第六話
ヌチョさんの手が熱い。何でだろう、そのまっすぐな目に吸い込まれそうになる。
でもなんだか……それはとても嫌じゃない。よく分からない。よく分からないけど、暖かい。
この感じは、あれだ。オグリューさんが焼いてくれたパンと似たような……気がする。
あれ? 何か……
「……? ヌチョさん、何か聞こえませんか?」
「ん?」
妙だ。さっきまで梟が鳴いてたり、葉が風で擦れる音とかしていたのに。今は耳が痛い程に静かだ。でもその代わり、別の音が聞こえる。遠くから……だんだん何かが近づいてくる音。
ヌチョさんの手から自分の手を抜いて、剣に手をかける。さっきまで暖かいヌチョさんの手に包まれていた私の手は、冷たくて固い剣の感触を懐かしいとすら感じてしまった。これが無いと不安で仕方無いくせに。
音はだんだん、だんだん近づいてくる。風を切る音。猛烈なスピードで、ここに……。
そう、もうそこまで。いや、もっと近い、早い……!
「ヌチョさん伏せて!」
ヌチョさんに覆いかぶさるように押し倒すと同時。一気に小屋の屋根が吹き飛んだ。それどこか木造の小屋は跡形もなく崩れてくる。
「アンジェリカ……!」
ヌチョさんが私と入れ分かるように上に。そのまま崩れてくる小屋の角材。そのままあっという間に下敷きにされる。その時私の目に一瞬だけ、夜の空を何かが横切ったのが見えた。
「ヌチョさん……!」
音を立てながら崩れる小屋。一体何が起きた? 地震? いや、違う、先に屋根が吹き飛んだんだ。まるで強風で吹き飛ばされたかのように。
「アンジェリカ……出ろ」
「……んく……ヌチョさん……意外とムキムキですね」
「くすぐったい……! 早く出てくれ……」
「ごめんなさい」
目先の木片をどかして、ヌチョさんが庇ってくれたおかげで這い出る事が出来た。ヌチョさんも引っ張りだしてあげなくては。
「ヌチョさん、出れそうですか?」
「足が挟まってる……」
「すぐにどかします、ちょっと待ってて……」
と、その時、目の端に映る光景に言葉を失った。村全体、そんなに大きな村じゃないけど、全ての建物が崩れてしまっている。村人の叫び声や、子供の泣き声が私の耳に嫌でも届いてくる。
「アンジェリカ、僕の事は後でいい、村人を……」
「ハハハ、いい気味だねぇ、見せつけてくれちゃって」
不気味な声がした。軍の制圧兵器、ゼルガルドの頭の上に佇む不気味な影。月明りとは逆光になっていて影しか見えない。明らかに人間の影では無いのに、人間の声を発している。
「……何?」
「どうした、アンジェリカ……」
「……敵です、たぶん」
その陰は大きく翼を広げた。勿論、人間に翼などない。巨大な、私が知る中であんな翼を持つ鳥なんて居ない。しかしそのシルエットは、大型の猛禽類の物だ。
「ハハハ、全部聞いてたよ。伝説の奴隷騎士。まだそんな古臭いのが残ってたんだねぇ」
梟……? そういえば、さっきまで梟の鳴き声が聞こえていたのに、今はうんともすんとも言わない。
「ははぁ、ビックリしたよ。ウチのお姫様と同じ顔してるんだもの」
ウチのお姫様……。ヌチョさんが言うには、私と同じ顔をした姫様は、アーギス連邦の教皇の娘。
つまりあの不気味な鳥はアーギスの……何? 兵士? いや、でも見た目がもう怪物。
「ハハッ、いいねぇ、その顔! 混乱してるけど目標は定めてる。生粋の兵士の顔だ。さぁて、おしゃべりはこれくらいにして……そろそろ……」
顔? 月明りがあっても今は夜だ。こんな暗闇の中で、はっきりと私の顔が見えているのか?
その時、その怪物の背後から襲い掛かる影が。ヴェルガルドだ。刀を抜いて、一瞬で制圧兵器の上に居る怪物との間合いを詰めた。
あの制圧兵器、ゼルガルドは十メートル以上ある二足歩行型。それを一瞬でよじ登るって……あのヴェルガルドも大概バケモンだ。
しかしヴェルガルドの刀は空振る。怪物は大きく羽ばたいたと思ったら、すでに上空に居た。大きな鳥? 人間? はっきりと足が見える。腕が翼? 何あの生き物。
「ッチ……気を付けろ! アーギスのエレメンツだ! 強化人間のキメラだ!」
「……キメラ?」
別々の動物同士をくっつけた……空想の生き物。小説屋が聞かせてくれた昔話によく出て来た奴だ。組み合わせが無茶苦茶すぎて想像するのが難しすぎたが、奴は鳥と人間のキメラ?
「ハハハッ! ヴェルガルド殿、さっきぶり! でももうお前はどうでもいい! もっと興味深いのを見つけたから!」
そのまま私の方に突っ込んでくる怪物。私が狙い? 剣は……小屋の瓦礫に埋もれてる!
「お姫様と同じ顔をした奴隷騎士! ハハハ、いい土産が出来た! 面白そうな火種だァ!」
「……! アンジェリカ! 逃げろ!」
ヌチョさんが瓦礫の中から叫んでくる。逃げろと言われても。相手は空を飛んでいて、私に一目散に向かってくる。背中を見せるわけにはいかない。
角材の一本を手に取り、構えた。しかし急に怪物は上空へ。かと思えば私の背後に回り込んでくる。
早い……! ただでさえ夜で薄暗いのに……!
「とりあえず腕の一本くらい、食べちゃっても良いよねェ!」
「勘弁してくだ……さい!」
なんとか後ろを振り向きざまに角材を振って撃退を試みるも、また鳥人間は上空へ。
なんなんだ、あの大きさで、ここまで自由自在に空を駆けれる物なのか?
「アンジェリカ、どういう状況だ……」
ヌチョさんが瓦礫の中から状況説明を求めてくる。
「人間くらいの大きさの鳥怪物が襲ってきてます。かなり自由自在に空を駆けてます。イライラします」
「落ち着け……その大きさで自由自在は無理がある……たぶん、大きく見えるのは……羽毛のせいじゃないか? 中はスカスカの筈だ、実際に鳥はかなり骨も脆い」
羽毛……? じゃあ角材で叩いてもあまり意味は無いかもしれない……。
そんな事を思っていると、停止していたゼルガルドが起動した。轟音を響かせながら、サーチライトを怪物へと照らす。そのままさらに激音が夜の空に響いた。砲だ。ゼルガルドに装備されてる鉄砲が火を噴いた。
「ウハハハ! 危ない危ない!」
だが羽毛を削っているようだが、直撃はしない。そのまま怪物は……あぁ、やっぱり私の方に来た。
「さっさと攫って、ゆっくり解体しよう! そうしよう!」
そうか、私を攫うのが目的か。それなら……あいつに取りついて、首の骨を折ってやる。
「と、見せかけてぇ!」
「……っ!」
怪物の翼に何か付いていた。砲台?
それが音もなく何かを発射した。それが私に直撃する。
地面ごと抉れ、土煙が大きく立つ威力。この音……そうか、森に来るとき聞こえた爆発音は……これか。
ヴェルガルドの奴、こいつと既に交戦済みだったんだ、仕留めとけ、馬鹿!
「アンジェリカ!」
「ハハハハ! 魔弾の味はどうよ! 変態魔法使いの発明した無音魔弾射出装置! またの名を……ん?」
抉れた地面を踏みしめる。そのまま大きく屈み、思い切りジャンプした。
届け、届け……
「届けぇ!」
「んなぁにぃぃぃぃ!」
足首を掴んだ。そのまま一気に羽毛を掴みながら背中に回り込む。足を巨大な羽の根本に巻き付かせるように抑え込みながら、叫んだ。
「撃て!」
「バカバカバカバカバカ! やめろおおおお!」
容赦なくゼルガルドは私達を狙って撃ってきた。流石ヴェルガルド、容赦無ぇ。
そのまま鈍い衝撃と共に、大きく吹き飛んだのが分かった。気を失うわけにはいかない。死んでもこいつは離さない……!
▽
無我夢中にしがみ付きながら、地面に落ちたのが分かった。その衝撃で怪物から振り落とされてしまう。私に銃弾は……当たってない。でも服には夥しい血が。
「ハァ、ハァ……無茶苦茶しやがる……」
ここは……村から少し離れてしまったようだ。小高い岩場までこいつは逃げて来たのか。ゼルガルドの銃撃されたにも関わらず、まだ生きている。
「まだ……生きてるの?」
「ハハハ、死ぬわけにはいかないねぇ、こんな楽しい時代に生まれてきたんだから、人生を謳歌しないと」
……? 楽しい……時代?
「何が……楽しいって……」
「ハハ、決まってるだろ、戦争さァ! こんなふうに人を殺していいなら、こんな姿にされた事なんて屁とも思わないさぁ」
こんな姿にされた? 元々、人間だったってこと?
「お前、初めて人を殺した時の事、あの男にペラペラと喋ってたなぁ、感動して泣いちゃったよォ」
「……どんな耳してんの、あんた。あの場には……」
「ハハ、梟の耳は地獄耳なのさァ。ずっと聞いてたよ、感動的だったよ、背筋が震えたねェ。僕にもあったんだよ、そんな頃がさぁ」
夥しい出血。こいつはもう、長くない。
しかしそれでもジワジワと私に近づいてくる。
「小さい頃、童話の英雄に憧れたよォ。華麗に敵の大群をやっつける、カッコイイ英雄にねぇ。憧れて、鍛えて、やっと軍人になったのに……ヒヒ、人生上手くいかないねェ」
「……なんで、そんな楽しそうに……そんな事を……」
「ははっ、お前なら、いつか分かる、奴隷騎士」
何が……?
「何も、感じなくなる。その内お前も、何人殺しても何も感じなくなる。何も感じなさ過ぎて、笑えてくるのさ。目の前で死んだ人間が生まれて来た意味が分からなさすぎて」
生れて来た……意味。
「他人の人生を強制的に終わらせる、その瞬間の表情が堪らなく笑えるようになるのさ。お前も、だんだん、そうなってくるよ。楽しくて楽しくて、目の前で呻きながら死んでいく人間が見たくて、殺しが恋しくなるんだ。こんなふうに殺していい場所が、今の時代、世界中にある! まだまだ、僕の人生捨てたもんじゃ……ガブっ!」
思い切り、鳥人間の頭を蹴飛ばした。
地平線の彼方にまで蹴り飛ばす気で。
でも案外、こいつの頭固いな。
「……よく分かりました。貴方と話す事はもう何もありません。放っておいても死ぬでしょうけど……今楽にします」
「ハハ……最後に一個だけ……イイ?」
「どうぞ」
「なんで……魔弾食らって……傷一つ付いてないの……?」
そんな事か。最後に聞きたい事がそんな事でいいのか。
「私……魔法と呼ばれる物、全て全く効かないんです。信じる信じないは貴方次第ですけど」
「あ……っそう……!」
どこにそんな力があったのかと思う。
鳥人間は大きく羽ばたいて、私を吹き飛ばしながら飛び立った。
「……っく!」
「アハハ、まさかヴェーザーだったとはねぇ! これ以上ない土産話が出来たよォ! じゃあそういう事でぇ!」
そのまま逃げだす鳥人間。でもサーチライトが奴を捉えた。
一発の銃声が響く。それと同時に落ちていく影。
「……心に留めておきます。貴方の事を」
元々は崇高な理念を持った軍人だったかもしれない。
でも、この戦争が彼を狂わせた。奴隷騎士達の面々の顔が頭に過る。
この戦争は終わらせなければならない。その為に私が何か出来るなら……。
その後、ヴェルガルドからオグリューさん達がクーデターを起こした事を聞かされた。
オグリューさん達は帝国兵として戦い続ける事も。
「ヌチョさん」
「なんだい」
「私、何でもします。この戦争を終わらせるためなら、どんな事でも」
その後私は、ヌチョさんと共に歩き始めた。
目指すはアーギス連邦。戦争を止めるために、私は何にでもなる覚悟で。




