第三話
「私、名前言いましたっけ」
夜の森の中、村の方へ歩きながらヌチョヌチョさんへと投げかける。
ヌチョヌチョさんは少し間を空けつつ「すまない、知り合いと似ていたものでつい」とわざとらしく誤魔化そうとしている。
私は名乗ってなどいないし、最初私の顔をジロジロと見ていた。ヌチョヌチョさんは私の出生を知っている?
アンジェリカ、という名前を付けたのは私を拾った盗賊だ。しかし盗賊にしては可愛い名前を付けるじゃないかと、偏見じみた事を思った事もある。
しかし実際、盗賊の棟梁は私に文字の読み書きを教えてくれたり、それなりに可愛がってくれた。恩赦を得るために捨てられたわけだが、もしあそこで棟梁だけが掴まっても、私は一人ぼっちのままだっただろう。まさか奴隷騎士にされるなんて、棟梁もその時は考えていなかった筈だ。
つまり私は、未だに棟梁は我が身可愛さで私を捨てたわけではない、と思いたいのだ。今となっては、棟梁も生きているか分からないが。
そんな棟梁が付けてくれた名前、アンジェリカ。何故それをヌチョヌチョさんが言い当てる事が出来たのか。顔が似ていて、しかも名前も同じだなんて偶然と考えるのは無理がある。
確実にヌチョヌチョさんは私について何かを知っていて、それを隠している。
「……見えてきた。僕が様子を伺ってくる。君は……」
「アンジェリカでいいです、ヌチョヌチョさん」
「……本当にアンジェリカだったのか?」
「だからそう言ってるじゃないですか。怒りますよ。ヌチョヌチョさんの剣、私が貰っちゃいます」
「そんなに気にいったんなら別に譲るけど……。まあ、僕より君の方が扱いは上手そうだ。というわけでアンジェリカ、ここで少し待っていてくれ」
「分かりました」
そのままヌチョヌチョさんは村へと小走りに近づいていく。一応隠れながら近づいているが……いくら隠れた所で今のヌチョヌチョさんはすごく臭いから、すぐに見つかる気が……って、あ、軍人に見つかってる。早っ。
あ、ライフル突き付けられてる。でも民間人だと思われたのだろうか。すぐに解放された。剣を私が持ってて正解だったようだ。武器を携行していたら対応も違っていたかもしれない。
って、なんか私に手招きしてる? 嫌だな、知り合いだと思われたくない。しかし行かないわけにはいかない。一応剣は隠しておこう。
そのまま女の子らしく駆け寄った。演技は上手い方だと自負している。子供だと油断を誘って帝国軍に近づいて奇襲をかけた事もあったし。
「いやー、良かった良かった。知り合いの隊だったよ。びっくりした」
「知り合い? ヌチョヌチョさん、軍人だったんですか?」
「軍ではないけど、近しい機関の人間だよ。これでも僕、中々に偉い人なのだ」
えっへん、と胸を張るヌチョヌチョさん。なんかイラっとするな。
「それは失礼しました。植物に食われかけてる所を小娘に助けられた事は、忘れた方が良いですよね」
「ごめんなさい、調子に乗りました……」
「別にいいですよ。ご飯を奢って貰えたらそれで……」
地面を揺らす制圧兵器が、サーチライトで辺りを警戒していた。二足歩行型のゼルガルド。尤もポピュラーな型だ。十メートル以上ある鉄の巨人。スタビライザーの音がカッコよすぎると、奴隷騎士の誰かが興奮していたっけ。
「ヌチョヌチョさん、それでさっきの爆発は何だったんですか?」
「いや、まだ詳しく話は聞いてないんだけど。今、隊長を呼んできてくれるって。ぁ、ほら、来た来た」
ヌチョヌチョさんに銃口を突き付けた軍人が、隊長らしき人物を連れてきた……って、あの男は……
「……なんだ、見た事のある顔が居ると思ったら……」
「……っ! 帝国の軍隊長……!」
どうするどうするどうする……! 逃げた方がいい? いや、無理だ、下手に動いたら斬られる、というかなんでこの男がここにまずい殺されるでも足が動かないやばいやばいやばい剣を置いてきてしまった私の大馬鹿いや剣をもっていたとしても下手な事をしたら確実に殺され
「おーい……アンジェリカ? ヴェルガルド殿、この子と知り合いか?」
「前に話した面白い娘……くさっ! お前、くさっ! 良く見たら全身ドロドロじゃねーか、肥溜めにでも落ちたのか? くさっ!」
「少し訳ありでね。彼女に助けて貰ったんだ。命の恩人だよ」
「ほぉ。奇妙な巡り合わせというか……おい、お前なんでここに一人で……」
「ほんぎゃああぁぁぁぁぁぁぁ!」
やっと動いてくれた体。そのまま私は後ろに転がりながら軍団長と距離を取った!
軍団長は鼻をつまみながら。ヌチョヌチョさんは首を傾げながら、ポカーンと私を見ている。
「ヴェルガルド殿、彼女に一体何をしたんだ?」
「何をというか……とりあえず体洗ってきてくれないか」
※
舞台の上で、ワンピースを来た少女が驚きながら後ずさりする。オグリューは、マルチーズを撫でる手が止まってしまった。モニカは鼾をかきながら、もっと撫でろとオグリューの手を自身に押し付けるように抱き着いている。
「……軍団長と会ったのか。あの男と……」
オグリューの隣に座る女性は、鼻で笑いながら頷いた。
「生きた心地がしませんでした。戦場で何度も相まみえた化物みたいな男。刀一本で奴隷騎士数人と、笑いながら戦っていた悪魔が、目の前に現れたんですから」
帝国軍、第七歩兵隊軍団長ヴェルガルド。それがその男の名前。元々傭兵だったが、その腕を買われて正式に帝国軍へと招かれた男。奴隷騎士とはまた違った方向で、アンジェリカに戦場のイロハを叩き込んだ人物である。敵でありながら、アンジェリカはヴェルガルドに様々な事を教わった。常に殺されそうになりながら。
「彼は残念がっていましたよ。この後、ヴェルガルドから、貴方がクーデターを起こした事を聞かされました。実はその時、帝国軍は彼にコルニクスを占領せよと指示が下っていたそうです。しかし彼はそれを無視して、貴方の動向を見守っていました」
「……私もその話はあとから聞いた。随分あっさりと司令部を抑える事が出来たのは、帝国軍が睨みを利かせていたからだと。その後、帝国軍に下った後も、散々こき使われたがね」
幕が下りる。第二部はこれで終わりのようだ。
劇場に灯りが戻り、それと同時にマルチーズ・モニカが目を覚ました。
「ふぁぁぁぁ、じいちゃんおはよう……」
「おはようモニカ。よく眠っていたな」
するとその時、観客席へとフレンチドレス姿の少女達が六人程、舞台袖から出てきた。そのまま女性の元へと駆け寄る。
「貴方達、ご挨拶なさい。こちらの方は、この街で一番偉い人よ」
オグリューは自然な動きで胸に手を添えつつ会釈をする。それに応じるように、少女達は見事に統一された動きでカーテシーを。
「ふぉぉぉぉ、可愛いー!」
興奮するモニカ。すると女性がオグリューの腕の中のモニカを取り上げ、そのまま少女達へと手渡してしまった。当然、少女達にもみくちゃにされるモニカ。
「わわわわん! じいちゃんたすけて!」
「今日の公演は終わりよ。しばらく遊んでらっしゃい」
そのまま少女達に拉致られるモニカを、オグリューは呆然と見守る事しかできない。まあ、無碍に扱われるような事は無いだろう。たぶん。今目の前でかなり可愛がられていたし。
「……オグリュ―様」
犬払いをした女性が、意を決したようにオグリューへと話しかける。
その声のトーンに、思わず身構えてしまうオグリュー。何故か女性が怒っているように思えたからだ。
「ずっと、聞きたいと思っていました。何故、私を仲間外れにしたんですか。何故、私も一緒に……クーデターに参加させてくれなかったんですか」
オグリューは何故、と問われて劇場の天井を仰ぐように。そのまま目をつむり、当時の事を思いだしていた。それは彼女を除いた奴隷騎士達と、話し合った時の事。
「全て……私が決断した。クーデターが成功しようがしまいが、その先に待っているのは……」
奴隷騎士の誰もが、アンジェリカを逃がす事に賛同した。世界大戦の最中、幼いアンジェリカを一人で逃がす事に不安が無かったと言えば嘘になる。無責任だと言われたらその通りだと認めざるを得ない。しかしその当時のアンジェリカならば、逃げ切ってくれる、そう思ってしまった。
本当ならば、奴隷騎士として地下に降りて来た、あの時に逃がす事が出来ていれば。
だがそれも無理な話だ。既に世界大戦が勃発し、安全な場所など何処にも無かったのだから。
「私は奴隷騎士の時、地獄だったなんて思った事はありません。確かに戦場は過酷でした。しかし仲間が居たから乗り越える事が出来ていた。初めて人を殺めた時、彼らは一緒に祈ってくれた。罪悪感で押しつぶされそうになった時、一緒に背負って支えてくれた。あの時私が一人で放りだされた時、どれ程心細かったか、貴方に分かりますか」
不謹慎かもしれないが、オグリューはその言葉を聞いて嬉しいと思ってしまった。今、その言葉を奴隷騎士達に聞かせてやりたかった。しかし彼らはもう居ない。彼らの墓すら……
「オグリュー様、私達は明日の公演を終えた後、アーギス連邦へ帰還します。オグリュー様も是非、お越しになってください。私達の船に乗って供に」
「アーギス連邦? しかしそんな急に……」
「アーギス連邦の聖堂に、彼らのお墓を作ってもらいました。無論、遺骨などはありませんが、オグリュー様が彼らを連れてきてください。今もきっと、彼らの魂はオグリュー様と共にあると思うので……」
アーギス連邦は女神崇拝の総本山。その聖堂に奴隷騎士達の墓がある。それが何を意味するのか、オグリューに理解出来ない筈が無い。そこに名が刻まれるのは、皆、偉業を成し遂げた英雄達。
「何故……そんな事が……」
「続きは……あちらの劇場で。そこで全てをお話します。私が……何者であるのかも、全て」
ゆっくり立ち上がる女性。
そのままオグリューへと深々と頭を下げ、背中を向ける。
「待ってくれ! 一体……」
「オグリュー様。彼らの偉業を、貴方が話してください。彼らは紛れもなく……」
オグリューの目に涙が溜まる。
何故かは分からない。ただ、奴隷騎士達の魂が救われるとしたら、今この時なのだと思ってしまった。
「彼らは紛れもなく、この世界を救った英雄達なのですから」




