Ep.62 望まぬ才は刃を侵す猛毒となる⑩
「あが……がっ……」
腹部に肘を突き立てられたクライスはそう呻き声を上げながら、よろよろと数歩後ずさる。展開されていた炎の蝶はほとんど消え去っている。それは発動者からの魔力供給の停止――魔力そのものの不足か、魔力を注ぎ続ける集中力切れのいずれかを示していた。
「うそ、あのクライスを、一撃で……」
背後の観客席から聞こえるレイズのその声を聞きながら、私はクライスを睨みつけていた。クライスは唸ったような低い声を出しながら、力を振り絞ってなんとか立っていた。
「畜生……二度も、二度もこの女に負けて、たまるかよ……チクショおおおお!!!」
クライスは奮い立たせるように叫びながら、私目掛けて突進を開始した。だが、私の目にはその様子が仔細な箇所まで手に取るように分かるようなスローモーションとして映っていた。
「オラァ!!」
クライスの巨大な右腕の一撃が私に迫る。私は軽く体を捻り最小限の動きでそれを躱しながらクライスの懐へと潜り込み、そのまま屈伸運動の要領でクライスの顎目掛けて右手を突き上げる。その掌底はクライスの顎に完全にヒットした。
「ガフッ……」
クライスは後方に大きく吹っ飛び、仰向けに倒れて気絶してしまった。それを確認してから私はミィルスの方へとゆっくり向く。
「ひぃっ!」
「この空間を作ったのは貴女ね?」
私は先程見ていた魔力のモヤのようなものを掴みながら、ミィルスに問いかけた。顔面蒼白のミィルスは杖にしがみつき、ガタガタと小刻みに震えながら答える。
「は、はいぃ……」
「この空間魔法でクライスの蝶の移動速度と威力と発生速度を底上げして、数で押し潰す作戦……格下で数の多い相手を掃討するにはちょうどいい。なるほど、高ランクの依頼での使いやすさとはそういうことなのね。」
私はミィルスをじっと見つめながらそう呟く。次の瞬間、
「ひぃぃ!!」
ミィルスの背後から一瞬ですぐ隣に移動したランが思い切り剣を振り下ろした。ズドンという音とともに砂埃があがり、ミィルスは思い切り腰を抜かしてしまう。ランはバックステップであっさりと剣を躱した私を見てニヤリと笑う。
「疾い。それが擬似妖羽化の力か。仮にもDランク冒険者による『光電嚆矢』の補助が乗った『天火燦蚕』ですら敵わないとはな。」
「『光電嚆矢』って言うのね、あの魔力のモヤの空間。」
「だがもう前座は終わりだ!俺と戦え!ルリ!!」
ランがそう吠えると、ミィルスは慌てて私たちから距離を取る。ランの威圧感で震える大気が、私の皮膚を走る。私は息を呑み、ランの動きの一挙手一投足を全身で感じる。そしてランが右足を一歩踏み出した瞬間、私は先程クライスに撃ち込んだように肘打ちをランに仕掛けるべく飛び出した。しかし、
「え……」
肘打ちは空振りに終わる。攻撃がヒットすると確信した次の瞬間、ランは体を少し半身にしながら一歩後退して肘を回避していた。ランの巨体を見失った私が右側に彼を見つけた次の瞬間、彼は右手で掲げた刀をそっと振り下ろし、私の首元で寸止めした。
「これで、俺がお前を一度殺した。」
ランの言葉に、私は時間差で恐怖する。彼の言う通り……もしこの戦いが命のやり取りであったなら、私はこの一撃で首を刎ねられていただろう。私は慌てて数歩後ずさりながら、刀の置かれた首元をぺたぺたと触っていた。
「これで、二度目だ。」
しかしその一瞬の隙に、ランは私の背後に回り背中の中心に刀を軽く突き立てていた。私は驚きすぎたあまり、言葉を失ったまま背をピンと伸ばし固まっていた。ランは刀をゆっくりと落とし、背後から私の肩を掴みながら言った。
「なあ、ただの模擬戦で終わるにはつまらないよなぁ。だから、ひとつルールを追加しようぜ。」
「ルール……?」
「見ろ。」
ランはそう言うと、倒れているクライスの方へと指をさす。そこにはギルドのスタッフであろう人員が彼を治療すべく舞台の外へと運ぼうとしていた。
「どういうカラクリかは知らねえが、この空間には一定以上のダメージを負った者に対しては生命維持の何かしらがはたらくようでな。生命維持用の簡易結界に包まれてスタッフ以外が干渉できなくなるみたいなんだわ。」
「都合がいいのね……」
「まあ、そうだな。それでルールの提案だが……勝ち負けをハッキリつけようじゃねえか。」
「勝ち負け……」
私はランの言葉を反芻するように呟く。
「先に戦闘不能になった方の負けってことかしら?」
「いいや。それはしょっぱいぜ……さっき、寸止めした時に言った言葉の通りさ。どちらかが倒れるまで戦って、どっちが相手を多く殺せるか……それで勝ち負けをつける。それでどうだ?」
ランの提案を聞き、私は眉を顰め苦い表情で思い詰める。先程の動きを見る限り、彼には私の動きが完全に見えているようである。同じDランク冒険者であるクライスやミィルスには追いつけなかった擬似妖羽化の動きが、ランには通用していないのである。その条件で彼のルールで戦っても私には分の悪すぎる賭けであると、そう感じていた。
「全く、ビビりやがって……俺だって楽しみてえんだ。お前が1回俺を殺すまで、本気出す気はねえよ。」
そんな私の心を見透かしていたかのように、ランはため息をつきながら言った。私は険しい表情のまま、大きく息を吐き拳に魔力を込めていく。私がそのままじっくりと構えていくのを見たランは、それまで以上に大きな声で叫んだ。
「さぁッ!!死ぬ気で殺しに、来やがれッ!!!」
再びランの体から放たれる威圧感。その逆風を切り裂くように、私は地面を蹴った。




