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第十八話:項羽と項梁の処遇を巡る決断

 紀元前221年、秦の始皇帝、嬴政――佐藤誠として転生した彼――が天下を統一してから数年が経過していた。


 咸陽の宮殿では、誠の改革が実を結び、民の暮らしは豊かになり、秦の統治は史実の暴政とは異なる安定と繁栄を築き上げていた。


 水銀の排除、食事改革、租税の軽減、刑罰の緩和、教育の普及――これらの政策が民衆に支持され、秦は佐藤誠の知る史実とは違う、豊かで新たな時代を歩んでいた。



 しかし、誠の心には未解決の課題が重くのしかかり憂いが絶えない日常でもあった。


 張良の暗殺と范増の自決が秦に深い影響を残し、彼の統治理念に葛藤をもたらしていた。


(この時代に生きる悪臣を始末して、俺の史実で知る賢人や勇猛な武将を見つけて臣下に組み入れて行けば秦は安泰だと安易に考えていたが……。そうすんなり行くものでもないなと最近は常々実感する。彼らにも立場があり、様々な思いがあり、生きている人間なのだ。条件やタイミングが違えばいくらでも違う歴史が生まれる。その事を俺はきちんと意識しなければならない。しかし、ここ迄歴史が変わってくると本当に正しい一手がわからないのが俺の正直な本音だ……。さて、どうすべきか?)



 そして今、誠の頭を悩ませていたのは、楚の旧地で反乱を起こし、鎮圧されて咸陽の牢に収容されている項羽と項梁の処遇だった。



 項羽と項梁は、楚の旧地で反乱を企て、秦の韓信率いる軍勢に鎮圧された後、咸陽の牢に収容されていた。


 反乱は誠の統治が安定しつつある中で起きた異変であり、その動機は史実とは異なる。


 史実では秦の暴政が彼らを反乱に駆り立て、大義名分もそろっていたが、今の秦は民を豊かにする政策を進め、楚の民もその恩恵を少なからず受けていた。


 それにもかかわらず、彼らは剣を抜き、秦に挑んだのだ。


 牢の中、項羽は巨躯を鎖で縛られ、鉄格子に凭れていた。鋭い目には怒りと屈辱が宿り、時折低く唸る声が響いた。


 彼の筋骨隆々とした体は、戦士としての誇りを失わず、鎖を軋ませるほどの力を秘めていた。


 一方、項梁は隣の牢で静かに座り、白髪交じりの頭を垂れていたが、その瞳には冷徹な知性が光っていた。


 反乱の際に他の項一族の者も多くも捕縛され、楚の地は秦の厳重な監視下に置かれていた。


 誠は史実を知る転生者として、彼らの存在に複雑な思いを抱いていた。


 史実の項羽は「西楚の覇王」として秦を滅ぼし、項梁はその知恵で反乱を導いた。


 しかし、今の秦は暴政を敷いておらず、彼らの反乱は秦の失政によるものではない。勿論ながら何らかの秦の政策の落ち度が招いた結果なのかもしれないが。


 ならば、なぜ彼らは反乱を起こしたのか?


  誠はその理由を突き止め、彼らをどう処遇すべきか決断する必要があった。



 ある夜、誠は宮殿の書庫で竹簡に項羽と項梁の名を書き出し、考え込んでいた。


(項羽と項梁が反乱を起こした。史実では秦の暴政が動機だったが、今の秦は民を豊かにし、楚の民も粗略に扱ってはいない。それなのに、なぜ剣を抜いた? 反乱を起こす必要があるか? 楚への忠義か、個人的な野心か? 処罰すれば反秦勢力を刺激するが、放置すれば再び反乱の火種になる。臣下に引き入れる道はあるのか? 今の秦に彼らは本当に必要なのか?)



 誠は史実の項羽を思い出した。

 巨躯で力強く、戦場で無双を誇る一方、短気で衝動的、情に厚くも優柔不断な一面を持つ男。


 項梁は項羽の育ての親で、その知恵で項羽を補佐し、戦略を練り、反秦勢力を作り楚を再興した人間だ。


 今の秦は史実とは異なる道を歩んでいる。

 暴政で民を苦しめる真似はしていない、故に、彼らの反乱は史実とは異なる動機によるものである。


 誠は彼らの真意を知るため、直接対話することを決めた。



 翌日、誠は韓信を伴い、牢の項羽と項梁を訪ねた。


 格子越しに二人が現れると、誠は穏やかだが力強い声で語りかけた。


「項梁、項羽、そなたらが反乱を起こした理由を朕は知りたい。秦は民を豊かにし、暴政とは無縁だ。楚の民も暮らしに満足していると聞く。それでも剣を抜いたのはなぜか? 本心を聞かせてくれ」


 項梁がまず立ち上がり、冷徹な声で答えた。


「陛下、秦の統治が民を豊かにしていることは認めます。租税の軽減や教育の普及は、楚の民にも恩恵をもたらした。だが、私が反乱を起こしたのは、秦が楚を滅ぼした事実が消えぬからです。陛下の政策がどれほど良くとも、私は楚の名門として、楚から禄をもらって楚に仕えていたのです。その私が時勢に流され、祖先の誇り失い秦におもねるのは楚に対する裏切りに値するのです。


 私は民のためではなく、一族の名誉と楚の再興を願って剣を抜きました。陛下がどれほど仁政を敷こうと、私の心は楚にあり、秦に屈することはできぬ事です」



 項羽が鉄格子に近づき、低く唸るような声で続けた。


「陛下、俺は戦うために生まれた男だ。秦が民を幸せにしてようが、そんなことは知らねえ。俺が反乱を起こしたのは、楚が秦に膝を屈したままじゃ我慢ならねえからだ。俺の血は戦を求め、俺の誇りは鎖に縛られることを許さねえ。陛下が俺を認め、俺の力を試したいなら戦場で使え。だが、俺は誰かの下で飼い慣らされる犬にはならねえ。秦が俺を縛るなら、俺は死ぬまで抗う。それが俺の生き方だ」



 誠は二人の言葉を聞き、心の中で分析した。


(項梁は楚の名誉と過去への執着、項羽は戦士としての誇りと自由への渇望が反乱の理由か。史実の暴政がなくても、彼らは個人的な動機で動いた。秦の統治が民のためでも、彼らの心は過去と一族に縛られ、俺への忠誠はない)



(項羽の声には野獣のような荒々しさと、深い情念が混じっていた。彼は単なる武人でなく、己の存在を戦で証明しようとする男だ。若い戦士にありがちな傲慢さと勘違いが、彼の粗暴さをより強調しているようにも見える)



 誠は彼の瞳に、屈服を拒む不屈の意志と、内に秘めた激情を見た。



 その後、誠は重臣たちを広間に召集し、項羽と項梁の処遇を議論した。韓信、李斯、蒙毅が、その他の表立った臣下が玉座前に控え、誠が口を開いた。


「諸卿、項羽と項梁が反乱を起こした理由を朕は直接聞いた。項梁は楚の名誉と過去への執着、項羽は戦士としての誇りと自由のためだ。秦の統治が民を豊かにしても、彼らの心は変わらぬ。臣下に引き入れるか、処罰するか、どうすべきか各々忌憚のない意見を聞きたい」


 韓信がまず進み出て、力強く答えた。


「陛下、私の助言はこうです。項氏が信用できるなら信じて用いる、信用できないなら最初から用いるべきではありません。項梁は知恵に優れますが、楚への忠義が深く、反乱の理由が過去への執着なら、秦に心から仕えることはないでしょう。項羽は武勇が抜群ですが、その誇りと激情は統制が難しく、再び反乱を起こす火種です。彼らが剣を抜いたのは、秦への忠誠がない証拠。臣下に引き入れるなら、厳しい監視と法で縛る必要がありますが、臣下としては彼らを信用できぬと考えます。処罰か、永久に牢に留めるべきです」



 李斯が瘦せた体を進めて、冷静に続けた。


「陛下、韓信の言う通り、彼らの信用は薄い。項梁の知恵は地方統治に活かせますが、楚への執着が消えぬ限り危険です。項羽の武勇は戦場で有用ですが、その激情と誇りが制御できぬなら、秦の敵となる。彼ら旧楚のためなら命をかけるかもしれませぬが秦の支配下にある今の楚の地にあっては不穏分子に過ぎません。今の秦に彼らが必要とはとても思えませぬ。法に基づき、反乱の罪で処罰するのが妥当かと」



 蒙毅が穏やかに補足した。

「陛下、項羽と項梁が反乱を起こした事実は重い。今の秦は安定しており、彼らの才能がなくとも韓信や蒙恬で十分です。その他にも秦には頼れる将はキラ星の如くおりまする! 彼らが反乱を起こした以上、彼らの心は秦に馴染まぬ者達とみるべきです。処罰か、監禁を続けるべきかと存じます」



 誠は三人の意見を聞き、心の中で呟いた。


(韓信の信用の基準、李斯の法の視点、蒙毅も彼らを用いる事は望まないようだな。本当に項羽と項梁は今の秦に必要ないのか? 史実の彼らは秦の暴政があってこその英雄になり得たのかもしれない。乱世には必要な才なのかもしれないが、治世にあっては世の乱れる要因でしかないのかもしれない……。仕える気のない、扱えない人間を懐に入れようとする行為は、毒を飲んでる行為に等しいのではないか? どうすべきか……。)



 しかし、誠にとって項羽という存在は史実の中華の歴史に輝き並ぶスーパースターなのである。現在の秦の統治に不必要な存在とはいえど、どうにか臣下に引き入れたい……。そういう歴史オタク気質な気持ちが後ろ髪をひっぱるのである。



 誠は項羽と項梁の真意を確かめるため、最後の対話を試みた。



「項梁、項羽、そなたらを臣下に引き入れる道を考えた。だが、何時までも楚への忠義と誇りに縛られたままでは、臣下に迎えるわけにもいかぬ。祖国を思う気持ちはわかるが、その思いを胸にしまい、秦に心から忠節を誓い、仕える気にならぬか? 朕に忠誠を誓えるか?」


 項梁が静かに答えた。


「陛下、秦の統治が楚の民を粗略に扱わないその政治に感謝と尊敬を申し上げますが、私はやはり楚の臣なのです、楚の名誉を捨て、秦に心から仕えることはできぬ事です。だが、一族の反乱に関係の無い者には塁が及ばぬようにお願い申し上げまする。勝敗は兵家の常であり、負けた将の私は、このまま牢に留まるか死を賜るのが相応しいのです。恐れ多くも陛下に直接声をかけていただいた事を切に感謝申し上げます」


(項梁は思ったより、人格者だな……。惜しい人材だがやむ得ないか……。)



 項羽が格子を握り、低く吼えた。

「陛下、俺は戦う男だ。秦に仕えるなら、俺を戦場で自由に戦わせてくれ。だが、鎖に縛られ、誰かの下で膝を屈するのは嫌だ。忠誠を誓えと言われても、俺の魂は楚にしか向かねえ。陛下が俺を信じるなら使え。信じねえなら殺せ。それでいい」



 誠はその言葉に深いため息をついた。


(項梁に比べて、項羽という若者はどうにも自分の今の立場が分かっていない。どうしてこんな粗野な人間が英雄になれたのだろうか? この時代は腕っぷしが強くて、威勢の良い暴力馬鹿が実は成功しやすいのか? それとも、項羽は戦場にいればこそ輝くという人材なのだろうか? 少なくとも今の項羽を見て俺は信用できそうにない。それが曇りない俺の本音だ)



 それでも、項羽、項梁の処遇を誠は数日間考え抜き、やっとの思いで最終的な決断を下した。



 広間に重臣たちを召集し、裁決を告げた。



「項梁と項羽の処遇を決めた。彼らは反乱を起こし、その理由が楚への忠義と誇りにある以上、秦に心から仕えることはない。韓信の助言通り、信用できぬ者を臣下に用いるべきではない。だが、殺せば反秦勢力を刺激し、楚の民に不信感を与える。よって、項梁と項羽を永久に監禁する。しかし、反乱に加わっていない項一族に関しては塁が及ばぬようにし、今迄通り旧楚の地で暮らす事を許可する。しかし、旧楚の地に監視はつけさせてもらう。これが朕の決定だ」



 韓信が頷き、李斯が法の観点から補足した。


「陛下、賢明なご判断です。監禁と監視で彼らの動きを封じつつ、処刑による波紋を避ける。法に基づけば、反乱の罪は死罪に相当しますが。即座に処刑は楚の地の影響を考慮しての配慮としては妥当かもしれません」



 蒙毅が穏やかに同意した。

「陛下、秦の安定を守る最善の道です。彼らの才能は惜しいが、今の秦に必要ない。無理に臣下に引き入れる事もないでしょう。生きていればこそ、そのうち心も考えも変わる事もあるやもしれません」



 項羽と項梁は咸陽の牢に永久に収容され、反乱に与しなかった他の項一族は楚の地で秦の監視下に置かれた。


 項羽は鎖の中で吼えたが、戦場を与えられぬ現実を受け入れざるを得なかった。


 項梁は静かに牢で過ごし、時より項羽を諭し、楚再興の夢を胸に秘めたまま静かに過ごした。




 誠は玉座に座り、心の中で呟いた。


(項羽と項梁を臣下に引き入れる道を俺は見出せなかった。彼らは史実の秦の暴政がなくても反乱を起こした。結局は秦の統治に馴染まぬ者達なのだ。だが、殺さず監禁することで、反秦勢力を刺激せず済んだ。今の秦に彼らは必要ない。韓信の言う通り、信用できぬ者は最初から用いるべきではない。それが俺の知るどんな史実のスーパースターだとしてもだ……。)




 その後、秦の統治はさらに安定し、項羽と項梁の反乱は過去の出来事として民衆の記憶から薄れていった。



 誠は史実とは異なる未来を切り開きつつ、韓信や李斯、蒙毅と共に新たな時代を築くため今日も懸命に生きている。




項羽……。

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これまた良いifだった 章末に相応しい 次章が楽しみ
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