1.魔法が使えないゴブリンハーフ
人里から離れた山奥の薄暗い木々の更にその奥朽ちかけたボロボロ小屋
そこに異形の穢れと呼ばれ、人々に石を投げられたものが暮らしていた
緑がかった肌、尖った耳、鋭い爪——
全世界にはびこる人類にとっての害獣、ゴブリンと酷似したその姿
母親譲りの整った顔つきと美しく青い瞳
スラリと伸びたその背丈は、ゴブリンの平均的な大きさを遥かに超えた
10代後半の子ども程度のしっかりとした体つきだった
ゴブリンの特徴と人の特徴を持つ異形の獣
人々はその姿からそのものを恐れを嫌悪を込めてこう呼んだ
【ゴブリンハーフ』と
母ミリアは17年前、リンファと名付けたこのゴブリンハーフを村で出産した
その赤子のあまりの異形に恐れをなした村人は、村からまだ出産間もなくのミリアを事実上の追放
村にミリアが来ることは許したが、リンファを近づける事を固く禁じた
リンファはその姿から忌み嫌われ、幼い頃から人から石を投げられる
村人は駆除すら検討したが、母ミリアがかつて神に仕える治癒者だったため
追放以上の迫害はかろうじて行わなかった
母ミリアは山奥の小屋で、その美しい白魚の様な手を泥で真っ黒にしながら必死にリンファを育てた
異形の姿ですがりついてくる幼子を、人として育てようと奔走した
「人としてありなさい、ゴブリンではなくあなたは人として生きなさい」
常に我が子にそう言い聞かせていたし
その言葉は今もリンファの小さな心に深く刻まれている
そんな小さな母子の暮らしを惨劇が襲った
10年前、母子の住む小さな小屋が血に染まる
小屋どころか山全てを覆いつくすほどの大量のゴブリンが、母子を襲撃した
あまりの規模に周辺の村のいくつかも襲われ、王都が鎮圧のために派遣した神聖騎士団すらもほぼ全滅という壊滅的な惨劇となった
たった2人の親子を狙って、その国のゴブリン全てが群がり全てを奪った
それから10年、リンファは一人残されてその小屋で生きていた
何故生き残っていたのか、母がどうなったのか……
何も覚えていなかったし、それを教えてくれる人もいなかった
かろうじて残ったボロボロの小屋で、食える草を食べ、釣れる魚を食べ、狩れる動物を食べた
常に空腹で、その身も痩せていた
それでも彼は人として生きるため、人が後ろ指をさすような悪事は決して行わなかった
それが母との約束だったからだ
日々と未来の見えない明日におびえながらもリンファは懸命に静かにくらしていた
だがそんなある日の夜、静寂を切り裂くように遠くから金属の擦れる音がリンファの住む漆黒の森に響いた
木々のざわめきが一瞬止まり、白と赤の制服を着た集団が現れる
その集団の名は神聖騎士団
神「ルミナス」のしもべとして、異形を浄化する誇り高き戦団
短い刃と長い柄に魔玉を嵌めた剣を手に、彼らは神に仇なす異形の穢れを撃ち払うのが主な役目
そしてあの10年前のあの日、壊滅的被害を受けた騎士団だ
かつての生き残りである第三方面隊隊長のガルドは松明の火にうっすらと照らされた森の奥の建物を見据える
「本当にまだ生きていたとはな……異形の穢れめが」
ガルドの眼鏡の奥の目が怒りと侮蔑で怪しく光る
斜め後ろに立つ粗末なローブに身を包んだ者に、ガルドは一瞥もくれずに話しかける
「よくぞこの情報と道案内をしてくれた、礼を言うぞ敬虔な神のしもべよ」
感謝こそ述べるも、視線すらかわそうとしない
ローブに身に包んだ者はうっすらと明かりの灯るその小屋を眺めながらうっすらと笑う
「神に仇なす異形の化け物を退治できるお手伝いが出来てとても嬉しいです」
「うむ、実に殊勝な心掛けだ 討伐後の村までの道案内も頼むぞ」
「承知いたしました ただこの辺りには魔獣の巣がありますので、十分にお気を付けを……」
ガルドはその言葉にわずかないら立ちを見せる
「神の命にて剣を振るう我々を下賤な獣風情が邪魔などしない、それとも神聖騎士団は獣如きに遅れをとる集団と嘲るのか?」
ローブの者は震えあがる
「ご、ごめんなさい……!」
「諸君!我々は10年前に散っていった者への弔いと、我ら騎士団の名誉の為にあの穢れを必ず討伐する!」
ガルドが騎士団に檄を飛ばすとそれに呼応し多くの騎士団員が湧きたつが、その中に怪訝な顔をするものが一人
副官である若い女騎士アグライアはその熱狂を横目にガルドに進言する
「隊長…相手が何者かもわからぬ状態で進軍するのは危険ではないですか?」
ガルドはそんなアグライアを鼻で笑う
「アグライア、いつから神の命に疑いを持てるような立場になった?わが神聖騎士団の命は神からの命令ぞ」
「そ、それは確かにそうなのですが、万全を期することもまた重要かと」
「くどいぞ、臆病風に吹かれた者は部隊の隅っこで鎧でも磨いているんだな」
その言葉にそれ以上の意見を挟むことをやめ、隊列に戻るアグライア
まるで自分が神の使いにでもなったかのように饒舌にしゃべるこの男をアグライアはあまり好きになれない
しかしアグライアも忠実なる神のしもべ、神聖騎士団の一人
万物が持ちうる魔力を持たぬ異形の獣であるゴブリンを逃すつもりは毛頭なかった―――
暖炉でかろうじて燃える頼りない薪の明かりの下で、リンファは繕い物をしていた
その手にはボロボロだが複雑な刺繍の入った青い布切れ
母ミリアが幼い頃に首に巻いてくれたバンダナで、唯一の形見だった
手元もおぼつかない明るさの中、不器用ながら針を繰る
ついうっかり針が指先に刺さり、緑の血がうっすらにじむ
「痛いッ あぁ、血が出ちゃったなぁ……」
血がにじむ指を咥え、痛みに耐える
「こういう時魔法が使えたらいいのになぁ……、でも回復魔法って痛いから使えても意味ないか」
緑の血が流れる指先を見ながらリンファはないものねだりをする
この世界の誰もが当たり前に使える魔法という存在を、世界でただ一人リンファは使えない
それどころか魔法への耐性が皆無の為、わずかな魔法の影響が致命傷になりうる
幼い頃膝を擦りむいたリンファに母ミリアが回復魔法を当たり前の様に唱えたとき
あまりの激痛に泣き叫び、のたうち回った
その時の母の真っ青な顔は今でも忘れられない
リンファが自分が普通じゃないと何となく自覚した日だ
なぜ魔法が使えず魔法に弱いのかリンファはわからない
わからないけど、生まれたときからそうだったからそういうものだと納得して生きてきた
「よし、できた!これを身に着けてないと落ち着かないんだよね」
リンファは繕いたてのバンダナを首に巻く
こうすることで母を身近に感じられるような気がするのだ
そんなことをやっていると、不意に窓の向こうが赤く不気味に光っている
なんだろうと視線を向けた瞬間、大量の煙と炎が部屋に舞い込んできた
あっという間に煙は部屋中に回り、炎は天井に達する
さっきまで漆黒だった部屋が人の血の様に赤く照らされている
「火!?いったい何が……!?」
命からがら外に飛び出すリンファ
飛び出した視界に飛び込んだのは見慣れぬ人の群れ
リンファにはそれらがまるで血と骨をまとう冥界からの使いの様に見えた
呆然とするリンファの目の前で神聖騎士団の魔玉剣が青く光る
「そのまま神の炎で浄化されてしまえばよかったものを……」
ガルドが舌打ちをしながらその剣を天に掲げる
「神ルミナスの名のもとに!」
「「神ルミナスの名のもとに!!」」
騎士団全員が剣を掲げ、吠える
一拍置いて、ガルドが高らかに宣言する
「ゴブリンクイーンの眷属である異形のゴブリン討伐を開始する……!」