191.アグライア、吠える
背中を流れる冷たい汗が止まらない
体中に残る傷が痛みを訴えているのに、そんな痛みも気にならないほどにアグライアは心から怯えていた
目の前で自分を見下ろす神代王という怪物を前に、捕食される寸前の小動物の様に震えていた
「アグライア・・・確か中央にそんな名前の男がいたな」
怪物の口がわずかに開き、唸る
「タライア・アグライアは私の父でございます・・・」
「で、あるか して・・・タライアの娘よ」
「何故、殺されに来た」
神代王の言葉でアグライアの心臓が止まりそうになる
アグライアにはわかる、この怪物のその言葉には脅しではない
地面に這う毛虫を踏みつぶすくらいの気軽さで殺せる心と、それをたやすく行えるほどの力をこの怪物は備えている、と
できれば何もかもなかったことにして走って逃げ去りたい
そのまま海に飛び込んで別の大陸まで行ってしまいたい
例え途中で溺れて死んだとしても、この男に殺されるよりはよっぽどマシだ
そう思いたくなるほどに、神代王の放つ威容はアグライアの心臓を強く握りしめていた
だが、アグライアは逃げない
逃げたくない
冷たい手が心臓を握りしめようとも、背中にある温もりを消したくないから
その温もりは泣きながら叫ぶ
「お願いだから!逃げて!来ちゃダメなんだよ!アグライアさん!」
この声を背中に受けて、逃げられるものかよ
アグライアは顔を伏したまま、冷や汗の止まらない顔でニヤリと笑った
「この者、リンファ=オルネストの命を救っていただきたく無礼を承知で参上いたしました」
「この化け物に人の名などない、その言葉だけで貴様の首を野辺に晒してよいほどだとわかっておるか?」
「・・・この者、リンファ=オルネストは! これまで何度も王都の民、引いては王都を救ってまいりました!」
神代王の言葉に逆らい、アグライアはその名を呼んだ
「人に害なす獣が別の獣を狩ったとて、人を救ったことにはならぬ、そやつはそういう化け物である」
「リンファは人を害しておりません!むしろ・・・」
アグライは一瞬だけ言いかけた言葉を躊躇したが、意を決してその言葉を口にした
「人がリンファに害をなしてきたのです! リンファはそれでも人として生きようと、人を救ってくれました!」
その言葉に神代王の眼がわずかに開き、怒りの火が灯る
そしてその言葉は聞いていた兵たちにも伝播し、殺意の視線がアグライアに無数に突き刺さった
だが、それでもアグライアは口を閉ざさない
「ゴブリンハーフ・・・リンファに誰かが殺されたという事件がかつてありましたか!? 森の奥にひっそりと住み、人に会えば石を投げられ、それでも反撃の一つもしなかった!」
アグライアは顔を伏せたまま、必死に叫ぶ
神代王が今この瞬間剣を抜き放ち首を刎ねてくるかもしれない恐怖を感じながら、それでもアグライアは止まらなかった
「それどころかリンファは隠れ棲んでいた家を焼かれ、何度も人間に命を狙われ、それでも人間として生きようと戦ってくれたのです!」
その言葉を口にした時、アグライアの顔が曇る
「その所業には、私も加担していました・・・、私はリンファの家を焼き、リンファの首元に切っ先を向けました」
「アグライアさん・・・!」
リンファが泣きながらその名を呼ぶ
「それでもこの子は! リンファは震えるその手を握り私を助けるために戦ってくれたのです! 人を守るために傷つき続けたのです!」
神代王は何も語らない
冷たい目でアグライアを見下す
兵隊はわずかにざわついたが神代王の威容を見てその口を閉ざした
「人を救っただと・・・? ならば救われたという者を連れてまいれ、我が情けなき者の首を刎ねてくれよう」
神代王がそう言いながら腰に携えた剣を鳴らす
アグライアは剣が響かせた無機質な金属音に、みずからの命が消える幻影を見る
だが、それでもアグライアは止まらない
「救われることすら罪と仰るのですか!? それならばまず私をお斬りください!」
神代王がその言葉に反応して手を掲げる
そしてそれに反応した1000人からなる兵隊全員が剣を抜いた
乾いた金属音が、晴れ渡る丘の青空に鳴り響く
「我に対しその不遜な言葉をよくぞ吐いた、なればその首を吊るされた異形の傍らに備えてくれよう・・・吊るされ腐る化け物と共に、不安に震える民草の慰めになるがいい」
「恐れながら!」
アグライアがその顔を上げ、神代王を見つめる
いや、その瞳は睨みつけると言ってもいい
アグライアは一息でその命を刈り取る力を持った怪物を、自らの恐怖を飲み込んで睨みつけたのだ
そのあまりの視線に、怪物はその爪を納め興味深そうにその漆黒の沼の様な瞳をギョロつかせた
「今回のこの処刑は、王都の民への慰みと、まさに迫るゴブリンへの威嚇と聞き及びました!ならば・・・」
「・・・なんとする? 申してみよ」
「私が最前線に赴き、ゴブリンの前線を打ち崩し撤退させて見せます!」
アグライアはまっすぐ淀みない言葉で、神代王に言い放つ
この処刑の原因を、自らの細腕で討ち払うと言ってのけたのだ
その言葉に神代王の眼がわずかに丸くなる
「貴様がゴブリンを撃ち払うと申したか、世迷言もそこまで行くともはや害悪よの」
「私はリンファと共に多くのゴブリンと戦い、討ち払ってきました オルファン要塞の一件はご存じのはずです!」
アグライアは震えながら神代王の眼を見る
「私は他の者が知らぬゴブリンとの戦い方をこの身に刻んできました!」
嘘だ
そんなものはない
アグライアはリンファを救うため、なりふり構わず嘘を振り回したのだ
「くだらぬ・・・ そのような戯言よりももっとふさわしい命令をしてやろう」
神代王は『茶番は終わった』と言わんばかりにその目を細め、アグライアを覗き込む
神代王の作る影にアグライアの表情が強張るが、それでも必死にその目を睨み続けた
「やめろ!やめてください!やめろ! お願いだから・・・お願いだからアグライアさんに手を出さないで!」
必死に叫ぶリンファの言葉に神代王がわずかに笑う
「お前の為に叫ぶあのやかましい化け物を、お前の手で静かにしてやればいい・・・お前が殺すのであれば吊るすのは死体でも構わん」
神代王の手が伸びる
アグライアは肩を震わせながら、その身を退かせることなく盾のようにリンファの前から離れない
リンファは格子を握る手が焼けただれるのも構わずに泣きながら叫び続けた
神代王がその目の奥を暗く光らせ、言った
「異形の化け物の首を刎ねよ・・・【従え】」




