Ep.30 見下ろす景色⑫
「誰が……いつの間に、こんなことを?」
私はそう呟き、階段を降りるべく進もうとした。しかし、
「痛ッた!!」
一歩踏み出した瞬間、膜のような壁が現れ私の体を弾き飛ばした。バチンと電流が走るような衝動を受け、私は思わず尻もちをつく。
「こっちにも結界……恐らく、これで音を閉じ込めて居たのね。それでこの量の虐殺に気付かなかったと。」
背後からアルマストの声が聞こえる。私はすぐに立ち上がり、なんとかして下に降りる手段を探す。
「このままじゃ、ルガル君が……」
突如、城門の方で轟音が響く。外を覗き見ると、ルーグさんがリィワンに突進し大剣を振り下ろしていた。しかしそれは、あっさりと受け止められていた……軟体動物のようにうねる数多の触手と化したリィワンの右腕に。
「ぐっ……返せ、ルガルを返せッ!!」
「その子供ごと斬るおつもりだったんです?私が今受け止めなかったら、真っ二つでしたよ?」
「黙れ!いつからだリィワン……俺たちをいつから、欺いていたんだ!」
「初めからですよ。私は旦那様のために動いていたことなど一度もございません……それに、俺たち、というのはいささか間違いがございます。」
リィワンがそう言いながら、こちらに目を向けたような気がした……その直後、
「ルリ!避けて!!!」
後ろからアルマストの声に反応し急いで振り返る。そこには巨大な槌を持った黒髪の女性が、目と鼻の先に迫っていた。
「くうっ……」
そのまま振り下ろされる鉄槌を、私は床を転がりながらかろうじて回避する。鉄槌は城壁を破壊し、ガラガラと石が外に崩れ落ちていく。私はアルマストの助けを借りながらゆっくり立ち上がると、女性―ドーナ・ユールゲンに対峙する。
「あら……虫を潰し損ねましたわ。リィワンに怒られてしまうわね。」
「アルマスト、助かった……ありがと。」
私はドーナから目を切らず、アルマストに向けて小声で呟く。アルマストはドーナを睨んだまま彼女に質問する。
「結界と下の惨状は、貴女が?」
「失礼ね、リィワンと半分ずつよ。結界も全てリィワンのもの……マスクドネビュラに教えたのもリィワンよ。結界は彼の得意魔法ですから。」
「マスクドネビュラ……」
「さっきまで見ていたでしょう?王都の英傑の成れの果てよ。脳と身体を改造され、言葉と感情を代償にあの子は進化したの。そう……覆面戦姫マスクドネビュラとしてね。」
ドーナは糸目のまま、不気味に微笑みを湛えながら淡々と答え続ける。その身体から放たれる妙な威圧感に冷や汗を流しながら、私は声を振り絞る。
「アンタの目的はなんなの?ルガル君を連れ去って何をするつもり?」
「おかしな質問ね。別に私が息子をどうしたって、私の勝手でしょう?」
「違う!子供は親の操り人形なんかじゃない!」
「立派ね……台詞だけは。リィワン!」
ドーナは城壁の外に向けて叫ぶ。リィワンはそれを見ると、掴んでいた大剣を離してルーグと間合いを取るべく後退する。ルーグは立っているだけで限界を迎え、再びそこで膝をついてしまう。
「旦那様。前衛部隊を閉じ込めた結界に見覚えはありませんか?」
「え……」
「ああいう、閉じ込める結界や結界そのものを斬撃にするような使い方……25年ほど前に、心当たりはございませんか?」
「まさか、お前……」
「改めて……リィワン・ワンズリース。結界術士にて、その最も得意とする術は、"変化結界"にてございます。」
リィワンが仰々しく、畏まるように紡いだ台詞……それを境に、彼の瞳は紅に染った。
「な……に……」
「まさか、それって……」
そしてもう一人。城壁の上で目をゆっくりと開く女がいた。人間の本能の奥底の、危機察知の部分を爪を立てて逆撫でするかのような、妖しく冷たい紅の瞳。蛇に睨まれた蛙のように足を竦ませ身動きが取れない私とアルマスト、壁の上の弓兵たちをドーナは餌を吟味するかのように、恍惚とした顔でじっと見つめていた。直後、リィワンがひとっ飛びでドーナの隣に合流する。その背中には禍々しい黒い羽が付いていた。
「赤い瞳は魔族の証。純血なら両目に、混血の半魔なら片目に現れる特徴だが……実際にこうして目の当たりにする気分は、どうかね?」
「っ……!」
痩せ型のはずのリィワンから放たれる呼吸を忘れそうになる程の威圧感に、私は思わず息を呑む。目の前にいる二人の純血の魔族に慄きながらも、リィワンの言葉への違和感をなんとか紡ぐ。
「魔族の貴女がルガル君の母親なら、ルガル君は片目が赤くなるはずでしょう?」
「……フッ、あっはっはっはっ」
私の質問を聞いたドーナは、高らかに笑う。リィワンは呆れたように息を吐き、私の問いに答える。
「ドーナ様は厳密には魔族ではありません。魔族の上位種……竜族のご令嬢でございます。」
「なっ、竜族!?」
「はい。今回の我々の目的は、竜族と人間の混血児を回収することでございます。」
「ぺらぺらと喋りすぎよ、リィワン。」
ドーナはそう言うと、リィワンの首筋に人差し指を突きつける。長く伸びた爪が首に食い込み、血を流す。リィワンは目だけ動かしてドーナを睨みつける。
「それ以上喋ったら、あの子、うっかり殺しちゃうわよ。」
「え……」
ドーナがそう言って指さしたのは、アルマストだった。




