190.叫びたい名前
丘にたどり着いたファルネウスは、事の大きさに一瞬唖然としてしまう
「なんだこれは……! 私はこんなの聞いてないぞ?」
王都の序列ではそれなりの地位にいるはずのファルネウスだったが、この地獄の様な式典についてはなんの情報も持っていなかった
情勢を掴むためたくさんの情報網や各所に息のかかった者を配置していたはずなのに、それでも髪の毛の隙間ほどの事情を垣間見ることはできなかった
それはすなわち、神代王自身が徹底的にファルネウスへの情報を遮断していたということだとファルネウスは判断する
「やってくれるな……神代王……!」
ファルネウスが怒りで歯を食いしばる
そこまでして、万難を排してゴブリンハーフ……リンファを始末する
そういう確固たる意志を感じずにはいられなかった
苛立ちながら従者を連れて整列した兵の前をズカズカと進むファルネウス
何人かがそれを咎めようとしたが、ファルネウスの姿と認めて慌てて口を閉ざす
そしてファルネウスは、絞首台から連れられて行くヴァレリアを認めて思わず走り出した
「ヴァレリア! 何があった! なんで君そんなボロボロになってるんだ!しっかりしろ!」
血相を変えて駆け寄ったファルネウスに神代王の側近が剣に手をかけ制止する
「天空宰相!お控えください、ヴァレリア様は神代王に意見した件で裁きの場に……」
「貴様は天空宰相とわかって剣に手をかけるか! 控えろ無礼者が!」
ファルネウスらしからぬ怒号が飛び、その勢いに側近は引き下がる
「神代王の命ですぞ、それに逆らうという事はどういうことか」
「それを決めるのは貴様ではない、私に裁きの場に立てというなら後日申し立てよ!」
それでもまだ口を挟もうとする側近を一喝すると、ファルネウスは即座に魔鉱石を取り出し回復魔法を詠唱する
「ひ、久しぶりだなファルネウス…… 眼鏡割れちゃってよく見えないけどその猫耳は見間違えないよ」
「しゃべらなくていい……無茶しやがって! 私はルカ君ほど回復はうまくないから期待するなよ」
「わ、私の事はいい! リンファ君を……リンファ君を助けてくれ……!」
詠唱しようとするファルネウスの腕を振るえながら強く握りしめ、ヴァレリアは必死に懇願した
「は、早くしないとあの子が殺されちまう……! 私も行く、あの子にもうひどいことをしたくない……!」
「何があったんだ!? なんでこんな……!」
ヴァレリアに必死に回復を唱えながら状況の把握に必死になるファルネウスに、更に情報が飛び込む
『ファルネウス様! 聞こえますか? 私です、ルカです!』
通常では魔鉱石の消費が激しい為、めったに使われない通信魔法でルカが切羽詰まった声で呼びかけてくる
「私だ! こっちはかなり緊急事態なんだ、できれば後で……」
そう言いかけたファルネウスにルカが捲し立てるように何かを伝え、その内容にファルネウスの顔が青ざめていく
「お、おい……どうしたファルネウス……?」
回復魔法の手も止めて呆然とするファルネウスに思わずヴァレリアが心配そうに声を掛けるが、その声に顔を向けることすらせず、ファルネウスは絞首台に向かって走り出した!
「馬鹿な真似は止めろ! 早まるなああ!」
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神代王の眼が巨大な爬虫類に見えた時、リンファは恐怖で思わず後ずさった
下がったところで逃げ場のない小さな檻ではすぐに格子に背中をぶつけ、高熱で皮膚が焼ける
リンファの顔が激痛で歪むが、それでもリンファは逃げ場を探して必死に下がろうとする
格子に接触するギリギリを這うように下がり、その視線から逃れようともがく
だが、神代王の眼はリンファを無機質に捉え続けた
「貴様はあのそびえたつ絞首台に吊るされ、王都の人間の慰めとなる」
どこにも行けないリンファの眼を見ながら神代王はしゃべり続ける
「ゴブリン共は吊るされた貴様を見てどう思うだろうな? 憤るか? それとも怖気づくか?」
リンファの顔が恐怖で歪み、本人も気づかぬ間に涙が零れ体が震え始める
「そして何より、貴様の死体を頭上に掲げることで何より我の溜飲が下がる」
リンファはただ恐れ、涙する
母に恨まれ、先生は消え、多くの人間に蔑まれ、助けに来た人を傷つけ、そして今
恐ろしい力を持つ者にその命を断たれようとしている
「あ……アグ……」
孤独と絶望に心を殺されそうになった時、リンファはその名前を口にしかけ慌てて閉ざす
「……なんだ? 何を言いかけた?」
「なんでも……ないです……」
「母の名でも口にしかけたか? 化け物の分際で人間の様な振る舞いをしおるわ」
リンファは神代王の前でその人の名前を呼ぶことをギリギリで我慢した
信頼できる、心許せる数少ない大事な人
その人の名前をこの化け物の前で絶対に呼んではいけないと壊れかけた心で踏みとどまったのっだ
アグライアはきっと今飛翔島で治療を受けているはず
だからもう、自分に関わらせてはいけない
神代王と言う目の前の化け物が何かの気まぐれを起こせば、アグライアにも被害が及ぶ
それだけは絶対にさせない、させたくない
自分は死んでもいい、でもアグライアには生きていてほしい
リンファはその一心で、一番叫びたい名前を必死に飲み込んだのだ
「叫びたくばなんとでも叫ぶがいい、何を叫ぼうとも命だけは吊るされるその時まで奪いはせん」
そういうと神代王がおもむろに腰に携えた剣を抜き放ち即座にリンファの脚を刺す
「うあぁ!」
神代王は血振りをしながら激痛で悶えるリンファの姿を見下ろす
「命だけ、ではあるがな 貴様はこれからその首が締まるその時まで民の憂さ晴らしとして投石の的となるのだ 死なせはせん、丁寧に治療もしてくれる」
「ち、治療……!」
その言葉にリンファが身を固まらせ、神代王は鼻で笑う
「そういえば貴様は治癒の魔法を受ければ激痛に苦しめられる欠陥品であったな、お前が治癒を受けるたびに悲鳴を出せば民草も大層喜ぶであろう」
その冷たい言葉にリンファは体中の力が抜け、その小さな牢獄でうなだれ頭を下げる
どこを向いても助けはない、どこを見ても救いはない
母の名は叫ぶ意味を失った
リンファの拳は結ばれることなくダラリと垂れ下がる
「もはや先日の様に啖呵を切る力も残っておらぬか、もう少し抵抗してくれた方が興が乗ったのだがな」
もう自分がいたぶる価値もないと感じた神代王が、兵士たちの方を向いてそっと手を上げる
「聞け、皆の者! これよりこの神代王の名において、この異形の化け物たるゴブリンハーフを……」
兵隊たちの視線が神代王の振り上げられた手に注がれる
日の光を受けてその手がまるでギロチンの刃の様に不気味に輝いた
そしてその手がゆっくりと下ろされようとしたとき……
「お、お待ちください……! 神代王!」
何者かが神代王の前に飛び出し、即座に頭を垂れて跪く
跪いた拍子に、わずかに赤い血が垂れて地面に染みを作る
その乱入者に神代王はその手を上げたまま、爬虫類の様な不気味な目をそれに向ける
興を削ぎ乱入をしてきた不躾な人物に、神代王は心底から不愉快さを感じた
垂れた頭から流れる美しい金髪の髪が地面にこぼれる
その体は、恐ろしいことをした恐怖で震えが止まらない
それでもその女性は、リンファを助けるためにこの国で一番逆らってはいけない男の前に乗り込んだのだ
その者の名は
「あ、あぁ……なんで!?ダメだよ! 来ちゃ駄目だ! 逃げて!お願いだから逃げて!」
リンファが絶望から喉が裂けんばかりに叫ぶ
「何者だ……名乗れ」
神代王はざわめく兵士や関係者を手で制すると、凍り付かんばかりの冷たい声で問いただす
その者は顔を伏せたまま、それでもまっすぐな強い瞳で答えた
「アグライアさんッッッッッ」
リンファは世界で一番叫びたくても叫べなかった名前を、泣きながら叫んだ
「私の名前はアグライア……リリー=アグライア! リンファの処刑を取りやめていただきたく参上いたしました……!」




