第十六話
この地に仲間が眠っている。オグリューは一時も忘れてはならないと思いつつ、平和な時を過ごす内にだんだんと奴隷騎士達と共に戦った頃の記憶が、薄れていくのを感じていた。
『お前の戦いは一生続くんだ』
最後の奴隷騎士、時計屋が言い残した言葉。彼とはかなり打ち解けていて、オグリューはその言葉を投げかけられた時、やはり自分は恨まれていたのかと思った。
しかしそれは一瞬の事。次に満面の笑みで「あの子に優しくしてくれてありがとう」と言われた時、オグリューは全てを理解した。自決は許されない。それは彼らの魂に対する侮辱だと思った。
魂という存在を、オグリューは信じていなかった。霊魂なんぞ見た事も無いし、感じた事も無い。戦場に出るまでは。
あの地獄に足を踏み入れたのは自分の意思だ。家族を守る為に、一亥も早く戦争を終わらせたかった。その為に自分が出来る事と言えば、戦い続ける事しかない。
その戦場の中で、オグリューは確かに感じた。というか、感じたくなった。あの光景を見れば誰でも何かに縋りたくなる。神と言う物が居るのならば、祈りたくもなるし、恨みたくもなる。
真夜中の宿屋、眠れずにベッドで座り込むオグリュー。昔の事を思い出したからか、それとも奴隷騎士達の霊魂がこの地に眠っていると思ってしまったからか、どうにも眠れない。
そんなオグリューのベッドはモニカが占領していた。専用のベッドがあるにもかかわらず、モニカはオグリューのベッドで大の字に眠っている。犬の姿のまま。
オグリューはそんなモニカを見て微笑みつつ立ち上がり、寝間着から背広へと着替え始める。中折れ帽子もかぶり、アンドレイから託された懐中時計も胸ポケットに。
背後に気配を感じた。シンシアだ。どうやら起こしてしまったらしい。
「すまない、起こしてしまったか。ちょっと散歩してこようと思ってな」
そう言いながら部屋を出て行こうとするオグリューの袖を、シンシアが捕まえた。そのまま自分も行くと言わんばかりに服を脱ぎ始めるシンシア。オグリューは思わず部屋の外へと逃げるように出る。
「……あの傷……」
一瞬だけ見えたシンシアの肌には、深々と傷跡がついていた。その傷は見間違う事など出来る筈もない。まさかと思いつつ、確信が無かったが……。
「あの子がアンジェリカだったのか……」
これまで自分が接してきた座長では無く、静かなるシンシアの方がアンジェリカ。座長が何故自分がまるでアンジェリカ本人かのように昔話を語っていたのか。その理由はシンシアを見ていれば何となく分かった気がする。
シンシアの心は壊れてしまったのだ。あの戦争で。
ここに来てようやく座長の思惑に気付くオグリュー。シンシアの世話を見ろというのは、自分の罪を目の前で眺めながら思い出せと言いたいのだ、と。
「罪か……」
それは座長なりの優しさだとオグリューは思う。これまで自分の罪を真正面から断罪してくれる存在など居なかった。せめてもの償いにと、時計街を復興させ寝る間も惜しんで働き続けた。だがそれで得たのは断罪とは正反対の物。誰か自分を裁いてくれと無い物ねだりを心のどこかでしてきたオグリュー。
ここに来てようやく来たのだ。自分の番が。
※
真夜中の港町は少し冷えた。人々は寝静まり、聞こえてくるのは波の音だけ。夜の街並みは寂しく、美しい。歩いているだけで心が洗われていくのを感じるオグリュー。
「ここはいい街だな。時計街では夜でも騒がしくてね。時計街なのに、時間に縛られない人間が多すぎる」
冗談のつもりで言ったが、シンシアは無反応。少し寂しいオグリュー。
その時、クイクイっと袖を引っ張りながらシンシアが先導し始めた。何処にいくのかと後をついていくオグリュー。路地裏を通り、橋の下を通り、誰かの家の庭も通る。内心ヒヤヒヤしながら。
「どこまで行くんだ? この先に何が……」
と、狭い家々の隙間から出た途端、オグリューは呼吸すら忘れてしまう光景を目の前にする。
そこは見た事もない大きな建物。そしてその造形から、そこは大聖堂だと察する事が出来た。
街の教会の数十倍もあるような大きな建造物。月夜に照らされる一部の壁にも、びっしりと細かい彫刻がなされているのが分かった。そして堅牢な見張りも壁も無い。それは誰でも平等に迎え入れるという聖堂の意思を表しているかのよう。セオリー通り、聖堂の正門は少しだけ開いていた。
「ここか……大聖堂は。しかし私は立ち入りを禁止されているからな……だがこうしてみる事が出来てよかった。ありがとう、シンシア」
シンシアに対して感謝を述べるオグリュー。そんなオグリューの手を、ガッ! と鷲掴みにし、グイグイ引っ張るシンシア。どうやら中に行くぞ! と言いたいらしい。だがオグリューの足は一歩も動かない。
「すまない、気持ちは嬉しいが……彼らはこの国の人々に感謝されているのだろう? どういう経緯かは気になるが……そこに割って入る気は無いのだ」
自分はアーギス連邦出身でありながら、帝国兵として戦った。勿論、奴隷騎士達も帝国兵の一部だった。だが何故か彼らは大聖堂に墓を作られている。
この大聖堂は見るからにアーギス連邦の中でも貴重な建造物に違いない。そんな場所に眠る奴隷騎士達は、いわば人々から祈られる存在。ここまで足を運んでおいて今更だと言う事はオグリューは分かっている。その墓に自分が祈りを捧げるのは、図々しいと思ってしまった。
片時も忘れるつもりは無かった。しかし確実に自分の中で奴隷騎士達の存在が薄れてきている。思い出そうとすれば思い出す事は出来る。オグリューの中で、奴隷騎士達はその程度の存在になってしまったのだ。勿論、墓など作ってなどいない。
断罪してほしいと願いつつも、忘れたい過去になってしまっている。忘れてはならぬと誓った筈なのに。そんな自分が今更、どの面を下げて彼らの墓に祈る事ができようか。
「すまない……ここに来れただけでも十分なんだ」
先程からグイグイひっぱっているシンシアへと告げるオグリュー。シンシアは小さく頬を膨らませている……ようにも見えるが、変わらず無表情。その顔は、あの頃のアンジェリカを思い出してしまう。
「……帰ろう、アンジェリカ」
オグリューはその手を振りほどいた。
そのまま背を向けると、聞きなれた金属音が聞こえた。それは拳銃の撃鉄を起こす音。
一体どこに隠し持っていたのか。シンシアがオグリューに向けて銃口を向けている。
「……あの時と逆だな」
アンジェリカをクーデターに巻き込まぬようにと、彼女だけ逃がしたあの日。オグリューはその光景を鮮明に思い出す。今後一切、戦争には関わってほしくなかった。その一心で銃口を向けた。生きて欲しいと願いを込めて、少女を前にして引き金に指をかけた。
『お前の戦いは一生続くんだ』
あの言葉の弾丸は、オグリューを撃ち抜こうとしていた。それは、オグリューに生きて欲しいという願いだったのだろう。
だが今のシンシアは、どういうつもりで銃口を向けているのか。大聖堂に入らないのら撃つ。それがシンプルでストレートな理由だ。しかし、こうも考えられる。
『進む気がないなら死ね』
罪を受け入れるつもりが無いなら、目を逸らし続けるのなら。
それでもいいとオグリューは思ってしまう。そういう所が自分の悪い所だと、オグリューは思った。自分には祈る資格はないからと、この場を去るのは、ただの我儘なのだろうと。
恥を受け入れて足を踏み入れろ、そう言われた気がした。
「……わかった。だが正式に許可されてからにしよう。ここで勝手に入って、娘に叱られるのは避けたい」
我ながら情けない、と思うオグリュー。シンシアは分かってくれたのか、拳銃を仕舞った。何処に隠していたのかと思ったが、どうやらスカートの中だったらしい。
「いつもそんな物騒な物を持ち歩いているのか?」
シンシアはスカートの中から、拳銃のほかにもナイフやライフル、無反動砲なども……一体そのスカートの中はどうなっているのかと覗きたくなるオグリュー。しかしそれをやってしまっては色々と終わる。
「帰ろう」
「……分かった」
初めて聞くシンシアの声。
それはまさしく、アンジェリカの物。
自分の罪。それを目の前にして、オグリューは少しおかしな気分になってしまう。
何故自分は今、こうも満たされているのか、と。
これこそが罪だ。もう余計に、奴隷騎士達に合わせる顔が無い。




