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転移したらAランク冒険者でした※ただし最低ランク  作者: 盈月
第四章 忘却とは前進、記憶とは停滞
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Ep.78 たとえ無実であったとしても③

「ここは……!この日は!!」


 アパートの一室。私は動揺しながら、地べたに倒れ込むように眠る過去の私を見るなり辺りを見回した。布団が散らばり無人になったベッドには、窓から射す光が当たっている。園まではどれだけ急いでも20分はかかるため朝の5時半には起きなければならないのだが……太陽の角度は高く、その時間はとうに過ぎ去っていた。


「起きて!起きなさいよ!!」


 私は過去の私の身体を掴んで揺さぶろうとした。しかしそれは叶うことはなく、私の腕は虚しく過去の私の身体をすり抜けていった。


「なっ……いや、走馬灯だからか……。いや、そうじゃない!!関係ない!!起きなさいよ、私!!」


 突如、部屋に投げられたスマートフォンがけたたましく鳴り始める。私はその聞き覚えのある着信音に反応し、画面を見る。そして私は、絶望のあまり声を漏らした。


「あ……あぁ……」


 画面に映っていたのは、これも今までよく見知っていた番号――すなわち、保育所の電話番号であった。しかし私の目が引き寄せられたのはその右上である。現在時刻、8:47。遅刻が確定した日の職場からの電話に、私は戦慄のあまり絶句していた。そして漸く、遅刻当事者である過去の私が意識を取り戻した。


「む……あれ、私、こんなとこで寝てた……って、え?」


 スマートフォンを手に取った過去の私の顔が、分かりやすく青ざめていく……いや、さっきまで私も同じ顔をしていたのだから仕方のないことだろう。完全に目の覚めた過去の私が恐る恐る通話ボタンを押す。深い呼吸をしながらそっと耳にスマートフォンを送り、ゴクリと一度息をのみ第一声を必死に選ぶ。しかしそれも虚しく、電話口から届いた声が私の脳内に響いた。


「直ちに来なさい。」

「はい。すみませ……」

「貴女のせいで皆が迷惑を被っております。謝罪は二の次です。貴女が真っ先にやるべき事は何か、分からないはずがないでしょう?」

「はい……えと……」

「これ以上の問答は無用です。今この時間にも、他の保育士の負担が増えているということを自覚してください。」

「あ……う……」


 電話口の壮年の男の声はそれだけ言うと、電話を切った。何も言うことができなかった悔しさと、自分が今迷惑をかけているという罪悪感が重くのしかかる。そこに、


「私の負担は、誰が考えてくれているわけ?」


 と、夜遅くまでひとりで働かされて蔑ろにされている怒りが混ざり、感情が汚く黒く濁って溜まっていく。それらが自分の心臓をガリガリと引っ掻き削っていく感覚を押し殺しながら、過去の私は服を着替え始める。目から零れ落ちた一滴の涙はその勢いで宙に舞い、過去の私に気付かれることなく消えた。



 身だしなみを整えて家を飛び出し、園に着く頃には9時半前になっていた。園庭で遊ぶ子供たちの声を聞きながら自転車を正面玄関近くの駐輪場に停め、園に入ろうとしたときだった。


「イヤねぇ。最近の子ったら、仕事をなんだと思っているのかしら?」


 嫌味ったらしいその声に眉を顰めながら顔を上げると、予想通り伊佐崎がそこに立ちながら顎を突き出したような姿勢で私を見下していた。


「一人は遅刻。一人は……なんだっけ?代行?かなんかで辞めるって。私らの時代じゃありえなかったわよ。」

「は……え?今なんて……」

「だからァ、柾木は退職代行使って辞めたんだよ。アンタに叱られるのがストレスだったんだと。」

「わ、私のせい……?」

「全く、いいご身分よねぇ。他人にかかる迷惑も考えないで勝ァーッ手にほっぽり出して辞めちゃうんだからサ。おかげで今日忙しくて忙しくて。まーあ?誰かさんが遅刻なんてしてなければ、もっと楽だったんだろうけどォ??」


 伊佐崎は顔を近付けながらそう言ったが、過去の私は聞く耳を持たず青ざめ俯いていた。伊佐崎はつまらなさそうに舌打ちをし、苛立ちを隠すことなく吐き捨てた。


「ガキ共の声のせいで頭が痛いわァ……全く。ワンオペするなんて聞いてなかったし、今日早退しようかしら。」

「……」

「あ?何?文句あんのかしら?」


 過去の私は思わず伊佐崎を睨みつけていた。柾木さんのことは気になりつつも、子供たちを人として扱っていないような伊佐崎の発言は看過することはできなかった。故に私は


「もしかして、"貴女、子供たちのことをなんだと思っているの?"とでも言う気かしら?遅刻してきた貴女が?笑わせないでちょうだい!」


 まさに伊佐崎が言ったその文を一字一句違わず問いただそうとしながら、それを飲み込んでいた。私は震える拳を握りしめ、笑っている伊佐崎を無視してその隣を早歩きで通り抜ける。私が靴を脱ぎ靴箱へとしまおうとした瞬間、一頻り笑い終えた伊佐崎がこちらを見ながら言葉を続けた。


「だいたいねぇ、ガキ共なんて金ヅルでしかないのよ。アイツらの親共が迷惑料払ってここに置いて、私らはここに来るだけで金が貰えるっていうシステムなわけ。この国の資本主義ののたまう通りなら金払ってる親共が奴隷で、貢がれてる私らの方が偉いの。アンタもどうせ、同じことを思っているんでしょ?じゃなきゃこんな職場、続けるわけないじゃない。」

「もういいです。私、貴女とはもう話すつもりもありません。」


 過去の私は伊佐崎に背中を向けたまま、声を張って言う。そして2階の園長室に向かうべく、私は奥に見える階段の方へと進んだ。

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