第二十弍話:匈奴の未来を握る者、冒頓単于 前編
紀元前215年、冬の始まり
咸陽の宮殿は、冬の訪れと共に冷え込んでいた。重厚な石柱が連なる広間には、寒風が窓の隙間から忍び込み、床に敷かれた絨毯の端を微かに揺らしていた。
玉座に座る秦の始皇帝――嬴政こと佐藤誠――は、厚手の黒と金の袍を纏い、竹簡に匈奴の動向を書き記した報告を手にしていた。
窓から差し込む薄い陽光が、袍に縫い込まれた龍の刺繍を淡く照らし、玉座の背に刻まれた龍の彫刻が不思議な影を落とす。
宮殿の空気は静寂に包まれていた。遠くで衛兵の足音が響き、時折、重臣たちの衣擦れの音が微かに聞こえるだけだ。
この日、誠は重臣たち――李斯、蒙毅、陳平、韓信――を広間に集めていた。
壁に掛けられた青銅の燭台には火が灯され、オレンジ色の光が石壁に揺らめき、重臣たちの顔をぼんやりと照らしていた。
誠は竹簡を机に置き、ゆっくりと立ち上がった。
袍の裾が床を擦り、重い足音が広間に響く。彼は威厳ある声で、宮殿全体に届くよう告げた。
「匈奴の動きが活発化しておる。燕と趙の北辺で略奪が頻発し、蒙恬の報告では匈奴の部族がまとまりつつある兆しがあるという。朕はこれを看過できぬ。朕は目的があり蒙恬にできるだけ専守防衛に務めさせていたが、少し方針を転換する必要がでてきた」
韓信が一歩進み出て、質素だが仕立ての良い袍の裾を微かに揺らしながら進言した。
「陛下、北辺の匈奴は確かに動きを増してございます。蒙恬将軍の守備は堅固ですが、略奪を繰り返す小部族を叩くだけでは根本的な解決にはなりませぬ。遠征を命じ、オルドス高原から北へ追い払い、根絶するべきかと存じます。冬の寒さで遠征するのは愚かなことゆえ、春迄は今迄通り専守防衛でよろしいかと」
誠は首を振って応じた。袍の袖を軽く振るい、竹簡を置き、確信めいた口調で言う。
「いや、韓信。討伐目的の遠征はせぬ。仮に蒙恬にこのまま万里の長城を完成させて、蒙恬に遠征を命じて匈奴を北へ追い払ったとしても、やがて時がくれば匈奴は北で力をつけて中華の脅威となる」
史実で蒙恬将軍は匈奴を北の果てまで追い払ったが、秦が滅び、漢の時代に中華全体の力が落ちた時期を見計らって匈奴の軍勢は中華を大きく荒らす結果となる。
誠はこの結果を知っているだけに、そうならないように青写真を頭に描いていた。
「朕は匈奴を叩くよりも懐柔し、味方に引き込む方向性で行く! 将来的に匈奴をまとめるであろう冒頓単于こいつを早めに見つけ出し、秦の傘下に置けば、匈奴部族をまとめて従え、中華を超えて、モンゴル地方を勢力圏にすることが現実になる」
誠は秦をさらなる覇権国家へと導く気満々だった。
李斯が眉をひそめ、強めに進言する、
「陛下、冒頓単于と申す人物は聞いたこともありません! 今の匈奴は散り散りの部族に過ぎず、まとまる兆しも明確ではございません。匈奴を味方に引き込むにも奴等は一枚岩ではありません。 匈奴は略奪しか知らぬ蛮族、統治に組み込むは困難かと存じます」
誠は微かに笑みを浮かべ、確信的に自信満々に李斯に説明する。
誠は冒頓単于の未来を知っている。
「李斯、匈奴は確かに今は散り散りだ。だが、冒頓単于は将来的に匈奴全体をまとめ、数十万の騎馬軍を率いる事になる。しかし、あやつはまだ若輩者だ、この時期に動けば容易く捕らえる事も不可能ではない! できれば朕はあやつを今の段階で見つけ出し、捕らえ、説得して秦に仕えさせ、匈奴を手中に収めるつもりだ。そしてモンゴル高原を制し、更に秦は世界に冠たる覇権国家となる! それが朕の覇道である!」
陳平がニヤリと笑い、軽い口調で口を挟んだ。
「陛下お得意の真人の知恵と感というやつですね! それで、あっしも、韓元帥も見つけ出して、厚遇するってんだから。陛下が冒頓単于って若造がそんな大物になるって言うなら、確定的にそうなんでやんしょ! ならそいつを捕らえるのは理に叶いやす。懐柔できなくても、そいつを抑える事ができりゃ匈奴の脅威は今より確実に弱まる! どちらに転んでもうまい一手でやんすな」
誠は内心、陳平の理解力にビビった。
(こいつ、俺が未来を確実に見えてると確信してやがる! 話が早くて助かるがこの理解力は脅威だ……。)
誠は陳平に平静を装い言葉をかける。
「陳平、だが、捕まえるのは容易くないぞ。冒頓単于は単なる荒くれ者ではない。かなりの武芸の達人でな。それになにより、まずは居場所を特定せねばならぬ。朕の真人の知恵を持ってしても特定できぬ!」
この時期の冒頓単于はまだ、青二才もいいとこであり、正確な居場所はわからない。何故なら未来のどんな文献にもその情報がないからだ……。
中華の歴史に死ぬ程詳しい、誰が何処にいて、今の時期は何をしているかかなり正確に覚えている誠の記憶にも冒頓単于の場所は特定ができる手掛かりは無かった。
蒙毅が腕を組み、考えを口にした。
「陛下、匈奴の動きを追うなら、蒙恬将軍に命じて北辺の斥候を増やせば良いでしょう、冒頓単于の居場所を突き止められる可能性があがるでしょう。燕と趙の北辺に兵を動かし、捕縛するなら私めが兵を率いて直々に捉えて参りましょう。匈奴の騎馬は速いですが、冬の雪で動きが鈍っておる今なら、捕らえる事は容易い」
誠は頷き、玉座から一歩踏み出した。袍の裾が床を擦り、威厳ある足音が響く。
「良し、蒙毅。匈奴の動きを追え。冒頓単于を捕らえるのだ。韓信、お前も同行せよ。朕自らも北辺へ向かう。陳平、李斯は咸陽を守れ。冒頓は朕が直々に説得する。この冬が勝負だ」
韓信は進言する。
「陛下、冬の行軍は危険を伴います、春になってからでは駄目なのでしょうか?」
誠は竹簡を韓信に見せて答える
「蒙恬から頭曼単于の部族の者を見つけ出したと報告が来たのだ。朕はこの報告をずっと待っていた。頭曼の部族に冒頓もいる可能性は高い! 故に今捕らえに行くしかないのだ。今の機会を逃すわけにはいかぬ!」
韓信にはリスクのわりにリターンが少ない気もしたが。信奉する陛下がここ迄言うのだから、それなりに勝算があるのだろうと納得してこれ以上何も言わずに従うことにした。
その後、誠の号令で重臣たちが一斉に頭を下げ、誠の命令に従い動きだす。
こうして始皇帝の北辺への旅路の準備が始まる事になり歴史がまた史実と違う方向に動いた。
そして、それは過酷となる、始皇帝の冬の遠征の始まりでもあった。
冒頓単于の引き入れに成功したら夢広がるなーと。
誠は夢見てそうです。
という事で、まだまだ続きます!




