Ep.77 たとえ無実であったとしても②
レーナとライカを見送った過去の私は、そのまま園の方へと戻っていく。私はそれを追いかけることなく去っていく二人を上空から見下ろしていた。
「……」
この後のことは鮮明に覚えている。ライカはこの園に入り、私たちが担当するクラスの一員となる。そしてそれから……彼女は死ぬ。
「今更、私の罪を論うつもりかしら。そんなの無くたって、忘れたことなんてないのに。」
私がそうボソリと呟くと、周囲の空間が渦を巻くように変化する。驚きのあまり周りを見回しているうちに新たな景色の構築は終わり、私はいつの間にやら園の内部の部屋に立っていた。窓の外は暗く子供たちが皆帰った後の部屋で、過去の私は一人で掃除をしていた。
「何をしているんですか?アイバラ先生。」
廊下から私を呼ぶ声がする。その声に応じて振り返った過去の私は声の主――40代くらいの女の保育士を見るなりぎこちない苦笑いを浮かべる。
「い、伊佐崎先生。何って、部屋の掃除ですよ。」
「困っちゃうのよね……やる気アピールが必死な若い子が、そうやって残業とかしてるの。」
伊佐崎はやれやれと呆れ顔をしながらそう言い、わざとらしくため息をつく。過去の私は思わず掃除の手を止め反論した。
「やる気アピールって、そんな……掃除は必要な業務じゃありませんか!子供たちを預かる人間の責務として衛生的な配慮は考えて然るべきでしょう!やりすぎなんてことはないですよ!」
「わかってないわねぇ。今話してんのはガキ共のことなんかじゃないの。」
「は……?」
伊佐崎の子供たちを見下すような物言いに、過去の私は思わず動揺を隠せなかった。伊佐崎はまるで悪びれる様子もなく話を続ける。
「そんなことよりも、アンタたちがまだ働いているせいで同じ担任である私が帰りにくい空気になっていることの方が嫌なの。だからそんなやる気アピールなんてしてないで、とっとと私を帰らせてちょうだい。」
(何言ってるのよ……どうせ残っていたって、何もやる気はないくせに。)
伊佐崎の言葉を聞き堪忍袋の緒が切れた過去の私は思わず、
「だったら帰ればいいじゃないですか!貴女みたいな役立たずなんて誰も引き止めませんから!!」
と、伊佐崎を睨みつけながら怒鳴ってしまった。しかしあろうことか伊佐崎はそれを鼻で笑い一蹴すると、
「言われなくても帰るわよ。今日は外せない用事もあるんだし……あっ。」
そう吐き捨てたところで伊佐崎のスマホが鳴る。伊佐崎はカバンから素早くスマホを取り出すと、
「もしもし?マナ君?やっぱりぃ!!……うん、ごめんねぇ。今ちょっと園の仕事が大変でぇ、うん、うぅん!嫌いになった訳じゃないのぉ。そう。ホラ、いつも言ってるでしょ?同僚の子。その子のせいでちょっと遅れそうなのぉ。今から向かうからぁ、待ってて欲しい……なぁン!」
私への当てつけかのように大きな声で言い、廊下を去っていった。過去の私はやり場のない怒りを押し殺しながら、部屋の掃除へと戻った。
しばらくして伊佐崎への怒りも徐々に収まり、部屋の掃除も間もなく終わりそうだと過去の私はふぅと一息つく。ふと時計を見ると時刻は20時をまわっていた。
「……今日も、帰ったらすぐ寝ちゃいそうだな。」
そんなことを呟きながら椅子を取り出し、腰を下ろそうとした瞬間だった。
「キャー!!!」
「な、なにごと!?」
廊下から悲鳴が聞こえ焦った過去の私が部屋を飛び出す。すると悲鳴の主であろう若い女性が、植木鉢を持ったままフラフラと過去の私に衝突した。
「ギャァァァァ!!」
女性は過去の私に衝突すると、私を押し倒すと同時に植木鉢の中の土を掃除した部屋にぶちまけた。過去の私の絶叫は虚しく響き渡り、女性はその様子を見て一瞬で土下座に移行した。
「あわわわわ……すみません!すみませぇん!!」
「……柾木さん、なんで植木鉢を持って廊下を走っていたのかしら?」
「ごめんなさい!あの、えっと、明日天気が悪くなるって!それで、その……子供たちが植えたやつを……ごめんなさぁいぃ……」
柾木と呼ばれた女性は涙目になりながら土下座を何度も何度も繰り返し、過去の私は伊佐崎の一件から続いている怒りを肚の奥底に押し込めながら泥を払い立ち上がった。そして一度しまっていたはずの箒とちりとりを取り出し、柾木にぎこちない笑顔を向けながら言った。
「次からは植木鉢は正面玄関の入ったところでお願いしますね。今日はもういいですから、先に帰っておいてください。」
「はいぃ……ごめんなさい、ごめんなさいぃ……」
柾木は泣きながら廊下をとぼとぼ歩き、戻って行った。彼女は今年からの新人保育士で、やる気や子供への愛情は認めるが……仕事に関しては褒めるポイントが全くないレベルと言ってよい。実際これと全く同じトラブルを既に七回起こしている……6月の末なのにも拘わらず。その度に先程のように帰らせて何度も謝られるが、正直彼女の謝罪は聞きすぎて私の心には響かなくなってきていた。
「……泣きたいのはこっちだよ。」
過去の私はそう呟き、砂を箒とちりとりで片付ける。残った掃除も片付け、柾木が残した植木鉢を持ち正面玄関へとついた頃には……時計は既に21時半を過ぎていた。植木鉢を所定の位置に置き靴箱から自分の靴を取り出した過去の私は、思わずため息をついた。
「はぁ……」
ろくに働きもしない伊佐崎と戦力になる兆しが見えない柾木の分までクラス担任として仕事をする毎日に、思わずそれでいいのかと私は自問する。そしていつも私は同じ結論に辿り着く。
「子供たちのためだから。」
脳裏に浮かぶ、子供たちの笑顔が過去の私の決意を支える。私ははるか上空からそれを見下ろし、苦々しく呟いた。
「馬鹿な女……こんだけ直感で気付いていたのに辞めなかった、本当に馬鹿な女だったわ。」
道を歩いて帰る過去の私の背中を見ながら、私は舌打ちをする。すると再び周囲の光景が渦を巻くように変化し……現れたのはアパートの一室、布団も敷いていない床の上で倒れ込むように眠る私の姿であった。




