閑話:誠の回想録――水銀の呪縛と医食同源に基づく食事改革
紀元前218年の冬が終わりを迎えた頃、俺は咸陽の宮殿で玉座に座り、これまでの日々を振り返っていた。
これは現代知識を持つ佐藤誠が秦の始皇帝に転生し、史実の始皇帝が水銀に蝕まれ早逝した悲惨な運命を回避するため、秦の食事事情を根こそぎ変えた話の一部である。
水銀の呪縛を断つことが、秦の始皇帝の食事事情改善の始まりだった……。
秦の始皇帝に転生してすぐのことだ。俺の食事に出された陶器の杯には、銀色に光る水銀が揺れていた。何でも奏国お抱えの道士が用意したものらしい。
杯からかすかに金属的な臭いが漂い、「身体に良い非常に希少な仙薬でございます」と道士が言うのを聞いて、俺は内心で戦慄した。
これは水銀、Hg、毒だ!
水銀は人体に有毒である。神経を蝕み、肝臓と腎臓を破壊する。史実の始皇帝はこれのせいで寿命を縮めた。秦の始皇帝の墓から水銀が検出され、『丹薬を愛した』と記録に残っている。水銀中毒になれば震えや錯乱を引き起こし、早死にに直結する。俺はそんな運命は当然ながら御免だ。
だが、問題は水銀が宮廷に深く根付いていることだ。道士たちはこれを「神聖な薬」と信じ、臣下の一部まで影響されている。いきなり禁じても反発が来るし、隠れて使い続ける危険もある。俺は一瞬考え、策を閃いた。
(荒療治が必要だ。しかも、皆を納得させる形で叩き潰す必要がある!)
俺は覚悟を決めて道士に言った。
「貴公、目の前でこの杯のものを飲んでみよ。朕にその効果を見せてみよ!」
道士は一瞬目を丸くし、杯を見つめた。すると、わずかに手を震わせながら、
「これは……。仙薬ゆえ、陛下のために調えましたもの。拙者が飲むにはあまりにも尊すぎます」
と口ごもった。
俺は内心で冷笑した。信じているなら飲めばいい。だが、こいつ、どこかで水銀の危険性を薄々感じているのか? それとも、俺を試しているだけか?
俺は冷たく笑い、事前に用意させた鶏を連れてこさせた。
「ならば、これで試そう」
俺は水銀を含んだ水を鶏の餌に混ぜて与えた。
数刻後、鶏は動きが鈍くなり、羽を震わせてうずくまった。
即死はしなかったが、明らかに異常だ。殿内がざわつき始めたところで、俺はさらに畳みかけた。
「もう一羽試す。こちらには仙薬を入れず、ただの水と餌を与え、様子を見よ」
二羽目の鶏にはただの水と餌を与え、しばらく観察した。
水銀を与えた一羽目は衰弱が進み、二羽目は変わらず元気に動き回る。
その対比は誰の目にも明らかだった。
俺は立ち上がり、
「これが良薬か? あきらかな毒ではないか! 朕は今後、水銀を一切禁じる!」
そう宣言した。
道士は顔を青ざめさせ、臣下たちは息を呑んだ。水銀の急性中毒は即死ほど劇的ではないが、確実に体を蝕む。あの実演は、俺の主張を裏付けるに十分だった。
だが、禁じるだけでは足りない。これを機会に人心を掌握し、新しい道を示さねばならない。
俺は続けた。
「この毒に頼らずとも、朕は健康を保つ術を知っている」
高麗人参と生姜の薬膳スープを命じて作らせ、俺が一口飲んで見せた。
「これで体が蘇る。見た目の派手さはないが、理にかなった滋養だ」
李斯が隣で「確かに効きそうだ」と呟き、臣下たちの表情が緩んだ。道士は黙り込み、反論する気力も失ったようだった。
俺に水銀を処方してきた道士は、当然ながら死罪となってしまったのは言うまでもない……。
あの鶏の実演が、俺の食事改革の第一歩だった。
水銀の呪縛を断ち、宮廷に新しい風を、新しい食事文化を吹き込んだ瞬間でもある。
こうして難無く水銀を断ち切った俺なのだか……。
勿論ながらこれで満足するはずもない!
水銀の呪縛を断ち切った後、俺は秦の宮廷における食事そのものを、秦の食事事情を抜本的に見直すことにした。
史実の始皇帝が早逝した原因は水銀中毒だけではない。過労、ストレス、そして栄養バランスの欠如もまた、彼の寿命を縮めた要因だったはずだ。
俺は同じ轍を踏まんぞ!
現代知識を持つ俺にとって、食事は単なる腹を満たす行為ではなく、健康を維持し、長寿を支える命の基盤である。
医食同源――食と健康は一体であるという考えを軸に、俺は宮廷の食事を根本から改革した。
食事改革の基本方針を示す。
まず、俺が重視したのは栄養バランスだ。現代の栄養学に基づき、炭水化物、タンパク質、脂質、ビタミン、ミネラルを適切に摂取する食事を設計した。
秦の時代、貴族の食事は肉や穀物に偏りがちで、野菜や果物の摂取がどう考えても不足していた。
これではビタミンC欠乏による壊血病や、カルシウム不足による骨の脆弱化が起こり得る。
俺はそれを避けるため、多様な食材を取り入れることを命じた。
次に、食材の安全性だ。水銀の一件で毒の危険性を痛感した俺は、食材の産地や調理過程を厳しく管理させた。
現代の食品安全基準を参考に、肉は十分に加熱し、生水は煮沸するよう指示。寄生虫や細菌による食中毒を防ぐためだ。
そして、腸内環境の改善も忘れてはならない!
胃腸は第二の脳とも言われる大事な場所だからな。腸内を活性化させる食事は譲れない拘りが俺にはある!
現代科学で注目される腸内フローラの重要性を知る俺は、発酵食品を積極的に取り入れた。
秦の時代にも、すでに乳酸発酵による漬物や、穀物発酵による酒が存在していたので、俺はこれをさらに推奨し、納豆のような豆の発酵食品も試作させた。
腸内細菌叢が免疫系や精神状態に影響を与えることは現代知識ではあるが……。
この時代でも再現して活用しない手はないだろう。
かなり思考錯誤しながら俺の世話係や食事係に色々と徹底させてなかなか納得の行く食事内容が実現できた。
国の最高権力者というのはこういう時にかなり無茶が効くなーと俺は実感しまくりだった。
そして、俺の毎日の食事は、以下のように構成された。
主食:雑穀と全粒穀物を採用した。
白米ではなく、粟、黍、大麦を混ぜた雑穀飯を採用。現代の研究で、精製された白米よりも全粒穀物の方が食物繊維やビタミンB群が豊富で、血糖値の急上昇を防ぐことが分かっている。
食物繊維は腸内環境を整え、便秘を防ぐ効果もある。
タンパク質:魚と豆類を中心にとることに。
肉は鶏や豚や羊に頼りがちだった宮廷の習慣を改め、川魚や海魚を積極的に取り入れた。
オメガ3脂肪酸が豊富な魚は、心血管系の健康を保ち、炎症を抑える効果がある。
加えて、大豆や小豆を使った料理を増やした。大豆イソフラボンはホルモンバランスを整え、タンパク質供給源としても優秀だ。現代のヴィーガン食を参考に、肉の過食を控えつつ筋肉を維持する方法を模索した。
野菜と果物:ビタミン・ミネラル摂取も忘れずに!
キャベツに似た葉菜類、根菜類(大根や人参)、そして季節の果物(リンゴや柿)を毎食に取り入れた。ビタミンCで免疫を強化し、ビタミンAで視力と皮膚を保ち、カリウムで血圧を調整する。
秦の時代に乏しかった緑黄色野菜の生産を増やすことで、全体の栄養価を底上げした。
更には発酵食品にかなり力を入れた!
塩漬けの発酵野菜や、豆を発酵させた調味料(後の味噌の原型)を開発させた。これにより、プロバイオティクスを摂取し、消化吸収を助けつつ免疫力を高める。
現代のヨーグルトやキムチのような効果を狙ったのだ。
薬膳スープも作り上げてもらった。
高麗人参、生姜、枸杞(クコの実)を入れたスープを毎朝飲んだ。
人参のジンセノサイドは疲労回復と免疫強化に効果があり、生姜は血行を促進して冷えを防ぐ。クコの実は抗酸化作用で老化を遅らせる。これを現代のサプリメント感覚で取り入れた。
調理法にもかなりこだわった。
油を多用した揚げ物は控え、蒸し料理や煮込みを増やした。こうすることで脂質の過剰摂取を避けつつ、食材の栄養素を保持できる。
塩分も控えめにし、現代の高血圧予防策を先取りした。香辛料として山椒や桂皮を用い、風味を補いつつ代謝を高める効果も期待した。
この食事大改革の効果は絶大だった!
この食事大改革の結果、俺の体調は目に見えて改善した。疲れにくくなり、頭が冴え、肌の調子も良くなった。
秦の始皇帝は史実では49歳で死んでしまうが、俺は80歳くらい余裕でいけるんじゃないだろうか……。
そして何よりも、臣下たちも俺の食事を真似るようになり、宮廷全体の健康レベルが向上したのは言うまでもない。
李斯は「陛下の食事は理にかなっている」と感嘆し、医官たちも伝統的な薬より効果的だと認めざるを得なかった。
俺はこれを機に、「食は命なり」と宣言し、民にも簡易な形でこの知識を広める計画を立てる事になるのだがそれはまた別の話である。
秦の始皇帝といえば水銀中毒だよなーということを今更思い出して物語を紡いでみたらこうなりました……。




