205.大地を黒く染める
「本隊の帰還が早いな、良い戦果だったと連絡は来ていたがそれにしてもこんなにもすぐ帰ってくるとは・・・」
スコップを手にもって汗を拭う作業服姿のヴァレリアが他の領民兵と一緒に水を飲みながら戦場をみつめる
さすがに城下町まで戦火は及んでいなかったが、それでも大量の兵士が常に動けばインフラはあっという間に駄目になる
城下町の整備のみならず戦場への補給や偵察、遊撃などは地元の地理に明るい領民に指示されることもあって、ヴァレリアは領主でありながら前線の兵士のように一緒に汗を流していた
城壁近くで補強作業を続けていたヴァレリアの耳に、やがてたくさんの足音がゾロゾロと聞こえ始める
「本当にすぐだったな・・・ 昨日の進言、やはり周知されたのか?」
ヴァレリアはそんなことを言いながら魔法陸戦団の帰還してくる足音の方向を手を止めて眺める
最初は優しい目でそれを見つめていたが、あることに気付いて目を見開いて大声を上げて駆け寄った
「待て!待て待て待て! なんだそれは!? なんでそんなものを持ち帰ろうとしている!?」
ヴァレリアは領民が止めるのも聞かず、まだ行進中の大軍の前に両手を振って立ちふさがる
陸戦団の各部隊の指揮官は慌てて停止の号令を発し、半ば急ブレーキの様に集団は停止した
「貴様ぁ!死にたいのか!!」
戦場から帰ってきたばかりで気が立っているのか、指揮官が怒りを隠そうともせず怒鳴る
「やかましい! 戦場から生きて帰ってきた君たちを歓迎はしたいがその前にそれを町に持ち込まれては困る!」
ヴァレリアは指揮官の怒りに負けない勢いで更に大きな声で怒鳴り返す
いきり立つ指揮官は怒鳴った相手が自分より遥かに上役であるエタノー領の領主だと気づき、慌てて背筋を正した
「なんてものを持ち帰ろうとしているんだ・・・マンダリアン卿からそんな命令は受けていないはずだが?」
「お言葉ながらヴァレリア様、これは敵の御首級の様な物・・・それを討ち取り凱歌をあげることは戦場の習いでしょう?」
指揮官の遠慮がちな言い訳に被せるようにヴァレリアが深いため息をつく
「何が御首級だ! いつの話をしている! それにこれはそんな上等な物じゃない! コイツは命鉱石と言ってなぁ!敵そのものって代物だぞ!」
ヴァレリアは怒鳴り散らしそれに指を差す
兵士が縄を括りつけてまるで蟻が獲物を巣に運ぶように引っ張ってきたその巨大な人形・・・
あの忌々しい命鉱石で作られたレッドゴーレムの列に向かってヴァレリアは叫んだ
「お前らこれを安全だと何故判断できる!? 私の街であり王都防衛の要のエタノー城下町にそんな物騒な物を持ち込ませるものかよ! 馬鹿どもが!」
「なんと無礼な!これだから山兵の親玉は・・・! 我々はこのデカブツを完全に制圧し討ち取った! ゴブリン共の手の内を知るためにもこれは絶対に必要でしょう!」
指揮官がヴァレリアの物言いにイラつきながら言い返すと、その後続の兵達もそれに倣い口々に声を上げ始める
「そうだそうだ!」「俺たちはこいつらを完全に破壊した!」「山兵は黙っていろ!」
姿が見えぬと知って口々にヴァレリアを罵る兵の言葉の中に、
「こいつは魔鉱石の塊なんだ! 金になるんだよ!」
という叫びが聞こえ、ヴァレリアは眉を上げ歯を食いしばって怒りに震えた
「こいつら・・・欲に目を眩ませおって・・・! タクノフ、今すぐ指揮所に走れ」
「わかりました! 行ってきます」
ヴァレリアの指示に走りだすタクノフの背中にヴァレリアが叫ぶ
「何を言われても私の命令だと言え! 私の代わりにマンダリアンのそっ首掴んでここまで連れて来て構わん!お前の腕は今は私の腕だ!」
タクノフの走る音を聞きながら、ヴァレリアは陸戦団をなおも睨みつける
「貴様ら聞け! 貴様等が欲に塗れて持ち帰ったそのデカブツは敵の罠かも知れんのだ! マンダリアン卿から何も命令を受けていないのか!?」
叫ぶヴァレリアに、指揮官が後方の兵たちの怒りに触発されて大声を上げる
「このデカブツを倒したのは戦場の噂を元に戦った現場の臨機応変の賜物だ! マンダリアン様から何も指示など受けておらぬ!」
その言葉にヴァレリアはわずかに狼狽する
「な、なにっ? 何も聞いていないのか? 不可視の解除の仕方も?敵の弱点も!?」
「不可視の解除方法は兵達の噂になっていたことを実践した結果だ! 我々の前線での判断のみで討伐している!」
『マンダリアン・・・あのハゲ・・・!』
ヴァレリアは指揮官の言葉に思わず心で舌打ちをする
「それに・・・弱点だと? 精強にて最強の我々にそんな情報は必要なかった!」
「な、なにぃ?」
「魔法陸戦団の魔法火力の前に、このデカブツ共は姿を見せた途端に抵抗することもなく倒れ果てた! 弱点など突く必要がなかったのだ!」
その言葉に陸戦団の多くの兵士がそうだそうだと囃し立てる
だがそれとまるで相反するようにヴァレリアの顔がみるみる青ざめていく
「ば・・・ばかばかばかばか! 一番肝心な部分の情報が抜けてるじゃないか! 引き返せ・・・いや!近くの沢に全部捨てろ!崖から落せ!急げ!」
ヴァレリアの必死の叫びなど相手にせず、とうとう兵たちはしびれを切らしてその足を進め始める
「うるせぇぞ! 俺たちは命を貼って戦ってきたんだ! ここでDIYやって遊んでたお前らの相手なんてしてられねぇんだよ!」
動き出す集団にヴァレリアは必死に停止するように必死に呼びかける
「馬鹿野郎!止まれ! おい指揮官! 止めろ!街に入れるんじゃあない!」
ヴァレリアの必死の訴えをあざ笑うように、指揮官が号令を発する
「全体! 進め!」
指揮官の号令を受けて更にその速度が増していく
「ふ、ふざけるな!止まれ!止めろ!」
ヴァレリアが指揮官に掴みかかってでも止めようとしたとき、街の方から急いでマンダリアンが走ってくる
「な、なんだ!ヴァレリア殿、この騒ぎは一体なんだ!」
「ま、間に合った! マンダリアン殿、今すぐ部隊を・・・」
『愚かだな、人間』
マンダリアンとヴァレリアが話をしようとした刹那、どこかから低く鈍い声が地面を這うように響く
その場にいる全員が何事かと辺りを見回そうとした瞬間
無力化したはずの全てのレッドゴーレムが突如立ち上がる!
「なっ!? ぜ、全員抜刀!」
指揮官が叫ぶが、その指示で兵士が行動を起こす前にレッドゴーレムに急激な変化が起きる
・・・先日のレッドゴーレムと違い、このゴーレムには精度の高いコアは埋め込まれていない
随伴のゴブリンがアバカスからの命令を受信するコアを所持することで、辛うじて動くことが可能な粗悪なゴーレム
だから魔法攻撃に対して脆弱で、随伴のゴブリンが離れれば途端に操作ができなくなってしまう
だがその代わり、この命鉱石の塊である粗悪なレッドゴーレムにはあるコアが埋め込まれていた
ただ一つの魔法を発現するために、そのコアは存在した
その魔法とは・・・
「だ、大地から闇が!闇が噴きだしてくる!うわあああああ!」
至る所から兵士の悲鳴があがり、やがてその悲鳴は数を増していく
大地はみるみる漆黒に染まり、その闇からは漆黒の液体の様な何かが立ち上がり、不気味なほど白い歯をのぞかせて不気味に笑い、兵士を飲み込む
広がる闇はみるみる兵士を蝕み、瞬く間にその心臓の鼓動を止めていく
口を塞ごうとも耳より入り、耳を塞ごうとも目をより侵入する
動ける者は闇の口に食われ、立ちすくむ者は闇の毒に斃れる
その忌々しい魔法の名は・・・
「冥力・・・! なんでゴブリンが冥術を使える!?」
マンダリアンが目の前の光景に思わず叫んだ
かつてゴブリンクイーン懐刀であるダガーが得意としたあの冥術が、再びエタノーの町に放たれる
ただあの時とは違うのは規模と威力
人を操るなどというまどろっこしいものではない、即座に蝕み、即座に殺す
「まずい・・・! 全員逃げろ!館まで避難しろ! 今すぐだ!装備なんて捨てろ!いそげえええええええ!」
事態をいち早く察知したヴァレリアが叫びながら急いで走る
「な、なんだ!? 何が起きているヴァレリア殿!?」
「走って!あの闇に巻き込まれたらお終いだ! 全員逃げろ!退却だ!急げ!」
混乱するマンダリアンの腕を取ってヴァレリアが肩も外れんばかりの勢いで引っ張り走る
その背中では沸き上がる冥術の闇がゾブゾブと不気味な音を立てて広がり、瞬く間に広い大地を闇に染め上げて行った
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「うわぁ!た、隊長ーー!」
前線で戦っていたアグライア達の足元が突如闇に染まる
闇が体を蝕ばもうと這い上がってきた刹那、アグライアが叫ぶ!
「セイクリッド・サークル! 全員集合しろ! ジャン!援護頼む!」
アグライアが即座に神聖魔法にて障壁結界を展開し、ジャンがそれに続く
光の結界の外側はみるみる暗黒に染まり、昼間だというのに光が存在できない程に闇が訪れる
どこを見回しても暗闇という光景に、全員が言葉をなくす
「な、なんだこれは・・・!? 」
絶望はそれだけではない
その闇が液体のように立ち上がり、不気味な白い歯を浮かべて笑う
それも10体、20体と次々沸き上がり、狂ったようにゲタゲタと笑いの合奏が始まる
生きながらにこの世非ざる世界に迷い込んだのかと皆が絶望する中
アグライアは掲げた旗を強く握り、その地獄を睨みつけた
『何があろうと・・・死なんぞ・・・! 絶対にだ!』
『この旗が倒れる時、穢れの首は吊るされる』と刻まれた旗がむなしくはためく
その旗を倒さぬように、アグライアは血がにじむほどに強くそれを握りしめた――――




