192.アイツの為なら
神代王は笑いながら自らの装飾に塗れた格式高い華美な剣をその身から離し、アグライアの前に差し出す
アグライアはその剣を見て、おずおずとその手に受ける
整然と並ぶ兵たちはその光景を固唾を飲んで見守る
神代王がアグライアに何を言ったのかは聞こえなかったが、突如として神代王が身に着けた剣を差し出したのだ
その一挙手一投足が気にならぬわけがない
その光景を目にしながらファルネウスとヴァレリアは必死に走る
二人はわかっていた、神代王がアグライアに何をしたのかを
神代王が持つ最強最悪の力、命すらも断たせることもたやすく命じられる悪魔の言葉
それを使ったことが分かったから、二人は必死に駆ける
だが――――
「……神代王」
アグライアがその剣を手に取り、瞳を向ける
神代王はその目を少しだけ愉悦に歪めながら見下す
神代王が見るのはアグライアの唇
その口からどんな言葉が飛び出すのかを楽しみに待っていた
そしてその口が、小さく開く
「その命令であれば恐れながら受け取れません、なれど攻めてくるゴブリンを撃退せよと言うなら、この剣を拝領させていただきます」
その口に迷いはなく
アグライアの瞳に歪みもない
その様相に、神代王の時が止まる
「……もう一度言う、【従え】」
神代王はその絶対の力を口にする
だが、アグライアは何も言わずまっすぐこちらの瞳を見つめるのみ
神代王の手がわずかに震える
絶対にあり得ないことが起きている事に動揺を禁じ得ない
その時、神代王の目がわずかに動き、それと同時にその目が怒りに震える
恐れと不審に身を強張らせるアグライアなど目もくれず、神代王は振り返り側近に目を向ける
側近がその視線に気づくより前に神代王が語気を強めながら言葉を吐いた
「貴様に心臓を動かす事を禁ずる 【従え】!」
咄嗟のとんでもない言葉にその側近は狼狽え、怯えながら神代王と周りの側近を何度も見ながら意を決し自らの持つ短刀に手をかける
だがその動きを見て神代王は嘆息しながらその側近に「もうよい、許す」と一言だけ告げた
そして我が身に起きている事を理解し、誰にも見えないように強く拳を握りるとわずかに唸りの声を上げた
『ヴァレリアめ……!』
剣をアグライアに差し出したまま動きのない神代王に、兵たちがわずかにざわめく
なぜ異形の穢れに与する女に神代王みずからの剣を託したのか?
なぜあの女は斬り伏せられることもなく、そこにまだ生きているのか?
様々な憶測が囁かれ、わずかな混乱が渦巻く
そんな中、走ることもままならなくなり這う這うの体で進むヴァレリアが肩を貸したファルネウスの隣でわずかに笑った
ファルネウスは何が起こっているのかわからず、笑みを浮かべるファルネウスにたまらず問いかける
「なんだ……一体あれは何が起きているんだ!?」
「なんてこった、君の大事な娘さんは悪運が強いんだな……! こんなことになるなんて、ボロボロになってみるもんだ」
ファルネウスの問いかけに思わず含み笑いをこぼすヴァレリア
「ヴァレリア! 真面目に答えろ」
「あいたたた……すまんすまん、こんなことになるなんて思わなくてつい笑ってしまった」
ヴァレリアは激痛に顔を歪めながら、それでもニヤリとファルネウスに不敵な笑いを浮かべた
「あの凶悪な能力も、それを使うためのエネルギーが必要ってことさ……!」
神代王は怒りと共に焦っていた
多くの兵たちが自分とアグライアの動きを見守っている
自分の右手は象徴である剣をアグライアに捧げている
しかもアグライアがあんな大言を吐いた後で、だ
本来なら先ほどの命令で異形の化け物は一刀の下に斬り伏せられ、緑の汚らわしい血をこの女が狂いながら浴びているはずだった
だが、そうはならなかった……!
神代王は自らの掌を見る
まさかこんなことになるなんて
『ヴァレリアを相手に力を使い過ぎた……!』
先ほどのヴァレリアの無礼な振舞いに激昂した神代王は、我を忘れてその力を過剰に放出
そのせいで今現在、あの恐ろしい絶対の命令の力は枯渇してしまっていた
ヴァレリアの決死の嘆願とファルネウスが託した魔鉱石が、結果としてアグライアを救ったのだ
無言で動きを無くした神代王を前に、アグライアは意を決し更に声を上げる
「私にゴブリン軍撃退のご命令を! 撃退の暁にはリンファをご助命ください、私はどうなろうと構いません!」
アグライアの何も知らないただまっすぐな視線に神代王は心から憤慨する
だが自らの命令の力もなく、かといってここで踵を返してアグライアを斬り捨てれば兵士たちへの不審を招く
命令が通ったと悠然とその剣を差し出した我が身の愚かさを呪いながら、なおも神代王はアグライアを見下す
沈黙の時間がわずかに過ぎた時
神代王はわずかにその口角をあげた
「マンダリアン」
「……ハッ! ここにおります!」
神代王はアグライアを睨みつけながら、背中越しにマンダリアンを呼びよせる
マンダリアンが神代王の傍に膝まずくと共に、神代王が口を開いた
「アグライア、貴様の決死の申し出……確かに聞き入れた」
神代王は表情を変えずその冷たい視線をアグライアに向けたまま、その願いを受け入れる
「この剣は餞別でくれてやる、貴様の言うゴブリン撃滅の技を存分に振るうがいい」
「あ、ありがとうございます……!」
「ただし、貴様は我を侮辱し国政を妨げた罪で死罪とする、これに変わりはない」
神代王の言葉が、断頭台の刃の如くアグライアの首を通り抜ける
「貴様の妄言通りゴブリンを撃退できたのであればこの地であの化け物の代わりに貴様を吊るす、貴様が逃亡、若しくは戦死した場合は即座にあの化け物を吊るす」
目を見開き神代王を見つめるアグライア
神代王はそんなアグライアから目線を外さず、マンダリアンに言った
「マンダリアン、貴様には此度の戦の一番槍を命じておったな」
「はい、我が王都第二領魔法騎兵が拝命しております」
「この女を先駆けに加え、その動向を見張れ 逃亡を企てたと感ずれば貴様の判断で構わん、殺せ」
その言葉にマンダリアンは一瞬目を曇らせるが、即座にその頭を垂れる
「承知いたしました、ご命令のままに」
マンダリアンはそういうと立ち上がると、兵たちの前に戻っていく
兵たちはその姿を見て一斉に背筋をただした
マンダリアンが兵たちの前に立った時、その近くをファルネウス達が入れ違いで進んでいく
一瞬それを咎めようとしたが、マンダリアンは見えなかったことにして兵の指揮に戻った
「アグライア、貴様はどちらにしても死ぬ この化け物のせいでな」
神代王はアグライアを見下す
アグライアはその見下ろされる視線を受けながら、それでも決して顔を伏せなかった
恐怖は未だにあったが、それでもそれ以上の感情が渦巻く
あぁ、もしかしたらこんな気持ちだったのかもな
あの日あの夜、恐ろしい魔獣の前に何の力も持っていなかったアイツが立った時、こんな思いだったのかもな
それを思い出し、アグライアはふっと笑った
「違います、神代王様」
神代王はその顔に目を思わず細める
「アイツの為なら、戦えるのです」
アグライアのあまりに凛とした美しい顔に、神代王は見ることに耐えられなくなって目を細めたのだ
その時、神代王の後ろから荒々しい吐息と足音が聞こえる
「ファルネウスとヴァレリアか……」
「神代王!」
ファルネウスが神代王の名を叫ぶ
その声に隠しきれない怒りがにじみ出ていた
「ファルネウスか、貴様はここに呼んでおらぬ 下がれ」
「そうは行きませんな……国政の末席に関わる身として此度のこの企みにも情報の隠蔽にも納得は言っておりません!」
「それがどうした、貴様が関わる必要なしと判断したのはこの神代王だ、異論は認めぬ」
ファルネウスは無礼を承知で神代王からかばうようにアグライアの前に立つ
「無茶をするなリリー……! なんでこんなことを……!」
そういいながらファルネウスはこの事態を止めきれなかった我が身を呪っていた
アグライアならこれくらいのことをすると容易に想像できたはずなのに、と
「ファルネウスよ、既に我の命令は下った、覆りはせぬ その女は戦って死ぬのだ」
神代王がそういうと、ファルネウスはアグライアを背中に隠し神代王を睨む
「己の不手際を棚に上げ、よくもまぁぬけぬけと……!」
ファルネウスが呟く言葉に、神代王の眉が動く
「……なんだと?」
「17年前の真実、誰も知らぬなど努々思いなさるな……!」
ファルネウスはその言葉を吐くと、神代王を見ずにアグライアの手を取り下がる
「行くぞリリー、おまえの傷をすぐに直して装備を用意する ギルドから選抜で部隊を編成する」
「ま、待ってくださいファルネウス卿!おじさん!待って!リンファにまだ私は……」
「急ぐんだ!もう時間がない!」
ファルネウスは深刻な表情で踵を返す
アグライアは後ろ髪を引かれながら、それでも必死に声を上げる
「リンファ!待っていろ!必ずお前を救い出す!お前を自由にしてやる!待っていろ!リンファーー!」
その声に泣きながらリンファが叫ぶ
「駄目だ! 逃げて!お願いだ!逃げて!どこでもいいから!アグライアさん、死んじゃ駄目だ!嫌だ!いやだーーーーー!!」
叫ぶ二人
やがてお互いの声はお互いの耳には届かなくなり
その叫びは青空に虚しく消えて行った――――




