第三十三話:とある秦の強過ぎる精兵の話 前編
強過ぎる秦の精兵の少年時代の話である。
この精兵は楚の地の名家の家に生まれた。
しかし、秦が天下統一した際に楚は滅ぼされ、この精兵の親もまた、戦争で亡くなった。
親を亡くした精兵は親戚の叔父に引きとられ、名家の跡を継ぐ立派な人間になれるように教育を施された。
しかし、彼はその教育を拒んだ。
書による教育を施せば「字は自分の名前さえ書いて、読めれば充分」と言い、
剣術を教えれば「目の前の敵を倒せれば充分」と答え、修練を拒んだ。
それでいて、少年ながら大人に負けない力強さと、立派な体格を誇るのだから、叔父は教育に苦心した。
困り果てた叔父は、少年にこう尋ねる。
「羽よ、お前はどういった事ならやる気になれるのだ? やりたい事があるならそれを教えて欲しい! ないなら、書と剣をもっと学ぶのじゃ。それらは大人になってから役にたつものだ」
少年はこう答えた。
「叔父上、俺は、剣や書を学ぶよりも、万の軍を率いて戦に勝つ事を学びたい! そうでなければ死んだ父の敵がとれぬ!」
その言葉を聞いて、項梁は項羽から子供らしからぬ志の高さを感じ、畏怖の念を抱く。
そして、項梁は項羽の望む教育をできるだけ優先し、教育を施した。
しかし、紀元前217年、楚の旧地・会稽で事件が起きた。
始皇帝・嬴政(佐藤誠として転生した彼)は、民衆の暮らしを豊かにするため、富裕層以外の民の租税の軽減をし。教育の普及を進め、農地改革をし、無理な土木工事を中止し、必要な工事は分業、効率化し、民の人気をとる事に成功していた。
しかし、その財源確保のため、富裕層への資産課税と累進課税を強化していた。特に、楚の旧貴族や有力豪族は、土地や財産に応じた重い税を課され、かつての栄華は影を潜め、生活も苦しくなっていた。
項羽は旧楚の名門・項氏の若者として成長し、叔父・項梁に育てられ、巨躯に鋭い目、内に秘めた激情は、十五才ながらにして既に戦士の風格を漂わせていた。
項梁は楚再興の夢を胸に秘め、拠点を下相から会稽に移し、ひっそりと暮らしていた。
しかし、秦の徴税官の横暴には耐えかねていた。
項氏の財産は年々削られ、豪族としての誇りは踏みにじられていたのである。
ある日、会稽の市場はいつにも増して騒がしかった。埃っぽい通りには、魚や野菜を売る露店の匂いと、汗と土の混じった空気が充満していた。
項羽は、項氏の家人とともに市場を歩いていた。背中に担いだ籠には、わずかな買い物の荷物が揺れている。
その時、市場の中心で怒号が上がった。秦の徴税官が、項氏の様々な屋敷から必要以上の穀物と金銭を強引に徴収していたのだ。
この悪徳な徴税官は、脂ぎった顔に傲慢な笑みを浮かべ、必要以上の税の徴収分を返還するよう懇願する項氏の家人を鞭で打ち据えた。
項氏の家人の一人が地面に倒れ、血が砂に滲む。
市場の人々は遠巻きに立ち尽くし、誰も手出しできない雰囲気が漂っていた。
この徴税官は特に悪名高い男だった。富裕層への資産課税を口実に、楚の豪族から過剰な搾取を繰り返し、時には私腹を肥やしていた。
市場の空気は重く、穀物を詰めた袋が地面に叩きつけられる音と、家人の抑えた嗚咽が響いていた。
項羽は、家人の悔し泣きする声を聞き、この秦の徴税官のやりように怒りが爆発した。
「おい、てめえ! 叔父上の財を奪い、家の者を苦しめて笑ってんじゃねえ! 何の正義があって、ここまで酷い取り立てをしやがる!」
項羽の声が市場に響き、野次馬が集まった。悪徳徴税官は嘲笑しながら言い返した。
「楚の落ちぶれが何だ? 秦の法で、旧六国の豪族の財は国のものと決まったのだ! 文句があるなら咸陽にいる始皇帝陛下に泣きつくのだな! これは秦国のためにやっている事だ! 負けた国の豪族等、秦の民以下の存在よ! 下がれ、下がれ、この下郎の野良犬が!」
ここまで滅茶苦茶に思いあがった悪徳徴税官は稀だが、始皇帝(誠)が施した課税方針を実行していくうちに、こういう官吏も生まれ、それが肥大顕在化し、こういったトラブルが乱の元になっていた。
この徴税官がやっている事は完全に違法である。
故に徴税官に対して訴えを起こして、取り締まる事は可能であった。
こういう事態を懸念し、李斯が官吏を縛る法をきちんと制定していたのだが、取り締まる側というのは、増長し、時にこういう悪徳な人間が生まれてしまう。
項氏はこの悪徳徴税官を法の下に引っ張り出せば、違法に徴収された税は返還され、悪徳徴税官は斬首となり得た。
そういうやり方で解決する手段はあったのだが……。
項羽は感情に流され、この悪徳徴税官を殴り殺してしまう。
項羽は徴税官に対して、人間の力とは思えぬ強さで徴税官を殴り倒し、怒りに任せて何度も拳を振り下ろした。
市場の地面に血が広がり、野次馬のざわめきが一瞬静まり返った。
徴税官の顔や身体は原型を留めていない程に損壊され、息絶える事になり、市場は騒然となった。
項羽は血に染まった手を見つめ、初めて人を殺した衝撃に立ち尽くした。
そして、その知らせを聞いた項梁はすぐに駆けつけ、項羽を隠した。
徴税官殺しは大罪である。
悪徳な徴税官とはいえ、その死が公になり、それを項氏の者が行ったと知れ渡れば、国の逆鱗に触れ、項氏への追及が始まるのは明らかだった。
正義は我にありと叫び、悪徳徴税官の罪が明らかになったとしても、それを明らかにする前に、徴税官を殺してしまった項羽の死罪だけは免れぬ事は確かであった。
項梁は項羽を哀れに思った。
項羽がこのまま成長し、秦の治世が乱れ、乱世になれば、楚を復興し、項羽なら天下をとれる器があると見込んでいただけに……。
(こんなくだらぬ悪徳徴税官のために、項羽を諦めるわけにはいかぬ!)
項梁は項羽の短慮を叱りながらも、項羽を守ると決意を固めた。
「羽よ、お前の怒りは項氏の誇りだ。だが、秦の重税と横暴は我々を滅ぼす。楚の名を取り戻すため、戦うしか道はない、時期尚早だが秦に対して乱を起こす! 羽よ! 兵を集めよ!」
項梁は一世一代の賭けに出た。
戦力的にはどう考えても、勝てるとは言えない。
だが、乱を起こし、秦の統治に過ちありと天下に訴える事に成功し、長引かせれば他の旧六国もそれに呼応し、楚の再興が叶うかもしれない、たとえ秦軍に敗れたとしても、項羽の罪が有耶無耶になる可能性はある……。
乱の首謀者として自分が全ての罪を被り、他の項氏達は無関係を通すようにすれば、徴税官殺しの罪を項羽には言及されないかもしれない。
項梁は深く思考する。
(幸い、始皇帝は連座制を無くして下さった。我々のような有力豪族に対しての課税はきつくなったが、今の秦の法はかなり緩くなり、恩赦や特例があると聞く。
ならば、乱の持って行き方によっては、羽を助ける事が出来るかもしれない。)
その一縷の望みにかけて、項梁は会稽にて乱を起こすのであった。
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中編に続く!
バトルに展開に疲れて、項羽の復活話を書いていたら長くなり項羽編のストックが貯まりました。
項羽は書いてて楽しい!
四次試験期待された方申し訳ありません。
項羽編やってからまた続き書きます!




