206.生き延びろ
そこを戦場と呼ぶにはもはや無理があった
まるで自分の精神が崩壊してしまったのではないかと思えるような光景が、ものの数分で視界いっぱいに広がる
空は晴々と美しく青いのに、その足元は夜のように暗い
神が世界の色指定を間違えてしまったかのように、大地は真っ黒に染まり上げた
そしてその黒く染まった大地のあちらこちらではかつてリンファが苦戦した化け物……
黒い液体の様な塊に不自然なほどの白い歯を覗かせる『闇の口』が我がもの顔で跋扈していた
漆黒の大地の真ん中で、ポツンと心細く光る
その真ん中に数人の人間が、まるで光の檻に閉じ込められるようにその身を守っていた
「た、隊長……これって……?」
咥えたばこの男が何が起こっているか未だに認識できずに戦争の最中だというのにその剣をダラリと地面に下げて立ち尽くす
呆然と立つ男の眼前に突如として白い歯が大口を開けて襲い掛かる!
「う、うわああああ!?」
叫びながらも体が硬直してうごけない男の手を強引に引っ張りアグライアが引きずり倒す
間一髪その身をかわせた男の首があったところに白い歯がガチンと大きな音を立てて噛みつきを空ぶらせた
「せ、セイクリッドエンチャント!」
ジョンが戸惑いながら自らの武器に神聖属性を付与し、白い歯が浮かぶ不気味な黒い塊を斬り払う
神聖属性の光に反応した闇の口はまるで悲鳴を上げるようにその場で蒸発していった
「き、効いた……! 効果があってよかった……!」
ジョンが自らの光る剣を振り下ろした姿のまま肩で息をしながらつぶやく
「ジョン!油断するな!来るぞ! セイクリッドチェーン!」
次の構えに移るのが遅れたジョンに闇の口が襲い掛かり、ジョンは思わず転倒
そこをアグライアが間一髪でフォローに入り、光る鎖が闇の口に絡みつき蒸発していった
「す、すいません隊長!」
「気を抜くな! こいつら……サークルの障壁をものともせず襲い掛かって来るのか!」
光る障壁は大地を染める闇の浸食は防ぐが、化け物の様な闇の口の侵入を完全には防げない
穴があいた袋か漏れ出る水の様に、障壁の隙間を強引にこじ開けて闇の口が人間を捕食しようとその大口を開け、何度も迫ってきた
「そ、そもそもこいつら何なんですか!? こんなのモンスターとしても魔法としても見たことないですよ!」
「……冥術だ、それもかなり性質の悪い古代禁術に分類される危険な奴だ」
「き、禁術!? なんでそんなものがここで発生しているんですか!?」
男は驚きと絶望を表情に浮かべる
「さぁな……、王都の部隊が呪殺を使うのは知っていたが、ゴブリンが何故使えるかまではわからんが、わかったところでやることは変わらんよ」
アグライアは懐から通常より大きめの魔鉱石を取り出すと、詠唱を始める
魔鉱石はその詠唱が終わると同時にパキンと砕け、光の玉となる
その玉からまばゆい光が放たれ障壁を作り出した
「グレイさん、この術式を維持してください 術式の展開は完了しているので維持自体は難しくありません 魔力の放出量が高いからそれだけはお気を付けを」
「は、はい…… でも何故です? 既に障壁は展開しているはずじゃ……」
アグライアは不思議そうに眺める全員の視線を受けながら、辺りを警戒しながら全員に命令を下した
「誠に遺憾だが……ここを後退しエタノー領の城下町まで撤退する 」
その言葉に全員がザワつく
「て、撤退ですか……!? しかし……!?」
「言わんとすることはわかる、だがここはもう戦場とすらいえない」
闇の口がまるで遊ぶように陸戦団の死体を弄び、飲み込む
辛うじて生きていた兵士もまた闇に飲み込まれその鼓動を止めた
その悪夢のような光景が視界のあちらこちらで起きているのを見て、全員が言葉を飲み込み黙り込んだ
「これは撤退ですらない、もはや避難だ 我々は生きて、もう一度ゴブリンと戦わなければいけない」
「そ、そうですね……ここは戦場ではない、もう被災地の様な物だ……」
グレイが息を呑みながら必死に言葉を絞り出す
ギルドの人間として、生き残ったギルドメンバーをなんとしても帰還させたい……もちろんアグライアも含めて
そんな気持ちから、グレイはその案に強く同意した
「そういってもらえると助かります、奴らは障壁を超えて攻撃はしてきますが、障壁を超えるには多少時間がかかるようです…… なので障壁を多重に展開して一気に走りましょう」
全員が小さく頷く
「先駆けはグレイさん、隊列中央はジョン、後の人間はできるだけばらけないように集まって動いてください ……君は私の前を進んでくれ」
アグライアは咥えたばこの男にそう促す
「いいですけど、俺が殿やりますよ……隊長は中央行ってください」
自らが殿を買って出る咥えたばこの男にアグライアはわずかにほほ笑む
「君はいい男だな、もしもの時は任せるとするよ」
アグライアは隊員に配置を伝え、準備を整えさせる
その間にも隙間を縫って闇の口は襲い掛かり、全員を恐怖させた
闇がより濃くなりつつある中、全員の準備が完了する
装備も靴も結び直し、不要なものはその場に捨てた
「いいか、走れと言ったらもう絶対に止まるな 誰かがつまずいても、倒れても絶対に助けてはいけない 前だけを向いて駆けろ! 絶対に生き残れ!」
「「はい!」」
アグライアの檄に全員が返事をする
今まさに走り出さんとするとき、アグライアは小袋を取り出し咥えたばこの男に渡す
「な、なんすかコレ?」
「お守りだ、走り出したら袋の中身に魔力を注ぎ込んでくれればいい」
なにがなんだかわからず質問しようとする男の言葉を遮るように、アグライアが吠える
「全員位置につけ! 振り返るな! 止まるな! 絶対に全員生き残れ!!」
その言葉に背中を押されるように、全員が前を向く
「行けーーーーーーーー!走れえええええ!!!!!」
アグライアの号令に全員がその脚を強く踏みこみ、一気に走る
咥えたばこの男が言われた通り魔力を注ぎ込むと、全員の足が光り輝き速力を増していく!
「こ、これ……走力増加の魔法……!?」
全員が一気に前を向いて走り出した瞬間に、闇の口がその動きを感じて一気に襲い掛かる
その数は10を超え100にも近いであろう大量の黒い塊が津波の様に全員の行く手を阻む
「うわあああ!ぶつかる!!」
全員がその津波を眼前にして足を止めそうになった刹那
「セイクリッドチェーン!!」
アグライアの聖なる鎖がまるで道を示す様に何重にも張り巡らされ、その道先を示す!
迫る闇の口の塊のど真ん中に聖なる鎖が貫かれ、ぽっかりとトンネルのような道が出来上がる
「た、隊長……!?」
振り向くなと言われていたのに
咥えたばこの男がその命令を破り、わずかに振り返る
既に遠くなったスタート地点に人影が見える
足を止め、魔鉱石を砕きながら何重もの重く長い光り輝く聖なる鎖で全員の道を作り上げる
アグライアがそこに立っていた
「隊長!走って!たいちょおおおおお!!!」
男が叫ぶが、アグライアは足を止めて、その鎖を延長させ続ける
まばゆく輝く鎖の束は、闇を導く光の道のよう伸び続けた
アグライアは全員の背中を見ながら必死に叫ぶ
「絶対に!絶対に止まるんじゃあない! 生きてくれ! 生きて家族の元に帰ってくれ! 絶対だぞ!!」
アグライアはそう叫ぶと、セイクリッドサークルを自らに展開する
それは防壁というよりも、陽動
去り行く隊員を追いかけようとした闇の口がその光に反応して次々とアグライアに襲い掛かっていく
遠くなる小さくなるアグライアに、遠目で見てもわかるほどの闇が迫る
隊員が叫ぶ、足を止めようとする
「止まるな……止まるなぁ!走れ! アグライア隊長の命令を忘れるな!」
泣きながらジョンが絶叫する
光の鎖はまるでアグライアの意志であるかのように、隊員の道を指し示し続け……
やがて力を失ったかのように鎖はほどけ、砕け散った――――――
「隊長ーーーーー!!」
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視界全てが不気味な漆黒と白い歯で埋まる
草も樹も、雪すらも見えぬほどにその全てが黒く染まっている
見上げれば青い空がとても不自然に見えるほどに
多くの陸戦団の死体が転がるその戦場だった場所で、アグライアは自らの神聖魔法で光り輝く
手持ちのマジックポーションを全て飲み干し、わずかになった魔鉱石を剣と共に握りしめる
「生きろよみんな……ありがとう……!」
アグライアはわかっていた
神代王という存在は例えどんなイレギュラーが発生しようと条件を曲げない
リンファを殺したくて仕方がない男が、戦場の事情など考慮するはずがない
どんな理由があろうと約束が違えられたと感じれば、リンファは即座に処刑されることをわかっていた
「見ているのだろう……神代王……! この状況に至っても、この旗を……!」
いいだろう、見るがいい神代王
私が1分生きればリンファ1分生き残る
1日生きればリンファは1日生き延びる
数日あればきっとファルネウス卿がリンファを逃がしてくれる
私はそれを信じて生きる、一分一秒でも長く戦い続けてやる
「私はここにいるぞ!この旗の元にいる! かかってこい!」
リンファの命をはためかせながら、アグライアは青い空に吠えた―――――




