第十八話
あの日、教皇は自ら命を断った。理由は一人の男に裏切られたから。
「どうして?」
物言わぬ遺体へと声をかけても、返事など返ってくる筈もなく。
窓から入ってくる月明りが、教皇の首から流れる血を照らしている。
聖堂内に刃物などある筈が無い。しかし教皇はしっかりと握っていた。そのナイフは、あの男の物だ。
何故教皇がこれを持っているのか。あの男は何処に行ったのか。
混乱しながら教皇の手からナイフを奪い、教皇の血を自分の顔に付けた。
「何をしている! ラスティナ?!」
衛兵に見せつけるように、ナイフを懐へと隠した。衛兵は教皇の遺体を見て、次に私の顔についた血を見て、全てを察したように私を捕らえようとする。
「待て、待て! ラスティナ! どういうことだ!」
全速力で逃げた。
これでいい。これしかない。こうするしかない。
あんな男のために教皇が自ら命を断ったなんて、認めたくも無いし、誰にもそう思わせたくない。
教皇は、私に殺されたのだ。そうするしかない。
バルコニーへと逃げ込んで、懐からナイフを取り出し自分の首に。
衛兵は一瞬止まり、私を説得しようと何故だと叫ぶ。
動機なんてなんでもいい。
「教皇が……あの人が私を裏切ったからだ! 私は……こんなに想ってるのに!」
そのままバルコニーから落ちた。下は谷。そのまま海までノンストップの川。
いつか代償を払わせてやる。
あの顔がいいだけの男に。何年かかろうが、必ず見つけ出して……
どれだけ流されたか分からないが、口の中が恐ろしく生臭くてしょっぱい。
気が付けば大きなリスが沢山いる船に乗っていた。リスは言う。この船はグリムハーツ潜水艦だと。
グリムハーツ……私の記憶が正しければ、その名前は妖精の名前だ。居るか居ないか分からない未知の存在。その名を冠した船に、大きなリス達。
冗談だと思った。これではまるで妖精の国では無いか。
「君は魔法使いむ? もう僕らの事は察してるむね」
当たり前だが、こんな大きなリスは存在しない。私は迷い込んでしまったのだ、妖精の国に。
そして不味い。妖精の国は時間軸が現実と違う。御伽噺だと思っていた、どこぞの魔法使いの記録が脳内を駆け巡る。妖精の国では、数時間過ごすだけで現実世界で数年経っていたと。
溺れていたのか体に力が入らない。
逃げ出す事も出来ない。復讐を誓ったのに、もうその道は塞ぎかかっている。
でもまあ……もういいか。
なんだかもうどうでも良くなってきた。
しばらく船で過ごし、どのくらいが経ったのだろうか。
現実世界では、どの程度時間が過ぎ去っただろうか。全て私の気のせいだったら、どれだけいいか。
「グランドレアって……何?」
突然現れた教皇そっくりの娘。運命だと思わない方がどうかしている。だってそっくりな上にヴェーザーなんだから。教皇もヴェーザーだった。
グランドレア、私の母国を全く知らない娘と会話した時、心のどこかで察してしまった。私の国はもう無いんだと。この船で一年くらい過ごしただけで、現実は既に数百年経っているのだと。
共にこの船から脱出しようと言われた時、正直気が進まなかった。自分の現状を確かめるのが怖いというのも確かにあるが、それ以上に、数百年経った世界が怖かった。
恐らく時代も何もかもが異なっている世界。一体そこは、どんなに恐ろしい世界なのだろう、と。
そんな事を思っていたら……
「ぎゃああああああ!」
人間を獣に改造して戦っている、神への冒涜としか思えない時代でした!
「無茶苦茶だ! どうやったらこんな事思いつくんだ! 人間とそれ以外の生き物を混ぜて何になるんだ!」
「人間ってなぁ不便でな。感覚器官がとことん、他の生物に劣ってるのよ」
「当たり前だ、そのために私達は変わりに、知性を獲得したんだ!」
いつのまにか私の襟首を持って、木の上に昇っているヴェルガルド。
蛇人間はヴェルガルドに斬られたのか、体から血を流している。蛇の胴体部分、数か所から。
「知性ね……」
何か言いたげに蛇人間を眺めるヴェルガルド。
皆まで言うな。知性ある人間が、同じ人間をあんな姿にして兵器として扱っている。知性など欠片も感じない。
「兵器化する事が目的じゃないんだ、たぶん」
「ほう? あんな姿にしておいて、戦場に送り込んでおいて、それ以外の使い道があると?」
そう思いたいだけかもしれない。でも何かおかしいんだ。
聖術を使えば、あんな姿の人間を作り出すのは造作もないだろう。問題は動くかどうかだ。
いきなり人間に蛇の胴体をくっつけて、それを自由自在に動かせるわけが無い。
だが事実として、目の前の蛇は巧みに自身の体を操作して私達に襲い掛かってくる。今もほら、体をバネみたいにして……って、ぎゃああああ! きたああぁぁあ!
だがヴェルガルドの方が一瞬早い。
蛇が迫る前に私を放り、そのまま蛇の喉元、人間部分の首へと切っ先を向けて斬りつけた。
『ちいっ!』
だが蛇人間の動きは止まらない。首を切ったのに致命傷になっていない? んなあほな。普通の蛇だって、いくらなんでも首を斬れば死ぬ。いや、そもそも……首が致命傷になるのは出血のショック死だ。そうか、こいつら……
「ヴェルガルド! そいつは脳も弄られてる! 動きを止めるには……斬っても無駄だ!」
「そうか」
突然付けられた蛇の胴体を操作するために、脳を弄られている。正直もう意味が分からん。聖術でそんなことが出来るのか? っていうか、脳をどう弄ればそんな事が可能になるんだ? 私が分からないと言う事は、それはこの時代の技術なのか? 新しい時代怖すぎる!
ドムっと嫌な音がした。それと同時に蛇人間が地面へと転がり悶絶している。
ヴェルガルドは圧倒的だ。涼しい顔で蛇人間を一方的に抑えてしまった。
「さて……三枚におろして焼いてみるか?」
「私は食わんぞ、こんなの」
それより掴まってるアンジェリカの方をなんとかせねば。
「アンジェリカを探そう。きっとその辺の家のどこかに……」
「またれい!」
……! 新手!
目の前に降り立つのは新たな強化人間。
人間と獣の融合された姿。なんて恐ろしい。
しかもこいつ……こいつは!
「私の可愛い後輩君を虐めるんは……どこのどいつじゃぁ! ぼけぇ!」
パンダが二足歩行で……立って喋ってる!
「……ん? 魔法使い? おんどらボケイ! なんで魔法使いが私らに敵対すんねん!」
……? なんでって……
「特に理由は無いが……というかそもそも私達は」
「得に理由もないのに裏切るんかいワレェ! 国の姫さんを一緒に守ろう誓ったのに! 一瞬で立場変えよって!」
姫を守る? ちょっと待て、まさか……
「姫って……誰の事?」
「シンシア様の事にきまっとるじゃろうがぁ!」
ヴェルガルドへと目配せ。私へと、この国の姫君の名だと耳打ちしてくる。
魔法使いが敵対している事に疑念を抱いている。しかしこいつらをこんな姿にしたのは、間違いなく聖術の使い手。それもかなりの腕前だ。人間と動物の姿を混ぜ込んで、正気を保つなんてことは不可能の筈だ。しかし現に目の前にそれが居る。
絶対に聖術の使い手はまともな人間じゃない。頭がイカれてるとしか思えない。
でもなんで……さっきから、私の頭の中に嫌な予感が過る。こんな事が出来るのは……一人しか思いつかない。
「お前等を改造したのは……誰だ、なんて奴だ」
やめろ、聞いてどうする。
そんなわけがない、私が知ってる筈が無い。
「あん? そんなもん、誰が答えるかボケェ! お前等敵じゃろうがぁ!」
そいつは、自分で改造した人間達を使って姫を保護している。
それは恐らく保護では無い。確保だ。
こいつらはそいつの指示に従っている。こんな姿にされたのに、何故か。
魔法使いを味方だと信じ切っているのも、そいつの入れ知恵……
「レイヴィーユ……という魔法使いじゃないのか、お前等を改造したのは」
「ああん!? お前その名前知っといて、なんで敵対してるねん!」
馬鹿な、馬鹿な……そんな馬鹿な。
何故生きている? あの時確かに死体を確認した。
確かに死んでいた。喉を掻っ切って……呼吸は? 心音は? 体はもう、冷たくなっていたか?
いや、そもそも首から大量に血を流していたんだ、生きてる筈が……
でも、こんな事が出来る人間が他に……居る筈が無い。
アンジェリカと瓜二つの……教皇が。
「その姫とやらに会わせろ。状況が変わった」
パンダがブチギレながら鋭い爪を私に向けてくる。しかしヴェルガルドが前に立ちはだかる。
ヴェルガルドの刀がパンダの眉間に迫るや否や、小鳥のさえずりのような声が響いた。
「待って……私ならここに居ます」
そこに居たのは教皇に……いや、アンジェリカにそっくりの女の子。
髪型や服装が違うが、顔は確かにアンジェリカだ。
アンジェリカはヴェーザーだった。しかしこの娘は違う。明らかに精霊が体に纏わりついている。恐らく治癒系の魔法を使用したんだろう。
「アンジェリカという娘を知ってるか?」
私の質問に一瞬凍る表情を見せる姫君。
「それは……昔の私の名前です」
「双子なんだな」
私の国にもあった。双子は忌み子として扱われ、両方の子供に同じ名前を付ける。そして一方を捨て、もう一方に別の名前を付けるという風習。
「……まさか、ご存じなのですか? 私の……妹を」
「姫様!」
御付きの侍女らしき女が声を荒げた。
あっちの女の方が事情を知ってそうだな。
その時、ヴェルガルドが私の肩を掴んでくる。パンダは既に制圧済みで、いつのまにか気絶させられていた。静かだと思ったら……。
「落ち着け。悪い顔になってるぞ」
「落ち着いてる……私はこれでも落ち着いてるんだ」
死んだと思っていた最愛の人が、人間を改造しまくっている。
嫌な予感がした。人間からキメラを作って、最終的な目的は?
「お願いします……教えてください! 妹は、生きているのですか?」
私とヴェルガルドは顔を見合わせ……正直に答えた。
「……たぶん」




