悪役令嬢パンデミック
少しでも楽しんでいただけたら、嬉しいです。
郊外の閑静な住宅地に住む高校生、安久谷麗は、いつも通りの朝を迎えた。
スマホで天気予報をチェックしながら、パンをかじり、制服のスカートを直す。テレビでは、どこかの国で新しいウイルスが流行しているというニュースが流れていた。
「またか……マスクが足りなくなったら面倒だな」
そう呟き、靴を履いて玄関を出た。
それは、その日の午前中……
教室で数学の授業が行われていたときのことだった。
「キャー! あなた、何をするの!?」
突然、校庭から悲鳴が聞こえた。
クラスの皆が窓に駆け寄ると、校庭にはドレス姿の女性がいて、女性の体育教師に向かって何かを叫んでいた。耳を澄ませると……
「オーホッホ~! この私を誰だと思っているの? 王宮の薔薇である私に刃向かうつもり?」
(え、なにあれ? 悪役令嬢のコスプレ?)
「誰だか知りません! ここは学校の敷地よ、速やかに立ち去って……ゲホッ、ゲホッ」
体育教師が退去を促そうとした、その瞬間に急にむせ始めた。
「ゲホッ、ゲホッ……早く……出ていき……なさい……」
そう言って倒れた彼女は、気づけばフリルとレースの豪華なドレス姿になり、髪は金色の縦ロールへと変貌していた。
立ち上がった彼女は、こう言い放った。
「婚約破棄? いいわ、そちらから言ってくれて助かったわ。私には既に想い人がいるのよ。オーホッホッホ~!」
(えっ、先生まで悪役令嬢になっちゃったの!? どういうこと!?)
「おい、これ見ろよ!!」
クラスの男子がスマホを掲げて叫んだ。
『新型ウイルス、感染者は悪役令嬢化』
その記事の見出しを見て、私は目を疑った。
(感染すると……悪役令嬢になる? それって、怖くないよね?)
騒ぎを聞きつけて、校庭に男性教師2人が現れた。
「おい、何をやっているんだ!」
「オーホッホッホ~! 何って……あなた方、庶民に私たちの高貴な思想が理解できるとでも?」
「何を言って……ゲホッ、ゲホッ……!」
濃い髭の男性教師が倒れた。
「お前たち、一体……ゲホッ、ゲホッ……」
もう1人の頭の薄い教師も倒れる。
そして2人とも、いつの間にかドレスを身にまとい、金色の縦ロールになっていた。
「「オーホッホ~! 私たちの前にひれ伏すのが、あなたの唯一の価値じゃなくて?」」
立ち上がった2人は、野太い声で言った。
(え、男の人もなるの? ヤバくない? でも……)
髭の濃さは変わらなかった……
頭の薄さも変わっていなかった……
(体格も立派だから、ただの女装にしか見えない……いや、実際そうか……。怖さを全く感じないんだけど……)
「キャー!」
女子生徒が悲鳴を上げた。
(え、その悲鳴は……怖さから? それとも変態さんを見たから?)
「お、落ち着いてください、皆さん!」
数学教師の声にも関わらず、教室内は混乱の渦に巻き込まれていた。
泣き出す女子生徒……
スマホで写真を撮る生徒……
教室から飛び出そうとしてドアに激突する生徒……
早弁する生徒……
どさくさに紛れて告白する生徒……
だが、そんな中で委員長(女子)だけは落ち着いていた。
「委員長、なんでそんなに冷静なの?」
「安久谷さん、私にはこれがあるからよ」
そう言って彼女が鞄から取り出したのは、1冊の分厚い本だった。
表紙には、『悪役令嬢大全集~「ざまぁ」と愛を込めて~』と書いてあった。
「この本には、様々なタイプの悪役令嬢が載ってるの。およそ2000パターン……」
(に、2000!? そんなにあるの? 2~3パターンくらいじゃないの!?)
「だから、悪役令嬢退治なら私に任せて!」
(悪役令嬢退治……? 初めて聞く言葉だわ)
「悪役令嬢を退治するには、ヒロインと王子が必要なの! ヒロインはあなたよ、安久谷さん!」
「わ、わかった……頑張ってみる! で、でも王子は?」
教室には、もうほとんど誰もいなかった。
残っていたのは、麗、委員長、そして早弁をしていた高木くん。
(高木くんは……王子様っていうより、『弁当王』って感じ……)
「私よ! 私がやるわ!」
鼻息を荒くして、委員長が叫んだ。
「私、男役に憧れてたの! さあ、麗さん、練習を始めるわよ!」
「え、練習って……?」
「もちろん、悪役令嬢を断罪する場面の練習よ! 悪役令嬢ウィルス――通称ARVは、断罪されることで消滅するの!」
(な、なんでそんなに詳しいの……?)
「これが台本よ!」
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【台本】
王子「エリザベート、君との婚約は破棄する。理由は、アリシアへの嫌がらせだ」
エリザベート「そんな……私は悪くありませんわ!」
王子「証拠は揃っている。もう終わりだ」
王子はアリシアの手を取る。
王子「私は、彼女と歩む」
エリザベートはその場に崩れ落ちる。
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(あれ? 私のセリフ、ない……? 私、ヒロインだよね、アリシアだよね?)
そんな疑問にも気づかぬまま、委員長の熱演は始まった。
「エリザベート、君との婚約は破棄する。理由は、アリシアへの嫌がらせだ」
しばらく間を空けて、彼女は続けた。
「証拠は揃っている。もう終わりだ」
そして、委員長は麗の手を取った。
麗はそっと握り返した。
「違う! ここは強く握り返すのよ! もっと、アリシアの気持ちになって!」
「はい!」
「感情を込めて!」
「はい!」
彼女たちの練習は続いた……
その間、高木くんは、5つもの弁当を食べていた……。
そして、高木くんが5つ目の弁当を食べ終えたとき、ついに彼女たちの演技は完成した。
そのとき、校内放送が流れた。
「皆さん、先ほど自衛隊が到着し、感染者はワクチンを接種しました。現在は、快方に向かっている模様です。もう、安心してください」
麗と委員長は顔を見合わせ、がっちりと握手をした。
「フフッ、私たちの演技力の素晴らしさに、ARVも逃げ出したようね」
委員長がそう言った。
高木くんは6つ目の弁当を食べていた。
「マジ、エビフライ、最高~」
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