159.ただ人として
防護壁が降りたその広場はまるで二人だけの闘技場だった
お互い一歩も譲らぬ攻防は壁や床、天井までも砕き、防壁も破壊しかねない程の激戦が展開される
繰り出される技は共に命を断つために撃たれる躊躇のない一撃だったにも関わらず、退くことはしない
リーフは受ける傷を回復しながら戦うが、回復魔法を使えないどころか魔法に耐性のないリンファはどんどんボロボロになっていく
ただ、これだけの余裕のない激戦にも拘らずリンファはその両手に携えた魔鉱石の力は使わなかった
右手の力を借りればリーフの斬撃を弾くほどの装甲が手に入るのに
左の力を借りれば間合いの不利を帳消しにする広範囲の遠距離攻撃が可能になるのに
リンファはそれをしなかった
自分の力だけで勝ちたいという気持ちがあったのは嘘ではない
けれどそれ以上に、かつての仲間と戦わせたくないという気持ちがどこかにあったのだ
そんな気持ちを知ってか知らずか、魔鉱石は小さく輝きながら沈黙を貫く
何度目かの交刃を経て、リンファは全身から血を流しながら呼吸もままならないほど大きく息を荒げていた
リーフはそんなリンファを見ながら、ゆっくりと自身に回復魔法を重ねる
傷だらけのリンファと、傷一つないリーフ
魔法が使えないというゴブリンハーフの弱点がここに来て重くリンファにのしかかっていく
「ゴブリンハーフというのは難儀なものだな……、この世界の生物であれば程度の差はあれど使えて当然の魔法すら満足に使えない」
血まみれで満身創痍のまま、それでも構えを崩さないリンファを目の当たりにしてリーフはつぶやく
「そう……だね……、物心ついた時から……ずっと辛かった、よ……」
息も絶え絶えにリンファは答える
視界にこびりつく緑の血を拭っては捨てるが、とめどなく流れてくる
ギリギリ眼球への直撃を免れた眉の端につけられた斬撃の傷からはわずかに、だが途切れることなくその血は流れ続ける
「……何故そこまでする? お前は人間として生きるのだろう?」
リーフは構えを解き、左手で太刀を緩く保持しながら打撃痕に回復魔法をあてながら問う
目の前でリンファが肩で息をしながら構え続けるが、気にもせずその刀はダラリと下がる
それはリーフの慢心にも見えたが、窮地に至って戦おうとするリンファをわずかに気遣う兄の心でもあった
攻撃態勢を敢えて外し、回復に専念する
そうすることでせめてリンファの息が整ってほしいという心からだった
手加減する気もない、生かす気もない
恐らくは次の一撃で命を断つことになるであろう弟への、せめてもの情けだった
「母を助けようとするのはわかる、人間であれば同じ人である母親を敵であるゴブリンから助けたいと思うのは自明の理だろう」
慣れた手つきで唱える回復魔法は、リンファが必死に与えたダメージを帳消しにしていく
「だが、何故ゴブリンの世界で起きていることに怒り悲しみ、戦おうとする? 人として生きるお前からすればゴブリンは滅ぼすべき敵だろうに」
リンファは止まらない荒い呼吸を必死に鎮めようとただ息を整え続け、答えない
リーフ自体この質問に大きな意味を感じていない、ただ問いを与えることでリンファの回復を待っているに過ぎなかった
「人だから……許せなかった」
「……なに?」
その何げない問いに返ってきた言葉に、思わず眉を動かしてリーフは反応させられる
「人だから許せない……だと? 敵であるゴブリンの内情など関係ないだろう、ましてやゴブリンの繁殖手段に人間が必要なくなりつつあることは都合のいい話のはずだ」
「だからと言って……命を選別することを……許せるわけがないだろう……!」
「人に与するお前が、何故ゴブリン世界の理不尽に怒る? ゴブリンとして生きるつもりもないお前が……」
その言葉にリンファの瞳が燃えるように揺らぐ
その目の力に思わずリーフの左手がわずかに反応させられ、手に持つ太刀がカチャリと鳴った
「僕は人に与するわけじゃない、人として生きていくんだ! 人として、そんな命の扱い方を許せるわけがないだろ!」
リンファは息を整えるどころか気を吐き吠える
その言葉にリーフは回復の手も止めてリンファの瞳を見つめた
「僕はこの世に生まれて……たくさんの人に石を投げられてきた…… お母さんはそんな僕に「人として生きろ」って言ったんだ…… 撲に石を投げる人を見ても、そう言ったんだ……!」
段々とその構えに力が戻る
怒りで乱れた呼吸をねじ伏せるようにリンファが大きく呼吸をおこなう
「人として生きるってことは……僕にとっては許せないことを許せないって叫ぶことだ! 仕方ないってあきらめなきゃいけない理不尽に対して怒ることだ!」
「お前は……それがたとえゴブリンの世界で起きた理不尽であっても怒るというのか……その拳を振るうというのか! あの黒い篭に入れられた命の為に泣くというのか!?」
「そうだ! だから僕はゴブリンクイーンに会う! そして許せなければ戦う! 命を!なんだと思ってるんだああああ!」
そう言いながらリンファが大きく踏みこむと、その震脚に呼応して大地の魔力が共振し城を揺らす
大気の魔力がリンファの決してこの世に顕現できない魔力の響きに触れて震えだす
その揺れと震えは城を飲み込む様に反応していく
まるでリンファの怒りが城を飲み込む様に揺らしていった
「僕は一度……自分を偽った事がある……自分がそうであったらいいなという妄想で現実を歪めて認識して、目をつむろうとした 都合のいい結末で自分を納得させようとしたんだ」
リンファはかつてのミディという少女と、その村を思う
人だから、きっと最後はみんな優しくなって、幸せになってくれる 正しくあってくれる
そう思って、そう思い込もうとして、目をつむろうとした
都合のいい理想を、自分に理不尽に押し付けようとした
違う、現実はいつも自分の理想なんて何も叶えてくれない
人間にもゴブリンにも目を覆いたくなるような現実があって、理不尽が蔓延ってる
「僕はもう……理不尽から逃げない、許せないことは許せないという! だからお母さんを助けて……そして……」
「ゴブリンクイーンに許せない事は許せないと叫んでやるんだ!!!」
広場の空気の色が変わる
今にも爆発しそうな張り詰めた闘気が大気を染めた
リンファが構えて差し出した右手は、拳から開手に変わる
その手はまるで華が開くようにゆっくりと美しい
リーフはそんなリンファの瞳を見ながら、左手に力を込めてゆっくりと大きく振りかぶる
高く振り上げられた構えは上段、火の位
まさに燃え盛る炎の如く、その刃は赤く輝いた
「人として……俺たちの為に怒るか……」
リーフはリンファの瞳を見ることなく、ポツリとつぶやく
それはリーフには思いもつかなかった感情だった
二人はお互いを見つめる
大気が揺らぎ、世界は震える
お互いに手加減等する気はない
小細工も、攻め合いもない
ただ持ちうる技を、全力で相手にぶつけるだけ
間合いは動かない、その必要がない
もう二人はお互いの必殺の間合いに侵入している
なぜ生きているのかわからないほどの命を投げ出す危険な間合いでお互いは対峙する
瞬きをすれば自分か相手は物言わぬ塊に変えてしまう、若しくは変えられてしまうそんな触刃の間合い
刹那
二人は自らの影を置き去りにするほどの速さで激突した――――




