする闇の口に対して敢えてその口中に貫手を撃ち込むと、その背後に迫っていた闇の口が雀刺しのように数匹貫かれて地面の染みに変わる
リンファはその手を血払いするように振り抜くとそのまま迫る次の敵に肩を撃ち込み爆散させた
「動きが散漫すぎて怖くないよ!」
四方から迫り死角からの一斉攻撃を試みる闇の口だったが、リンファの破壊速度が速すぎて囲むことすらままならない
そうしている間にその闇の口を食いちぎり、押しのけるように死兵の群れがリンファの眼前に押し寄せた
その瞬間、リンファは小さく手を合わせる
そして今まさに肩に噛みつこうとした死兵の顎を払い、カウンターで叩き込もうと踏み込むリンファ
だがその時、リンファの脳裏に広場で泣く子どもの顔が浮かんで消えた
『この人にも……家族がいたかもしれない』
リンファはその瞬間叩き込むはずだった掌底の威力を殺し、そっとその死兵の胸に手を当てる形になる
「リンファ!ボーっとするな! ゾンビにお前の攻撃は効かないんだぞ、間合いを離せ!」
ゾンビはリンファの差し出されたような手に噛みつかんと冷たい両手で握りしめ、その大口を開けた
リンファはそんなゾンビの姿よりも後ろ……その足元から大地を通る魔力の流れを睨みつける
「この人を弄ぶな! 家族に……返せぇ!」
リンファは呼吸を一気に吐き出すと、胸にあてた掌から魔力の共鳴を叩き込む!
否、それは厳密には共鳴ではなかった
冥力に対し魔力の共鳴は発生しない、だからこそ以前リンファはその相手に後れを取った
だが、今は違う
リンファは死兵の足元の大地から伝わる魔力の流れを視て、その正体を知った
だから死兵にではなく、その死兵を操る者……呪殺士に狙いを付けたのだ
リンファの顕現しない魔力の共鳴が、冥力という不浄の力に伝播し一気に広がっていく
やがてその冥力から伝わる魔力の波形がはるか遠くで死兵を操る呪殺士の一人の体に響き、炸裂した!
「あがっ……!?おおお……!?」
神代王の後方で一心不乱に死兵を操っている呪殺士の一人が、喉を抑えながらもがき苦しみ、その意識を飛ばす
「な、なんだ!?」
ミアズマが叫ぶが、当人からの返事はない
リンファからの共鳴で体内の魔力を一気に膨れ上がらせた呪殺士は、その圧力に意識を失う
またその体内の魔力は圧力によって体内からの開放を余儀なくされた
リンファの眼の前のゾンビがその冥力を霧散させ、人の亡骸に戻る
力を失い覆いかぶさるように倒れる亡骸の瞼を、リンファはそっと閉じてやった
「ミアズマって人か……、どいつもこいつも……」
無理やり変質させられた鉱石兵がリンファに襲い掛かる
その瞬間にも緑の皮膚はひきつれるように硬質化していき、やがて赤い石に変わる
表情は激痛に歪んだまま固まり、涙の痕だけがやけにくっきりと残っていた
「命を!なんだとおもってるんだーーー!」
怒りに吠えるリンファの首元に鉱石兵がその剣を振り下ろすが、乾いた硬質音が響きその剣を跳ね飛ばす
龍の鱗にも似た外骨格のような装甲がリンファの右手から発生し、その一撃を弾き飛ばしていた
リンファは間髪を入れずに拳を作り、その変質したゴブリンにそっと話しかけた
「ごめんよ……、砕きます!」
【八極剛拳 要塞崩拳】
リンファの拳が起こす魔力の共鳴はゴブリンの体内に巣食う命鉱石を震わせ、魔力を暴走させて爆散
命鉱石が砕けると共にゴブリンはそのまま膝をついて力なく倒れ伏す
その体はもう微動だにせず、吐息の一つも感じられなかった
リンファの脳裏に破壊した命鉱石が見た最後の光景が映し出される
薄暗い部屋で頼りなく泣くその子は、小さな箱に入れられてて……そして暗闇だけになった
リンファは滲む涙を乱暴にぬぐい取って左右から襲い掛かる鉱石兵の心臓を撃ち抜く
撃ち込んだ時からわかっていた、もうこのゴブリンは既に死んでいる
殴れば殴るほどズキズキと痛む
身体の痛みではない、心に響く痛みが大きくなる
でも、もう負けない
「負けてたまるかよ! お前らにも!自分にも!」
どれだけ世界が醜悪で、世界が自分を嫌っていても関係ない
自分が一歩止まれば大事な人が傷つく
自分が弱ければ大事な人は遠くに連れていかれてしまうんだ
アグライアが心配そうにリンファを見つめる
リンファはそれを見て、自らの拳を華のように咲かせて敵を撃ち払う
あの日と同じ、傷ついたアグライアを助けるためにリンファは戦う
けれどあの日とは違う
リンファはもう、不安そうに震えてなんかいなかった―――――
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痛む心には、柔らかな日が照らす
やがてその日差しは大樹を照らし、大樹は青々とした葉を茂らせ華を咲かす
その大樹の傍に老人が微笑みながら立っていた




