第五話
「だ……旦那様って……」
「……? 結婚するんですよね?」
梟が鳴いている。夜の森にひっそりと存在する村の小屋を借りて、私とヌチョさんは向き合っていた。
奴隷騎士の仲間に小説屋というのが居て、その人から結婚という事柄は習得済みだ。二人で一つになる儀式。相手は常に慎重に選ばねばならない。相手を見定めたら、一気に落とせ。
落とせというのは、何処から落とせばいいのだろうか。この辺りに崖とかあるかな……。でもヌチョさんを落としてどうするんだろう。結婚という儀式には必要な事らしいけど。
「アンジェリカ、よく聞いて欲しい」
「はい」
「あくまで偽装結婚だ。王位を簒奪するとは言ったが、アーギス連邦の中枢に潜り込むためのカムフラージュだ。実際結婚しなくてもいいんだよ?」
「……つまり、私の事は気に食わないと」
「ちがう! 断じて違う! あぁ、こういう事を君に言うのはちょっと抵抗があるんだが……君の顔は俺の初恋の人と同じで……」
ヌチョさんは恥ずかしそうに、困ったように顔をそむける。でもなんか嬉しそうだ。
……? というか、なんだろう。なんか昔、その顔を見た事があるような無いような。
気のせいだろうか。
「ひっ、ひっ、ふぅー……」
独特な深呼吸をするヌチョさん。そのままキリリとしたいつものヌチョさんに気に変わる。
「アンジェリカ、僕と君は結婚を偽装して、アーギス連邦の中枢へ潜り込む。具体的な方法とかは……まあ、まだ何も考えてないけど」
「良く分からないんですが……まあ、細かい事はヌチョさんに任せます」
「よし、ではそういう事で……」
「キスはいつするんですか?」
あ、またヌチョさんが顔真っ赤にしながら床に転げ落ちた。
おかしいな。奴隷騎士の小説屋によると、結婚と言えばキスと聞いていたのに。
「キスって……君は僕と出来るのか?!」
「……そう言われてみれば、ヌチョさんとキスするのは抵抗があります」
あ、今度は凄い床に額を擦りつけてる。落ち込んでいるのだろうか。
「ヌチョさん、抵抗があるというのは、私はヌチョさんの事をよく知らないからです。前の……仲間から、キスをする相手は慎重に選べと言われているので」
「懸命な……とても重要な事だよそれは。じゃあ、その……僕の事について教えるから、君の事についても教えてもらっていいかな。お互いに自己紹介しよう」
「わかりました」
「その前に……君も水浴びしてきたらどうだい。ついでに着替えも貰うといい。村の人に言えば喜んでコーディネートしてもらえるよ。かくいう僕も色々着せ替えられてね……」
今のヌチョさんはズボンにシンプルな白い長そでのシャツ。よく見れば髪も綺麗にまとまっている。
「私は別にこのままでも……」
「頼むよ。女の子が自分よりボロボロの恰好をしているのは、なかなかキツいんだ」
「良く分かりませんが……ヌチョさんがそう言うなら、そうします」
▽
村人に水浴びをしたい、と言ったらすぐに私は湯気が立つお湯の部屋に連れてこられてしまった。なんだ、今から拷問が始まるのか?
「さあ、お嬢ちゃん! そのボロ布を脱ぎなさい!」
容赦なく私からボロ布……私にとっては服をはぎ取る村人。というか獣人だ。なんかこう、可愛い。
「……たぬき?」
「ふふ、私はレッサーパンダの獣人よ。たぬきに、このモフモフで長い尻尾は無いわ!」
ごめんなさい、実際はたぬきも見た事ありません。小説屋に下手糞な絵で聞いてただけだし。
割烹着を着たレッサーパンダの獣人。身長は私の腰くらい。でも歳は上みたいだ。私の事をお嬢ちゃんと呼んでくるし。
「……貴方、もしかして兵士だったの?」
「……? 何でですか?」
「いいえ、何でも無いわ。とりあえずしゃがんで頂戴。おばちゃん、背が小さいから」
私の体の傷を見て言ったのだろうか。別に気にしてないのに。もう、体にどれだけ傷がついているのかすら忘れてしまった。もう痛みもない。
「はい、お湯かけるわよー。そして軽くゴシゴシするわよ!」
「はい……」
お湯をかけられながら、布で背中をゴシゴシされる。なんか気持ちい。力加減が絶妙だ。眠くなってきた……。そういえば、ずっと走ってたから、全然寝て……ない……。
「……この子、一体どういう生活してきたの? 眠ってる間に……徹底的にやるしか無いわね」
▽
梟が……鳴いている。ホーホー、さっきから五月蠅いな。
というかいつの間にか寝てしまったようだ。なんか物凄く気持ちい。柔らかい所で寝てる。こんな気持ちい所で眠ってしまっていいのだろうか。
かすかに美味しそうな匂いがした。そしてすぐ横に人の気配がして、そちらを見るとヌチョさんが一人で美味しそうな物を食べていた。ずるい。
「……ヌチョさん」
「……おや、目が覚めたかい」
何故か私に背を向けて喋るヌチョさん。
「ヌチョさん? どうしたんですか」
「いや……言っておくが、着替えさせたのは、あのレッサーパンダのオバチャンで、僕は何もしていないからね」
自分が着ている物を見下ろすように。黒い服だ。暖かい長そでのモフモフした服。それにスカート。スカートなんて久しぶりだな。奴隷騎士になる前は時々……
いや、着た事なんて……あれ? なんで私、スカートを久しぶりなんて……。
「ヌチョさん?」
立ち上がり、ヌチョさんの正面に回り込むように。するとヌチョさんは再び背中を向けてしまう。
「一体……どうしたんですか。私の事が見るのも嫌になりましたか?」
「そんな事……ないよ……」
声ちっさ。
一体どうしたのだと、ふと私は壁にかかっている鏡に目が行った。そこに映っているのは、別人かと思う程に綺麗に髪型を弄られた私の姿。
というか、なんか体が軽い気がする。いつもはもっと体のあちこちが痒かったりするけど……なんかスッキリした。洗われたからだろうか。
そういえば……この髪型、あの写真で見た女の子に似ている気がする。写真の子はもっと豪勢な飾りを付けていたが。
「ヌチョさん、いい加減にしてくれませんかね」
「え、なんどすか?」
「これからお互いに自己紹介しようって言ったのは、ヌチョさんの方ですよ」
「そういえば、そんな事も言ったような言ってないような……」
「そんなに、この顔が気になりますか?」
「いや、ごめん、ちゃんとするから……」
深呼吸しつつ、こちらを向くヌチョさん。しかしすぐに手で顔を覆ってしまい、顔を真っ赤にする。
「くぅ……いや、すまない……俺は最低だ、君の顔が初恋の人にそっくりだから……君に恋してるわけでもないのに、君の顔を見ながら別の女の事を想うなんて最低だ……いっそ斬ってくれ」
「分かりました」
「ひぃ! サーベル抜かないで! ごめんなさい!」
君に恋してるわけでもないのに。
なんだ、その言葉に、妙に……イライラする。
それにこのヌチョさんの慌てる姿……やっぱりどこかで……いや、気のせいだ。ヌチョさんとは初対面の筈だ。
私は再びヌチョさんの正面に座る。サーベルを机に立てかけつつ。
「その服、似合ってるよ、アンジェリカ。黒いセーターに深い赤色のスカート。君の髪色によく合ってる」
「……ありがとうございます、ヌチョさん」
……なんだろう、私までヌチョさんの顔が見れなくなってくる。
良く分からない。私は……恥ずかしいのか?
「それじゃ、どちらから自己紹介しようか」
「私からします。名前はもう知ってますよね。それでは軽く……私の素性についてお話します」
少し長くなってしまうかもしれないけど。
ヌチョさんには知ってもらっておいた方が、良い気がした。
何故だろうか。私の事を、もっと知ってほしい。
▽
盗賊に捨てられて、奴隷騎士になった。それから戦場に出て、初めて人を殺した日の事。仲間達と共に戦った事。ヴェルガルドとの関係。そして……オグリューという、優しい看守の事を私は話した。
「……以上です」
「…………」
ヌチョさんは顔を俯かせて……床に水滴が落ちている。泣いているのだろうか。
「ヌチョさん? ヌチョさんの番ですよ」
「……待ってくれ、ちょっと待ってくれ……頼む」
私が泣かせてしまったのだろうか。泣く要素があったか?
あぁ、ヌチョさんには恐ろしすぎたかもしれない。それはそうだ、人を殺した人間が目の前に居る。それはとても恐ろしい事だろう。ヌチョさんのような、普通の人からしてみれば。
「……私の事が怖くなりましたか? ヌチョさん」
「……違う」
「じゃあ、嫌いになりましたか?」
「……断じて違う」
「なら……」
ヌチョさんは無言で、私の両手を包んできた。とても暖かくて、優しい手。
ヌチョさん、手の平……意外とゴツゴツしてるな。
「……神よ……何故この子を救わなかった……」
「……はい?」
ヌチョさんの握る手が……強くなってくる。
別に痛いわけじゃないけど……なんだろう、この気持ち。
「何故……この子を見捨てた……」
「あの、ヌチョさん? 私と会話してくれますか?」
ヌチョさんは顔を上げる。
その顔は、いつものヌチョさんの顔じゃなかった。
思わず体が強張る。
この顔を、私は幾度も見て来た。あの戦場で。
そうだ、この顔は……覚悟を決めた顔……
ヌチョさんは私の手を包みながら、暖かく、力強く……
「神よ、貴方が救わないのであれば……俺がやる」
梟が……鳴いている。




