203.何も言えない
「か、回復魔法……? にわかには信じられないですね……」
怪我人を保護するためにやってきたエタノー領の兵士が驚きの表情でアグライアに聞き返す
「魔法陸戦団の兵士たちも同じような反応をされてました、ですが我々は相手に回復魔法をかけることで不可視化を解除させることができました…… 同様の対処が有効かどうかはわかりませんが、試す価値はあるかと」
アグライアは歩けない怪我人に回復魔法を唱えながらそう答える
痛みで呻く怪我人が少しでも楽になるように、アグライアはマジックポーションを煽りながら絶え間なく魔法を唱え続けていた
「あ、アグライア隊長……回復魔法はもうおやめください 私達はもう大丈夫ですから、ご自身の魔力の維持を……」
「気にするな、この程度なんともない それよりよく頑張ってくれた 必ず生きて飛翔島に帰ってくれよ」
心配そうに遠慮する隊員の言葉に、アグライアは笑顔で答える
震える手は見えないように背中に隠して
「次の戦闘がいつ始まるかはわかりません、敵が先に仕掛けてくる可能性も高いです……できるだけ情報の共有はしたいのですが、我々に流れてくる情報もかなり遅いのです」
エタノーの兵士は申し訳なさそうにアグライアに伝える
「有事のこの状況です、そういっていただけるだけでも心強いです こちらとしては装備の補充をしてもらえただけでもありがたい限りです」
エタノー領の印が入った剣と盾を手に取りながらアグライアは笑顔を見せる
他の隊員達も、それぞれがエタノー領の兵士にお礼を言った
アグライア達の部隊で残った者は10名程度
後はみな怪我などで戦線を離脱、若しくは戦死と言った有様
もはや部隊と呼ぶのもおこがましいような人数で、いつゴブリンが襲ってくるかわからない最前線にアグライア達は取り残されることになる
それがわかっているのか、エタノー領の兵士の表情は暗い
「可能な限り援護しますので、どうぞご無事で……」
「余裕がないのは皆一緒です、私達もこの土地と王都を守るために精一杯戦います、お互い頑張りましょう」
申し訳なさそうに離すエタノー領の兵士にアグライア達は努めて明るく言葉を返す
そうしてエタノー領の兵士達は怪我人を連れて、深い闇に消えて行った
どこかで樹々か何かが焼けるわずかな音と匂いが漂う、漆黒の雪原にアグライア達は立つ
見通しのいい場所に行こうにも、下手に動いて戦線離脱と判断されれば一巻の終わりだ
どこからくるかわからない敵以上に、どこから見ているかわからない味方の目を気にして動くことができない
全員言葉はない
受け取った装備を確認したり、傷の手当をしたり、何もせず空を見上げたり……
何をしておけば正解なのかわからないまま、次の戦いを待つ
アグライアは全員の顔を見て「エタノー領の兵士について行ってこの戦線を離脱してくれ」と言ったが
全員が困った顔で首を横に振った
ジョンもグレイも同じく少しだけ笑ってそれを断る
咥えたばこの男は背中を向けるとヒラヒラと頭上で手を振って武器の手入れに戻っていった
それを見てアグライアはもう何も言えず、腰を下ろして自身の武器の手入れを始めるほかなかった
いつ始まるかわからない、次の戦いの為に備える以外にできることはなかった
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「レッドゴーレム帰還、リンクを外す……すまないが手桶を用意しておいてくれ」
曖昧な視線のままアバカスが周りの部下に声を掛けると、部下はあらかじめ用意していた手桶をアバカスの両手に持たせる
「用意してくれていたか、助かる ……ではリンクを解除する ゴーレムの点検と整備は所定の通り」
そういうとアバカスは小さく深呼吸をして、目を閉じる
額に埋め込まれていたダガーのコアの光が小さくなっていき、やがて完全に消灯する
光が消えるとアバカスの目が開き、焦点を結び、そして持っていた手桶に嘔吐した
「はぁ……はぁ……! 何度やってもレッドゴーレムの多数管理はキツいもんだな……ウッ」
アバカスは再度嘔吐し、顔を手桶に突っ込んだまま手で必死に何かを探す
その手に何者かがそっとコップ一杯の水を渡し、アバカスは慌ててそれを口に含み、口の中を洗浄した
アバカスはひとしきり胃の中を吐き出した後、呆然を顔を上げ辺りを見回す
そこには二杯目の水を無言で用意する黒い甲冑に身を包んだ剣士……リーフが立っていた
「大丈夫か、アバカス 無理してこっちを見なくていい 目を閉じて安静にしていろ」
「ソード……戻っていたのか 無事で何よりだ」
アバカスはソードを見るとその言葉に甘えるように布を目に当て椅子に寄りかかって座る
ゴブリン=ソード……、アグライアに黒い死神と言われたゴブリンのリーフは、装備の一つも外さず腕を組み壁に寄りかかる
黒い甲冑は人間達の返り血で濁った赤に染まっており、兜に施された骸骨もまるで手傷でも負ったかのように血に塗れていた
「単独作戦なんて危険な任務をさせてしまってすまないな、ソード」
「構わん、人間をこの手で殺すには一番都合がいい」
リーフはアバカスの労いに感情も込めずに言葉を返す
書類と地図だけが散逸する粗末で殺風景な仮設の部屋に、お互い表情を見せず沈黙する
わずか数日前、憎いゴブリンハーフを取り逃したあの日
確かにリーフは戦いに敗れ、手傷を負った
だがリーフは取り逃したことを罪に問われず、アバカスを始めとした城内のゴブリンも咎められることはなかった
だがあの日からリーフの様子は明らかに変わった
虚ろな目で、多くを語らず、ただその刀を研ぎ、下を向いた
何を聞いてもまともな答えはなく、何も言っても来ない
アバカスも戦争に向けての準備に忙殺されていた為、腹を割って話をする暇などなかったが、それでも目に見えておかしくなっていくリーフの事はずっと気にかけていた
そして当日、リーフの変化にアバカスは息を呑んだ
元々おかしな武器を携えていたのは知っていたが、身にまとうその甲冑があまりに異質だったからだ
薄手ながらもゴツゴツと角ばった全身を覆う漆黒の甲冑
兜はスッポリとリーフの顔を隠し、それが誰であるのかわからない程に黒ずくめの姿
そしてその兜の異形にアバカスは目を見開く
その兜には、髑髏が埋め込まれていた
見間違えるはずもない、それは自分達の……ゴブリンの頭蓋骨
「それはなんだ……? それは誰だ!?」とアバカスの問う言葉に
髑髏の奥の目が、寂しそうに暗く微笑んだ
それ以上何も言えず、アバカスとリーフは今日に至る
色々と聞きたいことはあった
あの日何があったのか
ゴブリンハーフは何故逃げられたのか
クイーン様に何があったのか
それよりなにより
あの日から何故お前はそんなにも人間を殺すことに執着しているのか
そして、何故あの日からお前が母と呼ぶ人間の元へ足を運ばなくなったのか
平時であればハチミツ湯を持っていってじっくりと聞いてやりたい
その話じゃなくてもいい、くだらない雑談もしてやりたい
けれど今、そんな状況でないことは誰であろうアバカスが一番理解している
だから何も言えない、何も聞けない
沈黙が支配する中、アバカスが絞り出す様に声を出す
「あの日私は、武器を研いでおけと言ったがな」
ゆっくりとその身を起こし、顔にかかった布を払いながら言う
「その身を削れとは……言わなかったぞ」
そういうアバカスが視線を向けた先には、もう誰もいない
ただその傍にはコップに注がれた、冷めきったハチミツ湯が揺蕩っていた
「馬鹿野郎が……!」
それを見て、アバカスは静かに歯を食いしばった




